「『感応道交(かんのうどうこう)』って仏教語があるよな」
「うん。道元禅師も時々使う。有名なのは、中国留学中の、本師の天童如浄禅師との出会いの話だな」
「そう。辞書的な解説だと、一方が感じると、他方がそれに応じる、そういう相互の交わりが自然に行われること。いわば宗教的次元の意気投合みたいなことかな。それが仏と衆生の間、あるいは師匠と弟子の間で起こること。そんな感じかな」
「まあ、その程度だろうな」
「これね、素人が聞いてもよくわからない話でさ。具体的にどういうことなの? 君は感応道交したことあるのか?」
「いやあ、いきなりそんなこと訊かれてもなあ。ただ、・・・」
「ただ、何だ?」
「こんな感じかな、と思った経験はある。それほど高尚でもロマンティックでもない話だけど」
「へえ、あるのか」
「中学3年のとき、『諸行無常』という言葉に出会ったとき、『あ、これはおれのことだ』、って思ったな。
「ほほう」
「これは言葉との出会いだが、人でも同じじゃないかと思うんだ。『あ、このひと、自分と同じだ』という感覚。それはおそらく、目指しているところ、抱えている問題、取り組んでいるテーマ、そういうものが深いところで一致している感覚なんじゃないかな。ぼくは、感応道交はそれに近いと思っている」
「まだあるか?」
「もう一つある」
「どんな」
「出家したとき。ぼくは親父に連れていかれて、後に師匠になる和尚と会った」
「それが感応道交?」
「まあ、聞けよ。実は親父は、ぼくが出家したいと打ち明けたとき、いきなり反対しないで、『じゃ、ひとり坊さんを紹介してやるから、会って話を聞いてみろ』って言ったんだ。いきなり反対したらもっと頑なになるだけだと知ってたんだな」
「さすが、父親」
「で、息子の出家希望を電話で聞いた親父は、電話をきってすぐ、その和尚のところに駆け込んで、『息子がおかしくなった。永平寺に行きたいなんて馬鹿なことを言ってる。とても務まるはずがないから、和尚、息子を止めてくれ』と頼んだんだ」
「二人は友達だったの?」
「そう。当時父親が教員やってた学校の裏山に寺があって、そこの住職と仲良かったの。それがぼくの師匠になった人」
「じゃ、師匠は依頼を断ったのか?」
「違う違う。二つ返事で引き受けたんだと」
「だったら、どうして?」
「いや、それがさ、実際寺に連れていかれて、住職に引き合わされたらね、彼がしばらくじっとぼくの顔を見て、『君か、和尚になりたいと言うのは?』と訊くから、『そうです』、って言ったんだ」
「うん」
「そしたらさ、いきなり、『そうか、じゃ、いつからこの寺に来られる?』と言うのさ」
「それは出家させてやる、弟子にしてやる、って意味だろ?」
「そう」
「で、君はすぐに、お願いしますとでも返事したのか?」
「結果的には、そう。いや、ぼくも初めはさ、最初のひとりを師匠にする気なんぞ、さらさらなかったんだ。当初の予定では、勤めていた会社から出たわずかな退職金を使って全国を行脚し、これは思う高僧を選んで弟子にしてもらおうなんて、夢見たいなことを妄想してたな」
「それが、なんで・・・・・?」
「いや、それがさ。ぼくも住職の厳つくてでかい鬼瓦みたいな顔を見てたらさ、なんか、ま、いいか、コレで、みたいな気になっちゃったんだな。これから色々探すのも面倒だな、みたいな」
「えっ、それだけ?!」
「そう。そのとおり。もういいや、みたいな感じ。それで、『東京のアパート引き上げて、月末までにはお世話になります』、って返事しちゃったの」
「お父さん、びっくりしただろう」
「そう、おそらく内心はパニック。だけど、『和尚、話が違う』とは言えないよな。ぼくが目の前にいるんだから」
「で、どうなった?」
「親父は咳き込みそうな早口で、『お、和尚、それでいいんかい?』とだけ、言ったんだ」
「それでどうした」
「そうしたら、住職が即座に、『先生、なにもヤクザになろうというわけじゃないんだから、いいじゃないか』、って言って、話を決めちゃったんだ」
「へええ。よく言ったよなあ。だって、断るはずで会ったんだろ?」
「ぼく、出家して4、5年経った頃、訊いたんだ、それ。『師匠、あのとき、本当は親父に、出家なんて諦めるように説得してくれ、と頼まれてたんでしょ?』とね」
