1989年のボリショイ・オペラは、お祭りの一環で来日した。
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「ロシア・ソビエト芸術祭」
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これは、1989年5月~11月、に日本国内で行われたもの。
参加グループ・演奏家はこんな感じ。
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モスクワ・ソロイスツ合奏団
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ボリショイ・オペラ
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ワディム・レーピン(ヴァイオリン)
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ペルミ・バレエ
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レニングラード・マールイ・ドラマ劇場
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レニングラード・フィル
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ワレリー・クレショフ
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モスクワ・ヴィルトーソ室内管弦楽団
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リリヤ・ジルベルシュタイン(ピアノ)
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エフゲニー・キーシン(ピアノ)
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芸術祭というといかにもすごいような感じがするが、この出演団体・演奏家をいまあらためて見てみると、
今なら、普通、
である。
年間の来日団体・演奏家をみてみると今ならロシアからこれだけきても、誰も何も驚かない。
それに、これの何倍、何十倍の人たちが全世界から毎年日本にきて演奏している。日本は超一大市場であり、金払いもすごい。
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ところで、このお祭り。
「ロシア・ソビエト芸術祭」
ソ連解体前と解体後が混ざったようなタイトル。
しかし、崩壊は1991年。
だから、1989年はソ連崩壊前。
崩壊を予感したような芸術祭の命名、今読めばそのように見える。
もちろんそれは誤り。
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崩壊前のロシアの正式名は、
「ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国」
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ウクライナなら、
「ウクライナ・ソビエト社会主義共和国」
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だから、略して、
「ロシア・ソビエト芸術祭」
としたのだと思う。
崩壊解体後は、「ロシア」となったので、早い話が、1989年時点のロシアの芸術家が大挙して来日したということだ。
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ボリショイ・オペラは12回公演をしたわけだが、指揮者の顔ぶれがそれなりにすごい。
エフゲニー・スヴェトラーノフ
ウラディミール・フェドセーエフ
マルク・エルムレル
アレクサンドル・ラザレフ
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ボリショイ・オペラが日本でロシア物を出すということは、それだけの自負と矜持を自覚していたということだ。
この顔ぶれなら、いい出し物となるのは当然なのかもしれない。
もちろん、歌い手もすごく、ネステレンコ以下、ダブルキャスト、トリプルキャストでロシア総動員で頑張った。
指揮者も含めのような配置はロシア特有の日常的システムなのかもしれない。
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これと対極にあったのが、
ダニエル・バレンボイム指揮
ベルリン・シュターツカペレ
たとえば2002年の歴史的公演。
20日あまりで、リング3回、他演奏会4回、の計16回公演。
棒はバレンボイムだけ、というすさまじさ。
おわり
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