冬の暖かな日、白い雪が一瞬の花を咲かせる。
明るい日差しに、すぐに消える白い雪の花。
江戸時代、将軍の代が替わる毎に、諸国の藩政や民情視察のために巡検使が諸国に派遣された。
下北、鹿角を経て南下、盛岡、大迫、土沢に立寄り、花巻を経て伊達藩に向かう。
土沢から遠野街道(現283号線)を西に進み幸田村と高松村境の追分から分岐し、美女ヶ原の峠を越えて矢沢村の舘石、小松原に下り、宝昌寺、矢沢十文字を西に進んで北上川を船で、現花巻市田力に渡り、似内を経て花巻入りをした、この街道を御巡検街道と言う。(S54、花巻史談第5号鎌田辰夫氏による)
幸田と高松村境から数百㍍の美女ヶ原(美女化びじょげともいう)の道を挟んで、反対側は急な谷の一帯は、古老は「姥ふところ」と呼ぶ。
地名からして、昔「姥捨山」では無かったろうかと言われている。
宝昌寺門前には数基の餓死供養塔があり、この地方でも多くの餓死者が出たことは良く知られているから、姥捨てがあったとしても不思議ではない。
美女ヶ原の一角を妻の神といい、金精さまが祀られて、道行く人は小石を積んで供養して通ったと言われている。
小高い丘にあった、細長い自然石の金精さまは、道路の拡張工事が行われたころに、見えなくなり工事関係者でも持帰っただろうと諦めていたところ、ごく最近になって、工事が行われたころに、盗難を恐れて近くの山に隠したという人が現れた。
一人でようやく持ち上げれるほどの、金精さまを抱き抱えて近くの山に隠したが、その場所は覚えていないと言う。
美女ヶ原(美女化)、「姥ふところ」は山に囲まれて、北風はあたらないので雪融けは早い。
雪融けを待って、集落の信仰を集めた金精さまを探し出そう。