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芸術の秋がはじまってますが、先週末は一服感があったので、この前まで書いていた1983-1984シーズンの演奏会、オペラの続きを少し書いてみます。
日取り的には、バーンスタインの棒によるニューヨーク・フィルハーモニックのマーラーの復活の翌日の公演です。
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1984年1月18日(水)8:00pm
エイヴリー・フィッシャー・ホール
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GREAT PERFORMERS AT LICOLN CENTER presents
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プロコフィエフ/古典交響曲
メンデルスゾーン/ヴィオリン協奏曲
ヴァイオリン、ピンカス・ズッカーマン
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シベリウス/交響曲第2番
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ウィリアム・スミス指揮
フィラデルフィア管弦楽団
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グレイト・パフォーマー・シリーズというのは、内外のオーケストラ公演をシーズンにわたって行うもので、ホールはだいたいエイヴリー・フィッシャー・ホール。たまにカーネギーホールでも。
普通は日曜日の午後3時開始の公演が多いが、今晩のようにニューヨーク・フィルハーモニックの定期がない水曜の夜に催されたりする。(NYPの定期は木金土火で1プログラム)
この時代、フィラデルフィア管弦楽団の音楽監督はリッカルド・ムーティ。桂冠指揮者がユージン・オーマンディ。今日はオーマンディが振る予定であったがキャンセル。代わって準指揮者のウィリアム・スミスが棒を取った。昔からそれなりに振っているとはいえ、今でもメンバーに名を連ねるキーボード・セクションのプレイヤーである。
それで演奏のほうは?
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いくら指揮者がオーマンディからウィリアム・スミスという人に代わったとはいえ、この人自身本来プレイヤーであるからして今日の演奏は昔のオーマンディの解釈をなぞっているようなものなのだろう。
いつぞやのブルックナーと違い、全くフィラデルフィア・サウンドを満喫した。
全楽器が唸りをあげているといった感興であり、やっぱりこれは世界中探してもどこにもない音である。
なんと表現して良いかわからないが、とにかく全ての音はずぶとく、特に弦楽器の光り輝くばかりの音、そして奥行きの深さは昨日聴いたバーンスタイン、ニューヨーク・フィルハーモニックによる音とは全く異なるがこれまたすごいの一語に尽きる。
あの唖然とするようなブラス・セクションの咆哮の中で、微妙なニュアンスを表現していた弦セクションには驚きを通り越すものがあった。
例えばシベリウス、ピアニシモを主体にした音楽ではなく、あくまでもそれぞれの楽器の特徴となる音質を惜しげもなく出しているといった感じであり、音自体も非常に太い。
また、みなさん、こんなことは言わなくてもわかっていることだと思うのですが、そのブラス・セクションのものすごさ。この太陽の光そのものみたいな音は本当に実際に聴いてみなければわからないだろう。光り輝く何かアメリカ的なものにふさわしい。
活字ではなく素晴らしい生のフィラデルフィア・サウンドに埋もれたことを素直に喜ぶ。
たった一ヶ所、第3楽章から第4楽章にアタッカで移った時の例のブラスのファンファーレ風なところが不揃いになったが、それすらも光り輝いて聴こえるなんてフィラデルフィア管弦楽団以外には考えられないことだ。
このような素晴らしい演奏を実際にアメリカで聴いていると日本ではよく言われているフィラデルフィア管弦楽団に対する批評というのは全く日本的な発想でしかないということがよくわかる。これはアメリカ、ペンシルベニア州フィラデルフィアの音。彼らはそれをニューヨーク州の人に主張しているのです。それぞれの州の持つオーケストラの音は異なる。この音はフィラデルフィア管弦楽団の命なんだろうと思う。
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ズッカーマンはこれまた音が太く、光り輝くようでありフィラデルフィア管弦楽団指向の音のように思えた。そのズッカーマンの音でさえ時として忘れさせてくれるような瞬間があるというフィラデルフィア・サウンド。
ズッカーマンは今日はあまり調子が良くなかった。というよりもまるでぶっつけ本番のようであり、まさしく地力自力で弾きとおした感がある。
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