河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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魔笛 ウィーン5 1989-19

2007-02-26 23:16:00 | オペラ




1989年ウィーン国立歌劇場来日公演で魔笛は5回上演された。


11月3、5、6、8、10日 東京文化会館

モーツァルト 作曲 魔笛

ザラストロ/マッティ・サルミネン
タミーノ/ウヴェ・ハイルマン
夜の女王/スミ・ヨー
パミーナ/バーバラ・ボニー
パパゲーナ/エルズビエッタ・スミットカ
パパゲーノ/ミカエル・メルビー
モノスタトス/ハインツ・イエロシッツ

オットー・シェンク演出

ニコラウス・アーノンクール 指揮 ウィーン国立歌劇場


1989年は2年後のモーツアルト没後200年に向けてオペラをはじめ、いろいろな演奏が盛り上がりつつある頃だった。
NHKでも、普段なかなか演奏されないオペラなども含め徐々に放送され始めた。そのときよくでていたのがアーノンクール。当地でもさかんにモーツァルトを振っていたのだろう。日本でもよく聴くことができた。
このアーノンクール、実はあまり好きではない。
音楽をどつきすぎると思うのだ。1980年代にはいって、昔の古楽器演奏から演奏範囲を広げてきたわけだが、このどつき感覚がなかなか抜けない。
フル編成のオケに対してアインザッツに固執した演奏をしいるようなところがあり、うまくそろえばそれは快感であるが、どうも空回りするときが多く音楽がほこりっぽい。そんなところがあまり河童好みではなく、あまり気持ちが乗らずこの上演は自然にスキップした。
昨年2006年にもウィーン・フィルと来日したが全く聴く気がおこらなかった。
指揮者の解釈により出てくる音楽の好き嫌いは、当然のことながら聴いてみないとわからない。
ただなんとなく音楽雑誌で評論家が、彼を好きでない理由を言っていたのを自分の考えと錯覚してしまい、その意見、またはその話の持って行き方につられてしまって納得してしまい、自分も嫌いだ、などと思ってしまうことがある。
昔のカラヤン嫌いなど宇野さんの文字を雑誌でみて影響されてしまった人もいるはずだ。カラヤンの音は角が取れ過ぎている。演奏が終わりカーテンコールに出てくる前に髪をそろえなおす。そんな態度で音楽に集中できるのか。など、笑えるものまでいろいろと活字になったこともある。角が取れすぎる、髪に櫛を入れる。ソーホワット。だからどうだというのさ。その先まで論じなければいけない。音楽はその先にあるものだ。
フルヴェンはいい、カラヤンはだめ、ヨーロッパはいい、アメリカはだめ、といった変な図式を日本人の音楽好きに埋め込んでしまった評論家の罪は大罪だ。今でもその呪縛から抜け出すことがなくてアメリカ音楽、アメリカ演奏団体、指揮者など顧みない、興味無い、といった連中がわりといる。
ところでアーノンクールはどうだったのだろうか。聴く機会がなかったというのが実際のところだが録音は結構頻繁に聴いていた。
それらを聴いて、ちょっとね、と思うようになったのは事実だ。
しかし、素晴らしいものもある。たとえばこれ。

モーツァルト作曲 偽の女庭師

ザンドリーナ/エディッタ・グルベローバ
ドン・アキーゼ/トマス・モーザー
ベルフィオーレ/ウーヴェ・ハイルマン
アルミンダ/シャルロッテ・マルジョー
ドン・ラミーロ/モニカ・バチェルリ
セルペッタ/ドーン・アプショー
ナルド/アントン・シャリンガー

ニコラウス・アーノンクール指揮
コンチェルト・ムジクス・ウィーン

1991年6月9日 ウィーン楽友協会

このオペラかなり長い。
第1幕:1時間30分
第2幕:1時間25分
第3幕:35分

2006年のウィーン・フィルでも聴けば、また考えが変わっていたかもしれない。このときの論評は、すばらしかったというのが大半だった。でも、今さら彼のブルックナーを聴きたいとはあまり思わない。
おわり