「そしたら?」
「『そうだ。そう頼まれた』と言うから、『じゃ、なぜ弟子にしてくれたんですか?』と訊くとさ」
「うん」
「『なんだか、お前の顔を眺めていたら、こいつ、出家させてやらんと可哀そうだなって感じがしたんだ』と言うんだ」
「それだけなの?」
「そうなの。ぼくは、これでいいや。師匠は、なんとなく可愛そう。それだけ」
「そんなものなの?出家って」
「そういうわけじゃないと思うんだけどさ。ただ、師匠が家族や親族ではない、完全な一般人から出家すると、師匠と弟子の関係も微妙で相性があるんだ。これがよくないと、あと大変だ。破綻することさえある」
「なるほど。で、その『ま、いいか』『可哀そう』を感応道交と言いたいの?」
「すまん。話が卑近になって。でも自分の実感としてはそうなんだな。ちなみに、師匠も係累に寺関係はいない。あまり家族に恵まれなかった人なんだ」
「これは、人それぞれの実感で語るしかない話かもな」
「うん。道元禅師も時々使う。有名なのは、中国留学中の、本師の天童如浄禅師との出会いの話だな」
「そう。辞書的な解説だと、一方が感じると、他方がそれに応じる、そういう相互の交わりが自然に行われること。いわば宗教的次元の意気投合みたいなことかな。それが仏と衆生の間、あるいは師匠と弟子の間で起こること。そんな感じかな」
「まあ、その程度だろうな」
「これね、素人が聞いてもよくわからない話でさ。具体的にどういうことなの? 君は感応道交したことあるのか?」
「いやあ、いきなりそんなこと訊かれてもなあ。ただ、・・・」
「ただ、何だ?」
「こんな感じかな、と思った経験はある。それほど高尚でもロマンティックでもない話だけど」
「へえ、あるのか」
「中学3年のとき、『諸行無常』という言葉に出会ったとき、『あ、これはおれのことだ』、って思ったな。
「ほほう」
「これは言葉との出会いだが、人でも同じじゃないかと思うんだ。『あ、このひと、自分と同じだ』という感覚。それはおそらく、目指しているところ、抱えている問題、取り組んでいるテーマ、そういうものが深いところで一致している感覚なんじゃないかな。ぼくは、感応道交はそれに近いと思っている」
「まだあるか?」
「もう一つある」
「どんな」
「出家したとき。ぼくは親父に連れていかれて、後に師匠になる和尚と会った」
「それが感応道交?」
「まあ、聞けよ。実は親父は、ぼくが出家したいと打ち明けたとき、いきなり反対しないで、『じゃ、ひとり坊さんを紹介してやるから、会って話を聞いてみろ』って言ったんだ。いきなり反対したらもっと頑なになるだけだと知ってたんだな」
「さすが、父親」
「で、息子の出家希望を電話で聞いた親父は、電話をきってすぐ、その和尚のところに駆け込んで、『息子がおかしくなった。永平寺に行きたいなんて馬鹿なことを言ってる。とても務まるはずがないから、和尚、息子を止めてくれ』と頼んだんだ」
「二人は友達だったの?」
「そう。当時父親が教員やってた学校の裏山に寺があって、そこの住職と仲良かったの。それがぼくの師匠になった人」
「じゃ、師匠は依頼を断ったのか?」
「違う違う。二つ返事で引き受けたんだと」
「だったら、どうして?」
「いや、それがさ、実際寺に連れていかれて、住職に引き合わされたらね、彼がしばらくじっとぼくの顔を見て、『君か、和尚になりたいと言うのは?』と訊くから、『そうです』、って言ったんだ」
「うん」
「そしたらさ、いきなり、『そうか、じゃ、いつからこの寺に来られる?』と言うのさ」
「それは出家させてやる、弟子にしてやる、って意味だろ?」
「そう」
「で、君はすぐに、お願いしますとでも返事したのか?」
「結果的には、そう。いや、ぼくも初めはさ、最初のひとりを師匠にする気なんぞ、さらさらなかったんだ。当初の予定では、勤めていた会社から出たわずかな退職金を使って全国を行脚し、これは思う高僧を選んで弟子にしてもらおうなんて、夢見たいなことを妄想してたな」
「それが、なんで・・・・・?」
「いや、それがさ。ぼくも住職の厳つくてでかい鬼瓦みたいな顔を見てたらさ、なんか、ま、いいか、コレで、みたいな気になっちゃったんだな。これから色々探すのも面倒だな、みたいな」
