678‐二日目 パルジファル第3幕 ホルスト・シュタイン N響 1998.2.19
昨日はホルスト・シュタイン指揮N響によるパルジファル第3幕の定期初日の模様であったが、今日は二日目の模様。といっても、心の模様のような感想文だ。
1998年2月19日(木) 7:00pm NHKホール
ワーグナー/パルジファル第3幕 (演奏会形式) 85
ホルスト・シュタイン 指揮 NHK交響楽団
パルジファル/ポール・エルミング
グルネマンツ/マッティ・サルミネン
アンフォルタス/ヴォルフガンク・シェーネ
クンドリ/押見朋子
合唱/二期会合唱団
聖金曜日のあとに、オーボエがソロを奏でるあたりで、私の目はもしかして真っ赤になり、泣いていた。
春になれば田んぼや小川の小さな誰も見えない場所から雪が解けはじめ、がさっという音とともに小さくくずおれた雪の下にはすでにふきのとうが芽を出している。
そして地面からは春の日射しとともに湯気のようなものがたちこめてくる。小さな草や花が芽出てくる。
子供の頃、学校の行き帰りにその目線でそのような微妙な変化を感じとり一日一日の違いを走り抜けていた。
そのような決して戻り来ぬ昔の懐かしい思いで、それは夢であったのか。
今となっては二度と戻ることのできない遠い昔の美しい思い出の数々。
私の体は途中から固まってしまい動かなくなってしまった。目だけゆるむのである。
作曲家がどんな気持ちでこの曲を作曲し、今日の演奏家がどのような気持ちでこの曲を演奏していようとも、私は遠い昔をこんな美しい思い出を夢のように思い出させてくれた今日この日に感謝したい。
上には上があり、そしてもっと上があったのだ。
N響は昨日が、ワーグナーのバイロイトからの霊感で演奏したのであれば今日はそれを100年間醸造したコクのあるまろやかなブランデーのようにしたものを付け加えた様な演奏であった。
滑らかであり、一日でこんなにこなれた演奏になるものなのか。
3人の巨大な巨人族に囲まれたシュタインがほとんど神がかり的な霊感を発した。
気がつくとこんなにこなれてすべるような演奏なのに気がついてみたら昨日よりさらにおそい1時間25分という時間を費やしているではないか。
時間だけで測っても良いが、物理的なときの流れがこんなに空しかったことはない。
歌い終わった後、パルジファルになりきったエルミングが頭を抱え込んで椅子に座っている姿が印象的であった。それにN響の、最後のフォルテシモからピアニシモに消えいるように推移するフレーズの指揮者から与えられたアクセントを冷静に、そして高ぶりを抑えきれないようななんとも言えない演奏も、私の頭に深く刻み込まれた。
パルジファルは大きな子供。なにもかもがピュアな夜だった。
おわり