河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

3度目4本 ウィーン国立歌劇場1 1989-15

2007-02-19 20:39:00 | 音楽

1_89

1989年のウィーン国立歌劇場来日は数えて3度目。

このときは長短4本の演目を持ってきた。

公演は1021日から1118日まで、約一か月弱。

この間に、オペラ公演17回。他3回。都合20回の公演が行われた。

指揮者はクラウディオ・アバド、ハインリッヒ・ホルライザー、ニコラウス・ハーノンコート、といった余裕の3人。450人の民族大移動にふさわし顔ぶれだ。

演目は、

一幕物のランスへの旅が5回。

超ロングなパルジファルが4回。

ヘヴィーな2幕物の魔笛が5回。

根性のいる3幕物のヴォツェックが3回。

あとはガラ・コンサートが1回。

ウィーン・フィルとしてのコンサートが2回。

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パルジファルは上野で聴きたいところだが、残念ながら渋谷の極悪娯楽ホールでの公演となってしまった。それでもパルは2回は観たいところだ。

1989年というとつい最近のような気がしていたのだが、早いもので18年も経ってしまった。

当時の公演チケットの値段は一番高い席でこんな感じ。

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ランスへの旅\40,000

パルジファル\38,000

魔笛\38,000

ヴォツェック\35,000

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一幕物のランスが一番高いのは、ソリストがかなり必要であるためいたしかたのないところか。

ヴォツェックはあまり一般的ではなくワンランク下げ、上演回数も3回、といった状況だ。

全体としては、ウィーン国立歌劇場公演でこの値段だから、18年前は現在の価格より35割がた安く感じる。

逆なのがプログラムの値段。

バブル満開のころは、プログラム一冊が3千円、5千円といった感じで、カネがあるない、といったこととは別に相当に違和感のある設定であった。

4万円のチケットに5千円のプログラム。

売る方も買う方もかなり白け気味であった晩も多々あった。銀座の高額鮨屋でお勘定をすると、3秒ぐらい考えてから値段を言う握り職人とその声を待つ客との微妙な空気感。あんな感じだった。両方とも適当だったのかもしれない。

行きつけのバーで一杯だけ飲んで帰る客へのお勘定も難しいところだ。銘柄熟知で値段設定不明なハードリカーを一杯飲んで水飲んでかわきものをつまんで20分で、帰るから、と客が言ったらいくらぐらいとるのかしら。銀座あたりのバーだと請求する方も払う方も、これがわりと難しいものだ。

クラシックの演奏会のチケットも意味不明な価格設定に遭遇することがたまにある。

結果ではなく、逆算予想でチケットに価格を刷り込まなければならないため来日公演のような単発ものは簡単ではないのだろう。

一番高い席が空洞のように誰も座ってなくて、まわりの淵のほうだけに客が張り付いているコンサートもみたことがある。

あれでも主催者側は安い席はありません。S席しかありません。という。それは事実なのだが、ディスカウントして売るわけでもなく、商売的脳は固まったまんまだった。

最近はかなり柔軟になってきており、当日半額などTKTSなみとはいわないが、昔よりは柔軟脳になってきてはいるようだ。

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というわけで、最近の来日演奏団体のプログラムは\1,000\2,000をさまよっており、ただにこしたことはないが、我慢できる値段ではある。サントリーホールのコーヒーの値段のように我慢できないものではなくなりつつある。あすこではいつも、特盛りでっ、と威勢よく声をかけるとおびえたスタッフがカップの縁をカタカタいわせながら注いでくれる。

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今回のウィーン国立歌劇場のプログラムだが、記憶が飛んでいるが5千円ぐらいしたと思う。

これを最後のページからめくると、広告ページがたくさんでてくるが、目立つのがレーザー・ディスクの広告。隔世の感である。

そのほか、情報の質としては面白みのないものだが、料理評論家の山本益博による文「オペラこそは、娯楽の殿堂」が掲載されている。情緒に流された文章だが料理のことは出てこない。二度と還らぬ経験を楽しむものだ。と。たしかにそうだ。

専門以外のことを書くときは気が楽で思うような文章がかけるのかもしれない。

でもほかのコアな内容と読み比べると、いかにも場違いというか、音楽の手前の段階、というか、なにか別のつながりを感じさせる奇異で唐突な掲載ではある。

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