「えっ、それだけ?!」
「そう。そのとおり。もういいや、みたいな感じ。それで、『東京のアパート引き上げて、月末までにはお世話になります』、って返事しちゃったの」
「お父さん、びっくりしただろう」
「そう、おそらく内心はパニック。だけど、『和尚、話が違う』とは言えないよな。ぼくが目の前にいるんだから」
「で、どうなった?」
「親父は咳き込みそうな早口で、『お、和尚、それでいいんかい?』とだけ、言ったんだ」
「それでどうした」
「そうしたら、住職が即座に、『先生、なにもヤクザになろうというわけじゃないんだから、いいじゃないか』、って言って、話を決めちゃったんだ」
「へええ。よく言ったよなあ。だって、断るはずで会ったんだろ?」
「ぼく、出家して4、5年経った頃、訊いたんだ、それ。『師匠、あのとき、本当は親父に、出家なんて諦めるように説得してくれ、と頼まれてたんでしょ?』とね」
「そしたら?」
「『そうだ。そう頼まれた』と言うから、『じゃ、なぜ弟子にしてくれたんですか?』と訊くとさ」
「うん」
「『なんだか、お前の顔を眺めていたら、こいつ、出家させてやらんと可哀そうだなって感じがしたんだ』と言うんだ」
「それだけなの?」
「そうなの。ぼくは、これでいいや。師匠は、なんとなく可愛そう。それだけ」
「そんなものなの?出家って」
「そういうわけじゃないと思うんだけどさ。ただ、師匠が家族や親族ではない、完全な一般人から出家すると、師匠と弟子の関係も微妙で相性があるんだ。これがよくないと、あと大変だ。破綻することさえある」
「なるほど。で、その『ま、いいか』『可哀そう』を感応道交と言いたいの?」
「すまん。話が卑近になって。でも自分の実感としてはそうなんだな。ちなみに、師匠も係累に寺関係はいない。あまり家族に恵まれなかった人なんだ」
「これは、人それぞれの実感で語るしかない話かもな」
力の抜けた感じが結果的によかったんですよね。
また、全くの知らない他人でもなかったのも、よかったと思いますよ。お師匠の背景も、南さんの孤独と相性が合ったのだと思います。
いざ、全国を行脚して探すのも、当てがないですし、途方もなく、お金も尽きます(20代ならそう意気込みますが)。
偶然か仏縁か。
インターネットのことは難しいけど、調べてみてください。
でしょ?
まあ、
他者なしに自己もない。
他者も、他己なしの自己はない。
でしょ?
つまり、
アレなしのコレはない。
コレなしのアレもありゃしない。
アレコレ日記より。
緊張感が無い、とは言い切りません。
そこには、「俗な」取り引きが絡んでいる、と「感じる」からです。
また、こちらは住職に「用」があるのに、お手伝いさんやら奥さんなどが、その寺の「顔」のような所がありますが、住職もそれをヨシとして、寺(住職?)が機能してない事に気付いてさえいない、という「可哀想」な面を見受ける事もあります。
あるとき、
住職が、「妻の実家は、○○の寺なんですよ。」と自慢気に話されるので、その奥さんに、「お寺出身なんですね。」と言ってみると、「モチロンです!」と、ドヤ顔で返答された事がありました。
ふ~ん。
モチロンって「何だ?」というツッコミは、モチロン控えておきました。
「コイツら」と、「感応道交」は程遠い、と思ったまでです。
つまり、師匠が「可哀そう」となることもなかったのでしょう。
「感応道交」は、ちょっぴり恥ずかしい話でもありますかね。
また旅立ちをするぞうれしき"
「子供たちが、生まれつきそのことが得意ということもありますが、好きな先生の科目が好きになり、好きになると成績もあがるという例も、決して少なくありません。ということは、生来好きな得意とすることさえ、担当する先生によっては、嫌いになってしまうということもありうることになります。
子供たちを教える立場にあるものは、受け持つ科目のことしか見えないというのではなく、それを通して人生にどう立ち向かうか。その子供を一個の人間としてどう育てあげてゆくかを、つねに意識の中心において、指導やに当たってほしいと思うことです。」
『落ちこまない練習』
青山 俊董 著
苦しみや悲しみで、病気や不幸で、アンテナを立てよ!
