2019年9月21日(土) 7pm トリフォニー
ハイドン ピアノ・ソナタ第62番変ホ長調Hob.XVI52 8-7-5
ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第32番ハ短調Op.111 9-16
Int
シューベルト ピアノ・ソナタ第21番変ロ長調D960 24-9-3-7
(encore)
リスト コンソレーション第3番変ニ長調S.172-3 5
ピアノ、シュテファン・ヴラダー
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それぞれの作曲家のピアノ曲のラスト作品を並べた。こういう聴きかたにはあまり慣れていない。余計な観念が入り込みそう、という無意識のこばみがあるのかもしれない。そういうことがいつの間にかワイプアウトされて極上作品と演奏に、最終的には、浸りつくしました。
ヴラダーの雰囲気はストイックというほどではないが、それと端正な趣きがブレンドした所作ですかね。人は何を考えているのかわからないものだ、というところもあるかな。
ハイドンの初楽章は運命終楽章冒頭のような音型で動く。肌触りの良いもので、ちょっとしたねじれも感じるのは、やっぱり、形式を越えてくるような世界を垣間見れるからか。新たな形への挑戦というよりも、それまでの蓄積物のインテグラルな感じ。
アダージョの中間楽章は聴いているうちに不思議とベトソナ30番のスケルツォが頭の中を駆け巡る。とっても濃い作品と知る。
ベトソナ。いわゆる、中間楽章が無い状態で冒頭のカオスから最後のクララティに至る道筋を追う。今は32番の最初の和音はあまり好みではない。それはそれとしてヴラダーの音を聴こう。
道筋、ナチュラルな位相の転換。極めて明快なタッチでベートーヴェンの線が描かれていき、32番が晴れていく。お仕舞はむしろリアリティな響き。消えゆく現世ではないのだね、ヴラダーさん。
そして、物凄く長い空白。この緊張感。なんだかいろんなものがあった。思考が音になって作曲家の頭の中が現実化した。
後半のシューベルト。毎度のセリフ、で、シューベルトの場合、頭の二つの楽章で言いたいことをほぼ言い尽くしている。今日は2,3,4楽章連続演奏。初楽章と第2楽章のムードがよく似ている。濃い、濃い。垂直タッチがきれいで浮遊していくようだ。このように美しい演奏を聴くと未完成シンフォニーの事もよくわかるものだ。
どこまでも長い第1楽章、澱みのない世界はリタルダンド的なものを排したプレイで、しなって崩れることがない。この張り詰めた音とフレーズ。神経の先々まで血が通っている。
いつまでも聴いていたいシューベルトでしたね。
素敵な内容、ありがとうございました。
おわり