2019年9月16日(月) 1:30-4:10pm トリフォニー
プフィッツナー 付随音楽「ハイルブロンのケートヒェン」序曲 14
シュレーカー 組曲「王女の誕生日」 6-3-1-5-1-5
Int
マーラー 交響曲第7番 ホ短調 21-15-11-12-18
和田一樹 指揮 豊島区管弦楽団
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お初で聴くオーケストラ、指揮者です。アマチュアのオーケストラですが腕達者。
明るくゴージャスなサウンド、言葉のように物言うプフィッツナー、抜けるようなアイロニーのシュレーカー、静けさと炸裂が峻烈に交錯するマーラー。セッション収録ならパーフェクト感漂わせる腕っぷしオケの見事な美演でした。
今日のお目当ては前半2曲、これまで全く聴いたことのない2作品。作曲家の名前や作風は他の曲を聴いて知っているだけ、こうやって色々と幅広くやってくれると益々興味尽きないものがありますね。ひとつずつしゃぶるように聴きました。
最初にプログラムを見た時は重力MAXのヘヴィー級プロと思ったのですが、そこは自分の勝手な印象。実際にこうやって接してみると、オケの明るくゴージャスなサウンド、そしてそれにきっちりとあった選曲。妙な暗さが無い作品群だなあと納得。いずれにしても垂涎の演目ですね。
1曲目のプフィッツナーは、運命の女性はすぐそこにいたという話しで、序曲だからおそらくストーリー全体をなぞったようなものだろう。フルオケが華麗に鳴る。標題音楽的な物腰で流れていくが、そのうち楽器群が何やら言葉のように語りかけてくる。なんだか、楽器が言葉になる。この作曲家のバイアスのありようが妙に理解できるもの。流れるメロディー、讃歌のような響き。プフィッツナーの両面を垣間見る、とはこちらの思い。
お初で観る和田一樹、見事な棒で、連日連夜振りまくっているのはもはや明らか。シャープなタクトさばき、いきなりグッと締まった演奏を聴かせてくれましたね。
次のシュレーカーは残酷なストーリー。パントマイムのための音楽。王女の誕生日にたくさんのお祝い、なかに奇形少年のダンス、鏡を見た少年は死んでしまうが、王女のほうは、今度は死なない者を。という残酷なもの。
でも、シュレーカーだと音々がこれでもかというぐらい溢れだし、快活で明るくエネルギッシュ、お祝いのシーン、ダンス等々が中心になっていて、次から次へと一気に音楽の表情が変わっていく、変幻自在のシーンが見事に活き活きと描写されていく。オケの多彩な色合いが素晴らしい絵巻物。そして、消え入るように印象的なエンディング。
指揮者とオーケストラともに先を急ぐことのないテンポでズレないぶれない音楽づくり、和田のコントロールが本当によく効いた演奏。これだけ締まっていると何事も無かったような気になってくるから不思議だ。作品を知る喜びというのはこういうことだろうと思う。
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シュレーカーの作品にはマンドリンとギターが出てくる。指揮者の前、中央に横並びした二人のプレイヤーが音楽に華を添える。
そして、後半の大曲。マンドリンとギターによるナハトムジーク。いい流れですね。この日のプログラム冊子には、夜の歌という副題が書かれていない。何か理由があるのかもしれない。などと浅い事を考える中、開始。
アマチュアのオーケストラにとってこの7番、難所だらけで、次から次へと困難な箇所が頻発、聴くほうも落ち着かない。ということは全くなかった。スキルレベルハイで音楽を思う存分浴びることが出来た。感服しかない腕前ですよね。
指揮者のきっちりとしたドライヴィング、ばたつくことのないオーケストラで音楽がよく流れる。事態が静観されている。目まぐるしく変わるマーラーの表情がくっきりと縁どりされる。それと、粒立ちが良い。この粒立ちの良さが大体、活力ある主主題に実に効果的だ。縦に跳ねる様な音の動きはブラックホール的重さの第1楽章をなにか明るく感じさせる。ダークなりに、フィナーレのあのフィニッシュがあるんだよという感じ。
指揮の和田は主主題から副主題に移る経過句のもっていきかたが見事だ。滑らかでナチュラルな移行。それで、副主題そのものをよく歌わせる。タップリというよりもむしろ、弦がまるで一本になったかのようなスキニーな響きを醸し出し、マーラーの線を鮮やかにフレーミングする。ここらへん、実に見事で、応えるオーケストラの熱演プレイにも驚くばかりだ。
主題の対比がよくわかるものでソナタの型がレントゲン写真のように透ける。ジャングルジムのような骨格とその遠く先までスカスカに見通せる。この見通しの良さがブラックホールに透明感を与えていて、重さよりも前進する楽章に変えてくれましたね。充実した内容でした。
終楽章まで全ての楽章が10分越えのヘヴィーな作品なれど、二つのナハトムジーク、それにシーソー中央点的スケルツォ、全部味わい尽くしました。これら第2,3,4楽章は編成の割には音が薄くなるところが多々あって、つまりソロやアンサンブルの活躍が多く、オケ腕前が良いということもありじっくりと聴くことが出来ました。静かで落ち着いたもので耳をそばだて思わぬ発見もありましたね。二つ目のナハトムジークはマンドリンとギターの世界があるとはいえ、ここは終楽章への序奏的な雰囲気が濃厚だといつも思うのだがこの日ばかりはそんなことが浮かぶこともなく夜の歌を満喫。7番がこれだけ鮮やかに表情を変えてくれるとマーラーも小躍りしているに違いない。
終楽章はダークな初楽章と対をなすが、型は複雑になっていていかにも〆の楽章という感じ。ここでも指揮オケともに全くつんのめっていくことが無い、皆無。
この楽章、いわば内部に光をあてた演奏で構造がよくわかり、ロンド、ソナタ、そういったことが目に見えるよう、そして情感も自然に湧いてくる。クライマックスが半ば自然発生的に積分されていく。歩みの品があり、冷静な盛り上がりと言えるかもしれない。振り返るに、起点となる80分前の響きが思い出される。結果、巨大な作品の全体像が完成、圧巻のフィニッシュ。
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それにしても、だ。冒頭のテナーホルンの腕前にはびっくり、増して、ホルンは並大抵のことではない。尋常ならざる技の連続。アシさんもいたように思うが見るところソロのみにとどまらずアンサンブルもほとんどプリンシパルが吹きっぱなしだった。ありゃあ大変の大変ですわね。マーラーさんはホルンになにか恨みでもあるのか、楽章が進んでも進んでもこれでもかこれでもかと過酷な譜面が惜しげもなく迫ってくる。まあ、吹きがいがあると言ってしまえばそれまでなんだろうが、音楽はノンストップだからね、あれは大変。
ブラスとウィンドのセクションは本当にご苦労様と言いたくなる。プロオケ聴いている時はあまりなかった気持ちになったのも事実ですね。
濃い演奏会を存分に満喫しました。ありがとうございました。
おわり