剣山や地味な花があってこそ、美しい花が引き立つ!
そんなあ
少しは落ち込ませて下さいよお
「真理は一つ、切り口の違いで争わぬ」
まあ真理が
いくつもあっては困るでしょうがね
『悟り入門』長谷川俊道 著
曹洞宗のお坊さん方、執筆に励まれているようですね。
院代様は、○事休息中。
それは幻かもしれない。
味方がいないと生きてると言えまい。
感応道交とはこういう事なのかなぁと、馬鹿で罪深いけど、なんとなく最近冴えてるワタスは思った。
修証義って読むとグサグサ来たり、ガンガン来たりするのですが、これは、恐れながら道元禅師と感応道交している、と捉えても宜しいのでしょうか。
何かに触れて心を動かし、何かをやろうと決心する。似たような言葉に「啐啄同時」がある。ヒナが殻を突き破る(啐)時に、親鳥も口ばしで殻をつつき(啄)、ヒナが孵るのを手伝うことから、師匠と弟子が感応道交し通じ合うことを指す。>
http://josenji.net/jousenji0717_08.html
自然の脈動の意気に感ずるということも感応道交になるのでしょうか
こういう現象の可能なのは、畢竟は人間の心の動き、あるいは言葉の運びに、一定普遍の方則、あるいは論理が存在するからである。
・・・<寺田寅彦「科学と文学」青空文庫
感応道交は、快哉を叫ぶ繋がりですかね?
http://teishoin.net/sutra/501.html
鬼瓦って
院代の口の悪さは
師匠譲りなんですかね
妙な財産に恵まれましたね
因縁生起って言うじゃない。
ああ、縁起ってヤツね。
つまり、それは縁だ。
この話だけでは、「器」が見えないような。
え!?
「いえ、そんなつもりは・・」
「どんなつもりか知りませんがね、そんなつもりが無いなら、そんなことは眇眇たる事でしょう」
「いえ、そんなつもりは無きにしもあらず・・と」
「なんだって!?」
「すみません、そんな下らない事しか言えない小さい人間なんですよ・ ・私は」
「これは失敬。かく言う私も瑣末な人間でしてね、ワッハハ」
50年前当時は、師は月例の早朝坐禅会を開いていた。
初めて師と、個人として、接した。
師は枯淡な人、無欲な人で、人々に慕われていた。
透き通るような鶯のような奇麗な声の持ち主であった。
坐禅の終わりはその声で『正法眼蔵』の「行持」の巻の或る決まった一節を読み、次に皆で『普勧坐禅儀』を唱和した。
坐禅動機は『正法眼蔵』を理解したかったのだが、最後まで講義の機会はなかった。「近くの報恩寺の僧堂」の坐禅指導もなさっていたという。
就職で別れるときに(僧侶用の)『正法眼蔵』を京都から取り寄せて餞として下さった。
(当時岩波文庫の衛藤版『正法眼蔵』は著作権を持つ未亡人が多くの誤りの訂正に応じなかったので、岩波書店は仕方なく誤りのままでは発行できないとし絶版にしていた。これは学問の私物化である。手に入らなく困っていたのを知っていたのであろう、下さった)
師は生涯独身だった。
そして生き方を目の当たりにして「僧侶というもの」をインプリントされた。
「宗教というもの」は道元和尚にインプリントされた。
それまでは全くの白紙だった。
偏った僧侶観や宗教観にしかならないのではないでしょうか。
今迄のコメントからそれは実証されていると思えるのです。
https://blog.goo.ne.jp/jikisaim/e/05cdaf5c2fe3e3cb43ab5bee624eb07e
「出家前」に、どんな坊さんになるかを、南さんは決めていらっしゃったのでしょうか。
https://blog.goo.ne.jp/jikisaim/e/5ec6e1268bea0f3dc588eb0ae5d16517
このように、ゴチャゴチャ言わない師匠は、サッパリした方というだけでなく、寄り添い名人だったのでしょうね。
https://blog.goo.ne.jp/jikisaim/e/1e257dab744fdac6bd690a88374c472e
それは回向だ。
父親と師匠は「知り合い」なんですから!どこの「骨」かぐらいはわかっていた筈!
