河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

677‐初日 パルジファル第3幕 ホルスト・シュタイン N響 1998.2.18

2008-09-17 00:10:00 | コンサート





677‐初日 パルジファル第3幕 ホルスト・シュタイン N響 1998.2.18

昨日のブログにドレヴァンツ指揮によるN響の2008-2009シーズン初日の模様を書いたが、演奏会に先立ちホルスト・シュタインを追悼しバッハのアリアが演奏された。
また、N響の小冊子フィルハーモニー9月号をロビーで手に入れたが、こちらにもやはり7月27日に亡くなった同氏のことを紙面を割いて書いている。
個人的にもホルスト・シュタインはN響だけでなくわりと聴いている。
N響冊子フィルハーモニーによると、シュタインがN響定期に初登場したのが1973年2月、最後に登場したのが1998年2月。
個人的には最初から聴いているような気がするが、特に印象に残っているのは、「英雄の生涯」、「運命」、「パルジファル第3幕」など。
最後となったパルジファルは両日とも聴いた。
1998年2月18日、19日である。

2008-2009シーズン、N響はシュタイン追悼からはじめたことになるが、自分にとってもシーズンがはじまったばかりであるが、あのときのパルジファルについてメモ書きをアップしてみようと思う。18日19日分を二日にわたって。

(注)この1月2月にはベルリン・ドイツ・オペラが来ていた。また、前年1997年11月にはバレンボイム率いるベルリン国立歌劇場が来日しており、11月16日には演奏会形式のパルジファルが上演された。このとき、パルジファルのポール・エルミングはキャンセルしている。そんな前提での文章です。



1998年2月18日(水) 7:00pm NHKホール

ワーグナー/パルジファル第3幕 (演奏会形式)   80

ホルスト・シュタイン 指揮 NHK交響楽団

パルジファル/ポール・エルミング
グルネマンツ/マッティ・サルミネン
アンフォルタス/ヴォルフガンク・シェーネ
クンドリ/押見朋子

合唱/二期会合唱団

正直なところ上には上があるものだ。
これで、バレンボイム/シュターツオーパー・ベルリンのショックから抜け出せる。
シュタインの見るからに痛々しい足の運びで、指揮台を上り下りする姿にはなにかやりきれないものがある。
しかし、直立不動で、わずか上下10センチ幅ぐらいの手の振りで、この200人におよぶと思われるオーケストラ、合唱それに3人の絶品ともいえるソリストたち、全てをコントロールしてしまう姿は、指揮者という存在感そのものが音楽を作り出しているのだということを痛切に感じさせる。昔バイロイトにその名をとどろかせた主なのだ。
それに今日のN響は一体どうしたことか。
まるでワーグナーの霊感をバイロイトから運んできたようなくすんだ、しかし透明で、地の底から湧き出てくるような音ではないか。
一体どうしたというのか。

バレンボイム/シュターツオーパー・ベルリンのときは風邪で歌えなかったエルミングが、透き通る声で素晴らしい。ピアニシモの高音が異常にさえている。
サルミネンは来日していたベルリン・ドイツ・オペラの延長で居残って歌っていると思われるがメリハリの効いた音は低音にあいまいさを残さない。
それにシェーネという初めて聴く歌い手もアンフォルタスの死にきれないもがきをよく表現できている。歌もベスト。

第3幕、単旋律の音符の上げ下げからさりげなく始まり、弦のぶ厚い響き、ブラスの地鳴りのようなハーモニー、そしてウィンドの美しいソロ。
今日のN響は一体どうしたというのか。
何が起ったのか。
全員がワーグナーのうねりの中にはまりこんでいく。
自分たちが出している音自身がうねりとなり同じ楽団員を共鳴させ、感動させ、うちふるえながら演奏しているのだ。

ジャスト1時間20分の演奏であったが、ワーグナーの全てを聴いたような錯覚に陥ってしまった。そもそもこの1時間20分自体かなりの長さではある。しかし、緊張感が全体を支配しておりみんなうちふるえている。
このような身を任せることができるような演奏、感動にまた会うことができるのであろうか。聴いて良かった。生きてて良かった。
これだけの苦悩から解放されてもシュタインの足は癒えないのか。肉体の老は無情だ。
おわり