まあ、どこの骨でも「仏の骨」なんでしょ?私達って。
願わくは此の功徳を以て
普く一切に及ぼし
我等と衆生と皆共に
仏道を成ぜんことを
十 方 三 世 一 切 仏
(じーほーさんしーいーしーふー)
諸 尊 菩 薩 摩 訶 薩
(しーそんふーさーもーこーさー)
摩 訶 般 若 波 羅
(もーこーほーじゃほろーみー)
明確なテーマも出家後に考えていたと思いますが、問題意識は漠然とあった。
確かに、ごちゃごちゃ言わないお師匠で、よかったですよね。男気を感じます。
お父様も、さっぱりした方だったから、交際してたのではないでしょうか。
、、てことは、師匠は当時40歳くらいだったんですね。
妄想専門家の南さんなら、出家後の妄想も、いくらでもされていたのではないですかね。
今頃、京都辺りを牛耳る住職になっていたかもしれません。
今回の話でも、どこの馬ともわからぬ者という自覚もありながら、出家後の姿など考える余地があったのか?
恐らくなかったでしょうが、妄想でよいなら、いくらでも何とでも言えますよね。
え!?
「志」はあったと?
はてさて、「その時に」どこぞの住職や恐山行きの構想があったとのでしょうかね。
それは無記だ、と?
坊さんよ、大志を抱け!
抱き過ぎて、善からぬ方にいかないでね。
親の話でも、クソ頭の良い子がいたけど、家が超貧乏で進学できない子が沢山いたらしいですが、僕のクラスにも、塾に通ってる優秀なヤツより、貧乏な子の方が成績が良くても進学を断念した事を思うと、今の緒問題にも繋がっているでしょうかね。
エリートお坊ちゃま達が作る政治体制だから、「今こうなのか」と思うと、システム改善は、やはり教育体制になるのでしょうかね。
何が余計で、何が余計でないのか?
何が邪魔で、何が邪魔でないのか?
正解のわからない世を生きる不確かな自分に、強風が吹き抜けます。
「君か、出家したいというのは」
高橋
「はい、志は"悟り"です」
南師匠
「なんだって!」
高橋
「輪廻も嫌いじゃありません」
南師匠
「僕とテーマが違~う!」
つまり「同じ道」を前提としておらず、方向などが同じであったため、たまさかに道中で交差したことを表しているようにも思われ、言葉の裏にある厳しさを感じてしまいます。
私の実感で言えば、未踏の山道を「この道でいいのかな」と多少の不安を抱えながら独りで登っていた時に、偶然先達の登山者に出会ったような気持ちに近いのではないかと思われます。
(仏教と関係がない話であり、それから私は安全な登山を心がけていますので、とてもかけ離れていることは自覚しています・笑)
これに対し「同行二人」は、自分で歩かなくてはいけないところは仏教的ですが、お大師様が常にともにあり、生身の人間ではないので関係性に破綻が生じにくいところなどはキリスト教的で、双方の良いとこ取りのようにも思われます。
(こちらも本来の意味とかけ離れている可能性があるも自覚しております・笑)
判断において「正しいこととされている、みんなと同じこと」に沿うことは不安解消に役立ちますが、このような時代では、誰しも個人で判断して歩いていくことが必要になるかもしれません。
こういうときに仏教が役立つのかもしれません。
「出家を考え直させる」というつもりが、
「可哀想だから出家させてあげよう」という
ストーリーになってしまうわけです。
院代も師匠も会うことによって
ストーリーが変わったということよりも、
むしろプロットが変わってしまったわけです。
……………「悟り体験」を語るようなものですかね?
>「中学3年のとき、『諸行無常』という言葉に出会ったとき、
>『あ、これはおれのことだ』、って思ったな。
これが凄いなあ。
私は高校生の時だったか平家物語の冒頭を読みましたが、
諸行無常という言葉から「繁栄は長く続かない」程度の
意味しか感じ取れなかったです。
>>一本杉さん
素敵な書き込み、刺激を受けました。
道はそれぞれ同じではないですよね。
でも、交わることはある。交差点のように。
仏教の言葉に出会えて「正しい」「間違い」といった
物事の尺度をある程度捨てて考えるようになったつもりですが、
それでも自分の道がどうなのか、ある種の孤独を感じますよね。
共感する仲間が欲しくなるというか。
英語に明るいわけではないのですが、道というとこんな語感があります。
Road:舗装された太い直線道路
Way:曲がりくねった道、方法論
Tao:道教由来の生き方、術を深める過程
一番しっくり来るのがWayかな。
私が誰かのWayと交わる日はあるのだろうか。
これは、係累に寺関係がいないと、家族に恵まれていない事のように映るのですが、それは違うような?
寺関係がいても、家族に恵まれてない人は恵まれていないでしょうし。
詳しくは不明ですが、釈尊や道元禅師も、高貴な出生であったとはいえ、係累に寺関係がいたようではないですし、いくら世間的に恵まれた環境にいても、精神的に満たされないものがあったから、出家されたんですよね。
または、世間的な恵みというものに、関心が消え失せた、ともいえますかね。
“Our paths will cross again” といった表現もありますから。
https://blog.goo.ne.jp/jikisaim/e/0bcbeb30e039fd857e293c5a27c5e900
なんて言われたら、大丈夫な気がしてくる、かも。
"あ、人間ってアホな生き物なんだんだろな"、という気持ちが一層強くなった事ですかね。
だけど、、
それを、周囲の「人間達」に言える訳もなく、、。
錆びれていませんよね。
まだまだイケますd(^-^)
世間への発言も最後となるのでしょうが、お疲れ様でした。。
頬っぺたが、ピンク色でツヤツヤして見えるのは、気のせいでしょうか。
いえ、早ければよいという事ではなく、端から見る限りにおいてであり、また、親が教員であろうと何だろうと、家族によっては、子供の気持ちや本音を知らない、話せない事の方が多いんだろな、という面を垣間見るようでした。
まあ他人様事情も色々ですので、トヤカク言うつもりもないのですが、要はスンナリ事が進まなかった経緯を、伝えられているのでしょうかね。
ここで言われる鬼瓦先生と南君の相性(感応道交)は、「可愛そう」で結んで宜しいのでしょうかね。
結果的に、お互いにとって善き関係であるかが問題でしょうから、理由は「可愛そう」でも何でも、大乗Vですよね。
これがない事には、大乗Vではないですよね。
「今日、英訳を通じて始めて東洋の親鸞聖人のタンニショウを読んだ。
もし10年前に、こんな素晴らしい聖者が東洋にいたことを知っていたら、自分は、ギリシャ語やラテン語の勉強もしなかった。日本語を学び聖者の話を聞いて、世界中に拡めることを生き甲斐にしたであろう。
遅かった、、。」
長南瑞生 著
ではハイデガーが、道元禅師の言葉に出会っていたら?
ひっくり返っていたかもしれませんね。ぜひ、「有時」を読んで貰いたかったですよね、南さん。
<ハイデガーは自分の弟子のような日本人留学生との交流があり、そこから禅の知識を仕入れる機会も多くありました。当時の日本哲学界では西田幾多郎が一世を風靡しており、日本人留学生も禅の知識をそれなりに持っていたものと思われます。
もともと実存哲学の考え方は、仏教思想の影響を強く受けたニーチェなどの流れにあり、道元哲学とも親和性がありました。
ハイデガーがどのようにして道元を読んでいたか不明ですが、日本で道元が哲学的に注目され始めたのが、1920年~の和辻哲郎「沙門道元」であり、これに強い影響を受けていた京都学派の田辺元がドイツに留学しハイデガーと交流したのが1922年、「存在と時間」の初版が1927年ですから、時期的にも符合します。
田辺は、日本には道元というすごい哲学者がいたとハイデガーに熱く語ったことでしょう。
ハイデガーに近かった哲学者ヤスパースは、「道元の「正法眼蔵」を高く評価しており、西洋哲学の行き詰まりを解決するものは東洋の仏教であり、とりわけ、日本において発達した禅をおいて他にない。」と語っていたそうなので、ハイデガーも同じような認識でいたことが想像されます。>
「日本の人達は何をしているのだろう。
日本は戦いに敗けて、今後は文化国家として、世界文化に貢献するといっているが、私をして云わしむれば、立派な建物も美術品もいらない。
なんにも要らないから、聖人の教えの匂いのある人間になって欲しい。ーー」
(ハイデガー)
もし「有時」をパクっていたとして、それでも親鸞聖人に傾いたとしたら、「伝えた側」に問題があったのでしょうかね。
「と」の字の問題とか。
釈尊の場合も、正師を求めて、何人も渡り歩いた。
道元和尚の場合も正師を求めた。
日本では、栄西禅師の「古い世代の有名な弟子」ではなく、
(密教の兼修で妥協的…)
中国で本場の臨済宗を正式に坐禅修行した後の(「純禅」の)
新しい世代の弟子「明全」を師として、8年も修行した。
更に、中国に正師を求めに行った。
「感応道交」やはり、相性、「感じられるもの」なのだろう。
…「まっ、これでいいか」
(ただし、計画しても、手に入らない)
「求めよ!されば、与えられん!」
アーメン
そうなると、妄想の全国行脚もあったかもしれませんね。
イエスが30歳の頃には、既に父はいなかった。
「マリアの子」と呼ばれているから、早くから父はいなかったのだろう。
だから、イエスにとって神は、
天にいる「お父さん」だった。
「父親の不在」を埋めるものだった。
この「父と子の間」には、「感応道交」情が通じる。
だから、十字架で殺される時、イエスは、
「お父さん、なぜ見捨てたのですか!」と泣きついている。
何か知らないが助けて下さる、奇跡が起こると思い込んでいた。
しかし、神は「沈黙」だった。
(34歳頃、ローマ帝国に殺された)
これに対して、
イエスが30歳頃に、改革者ヨハネから洗礼を受けた時は、天から声がして「我が愛する子」と呼び掛けているのに。
明日12月25日はクリスマス(イエスの誕生日)である。
アレコレ手を出すニッポンって何。
即ち、時間は存在と同じです。
セロトニン最貧国の日本人的感傷(センチメント)に過ぎない様だ。
無常を唱えた本家本元の(古代)インドで意味する釈迦的「無常」とは、
単に、「この世は絶えず変化し続けるものである=在常の否定」という客観的・合理的・非感傷的・科学的事実しか意味していない・・とかであるそうな。
中学生だった直哉君がこの論文を合わせて読んで居たら「それは俺だ」とは思わなかったかもしれない。
参考文献、
鈴木隆泰氏CiNii論文『諸行無常再考』
https://ci.nii.ac.jp/naid/110004047240
クリックCiNii Fulltext PDF(open access)
即ち、時間は存在と同じです。
それは、無常=時間という事でしょうか?
>無常=不安
それは、実存が無常で、実存が存在不安(無根拠)なものとするから、「=」としてるのでしょうかね。
無常を悟れば不安(=苦、苦悩)は消える、
という釈迦方程式に準ずれば、
存在不安を「無常」から感じ取る思考法は非仏教的で在るのかも知れない。。。
常住(=アートマン、真我、実体)な身であったなら存在不安は無かったのに(残念だ)みたいな事に成って、
そこに非仏教性が浮き彫りになる感じ・・かな。
恐らくその不安は漠然としたもので、常住している訳ではないのでしょうし、無我そのものなら存在不安は発生することもない、となりませんかね。
また、そこでの「不安」と「存在不安」は、別個に考えていることではないのでしょうかね。
無常が不安というより「不安定」と区別する方が、わかりやすいですかね。実体があろうがなかろうが、不安定というような。
瀬戸内寂聴さんなんかも世襲の僧侶で無いから、
50歳ころから出家を思い立って
様々な宗派に片っ端から願い出たが聞き入れられず、
もうダメかなと諦めかけていた時に、
同じ文筆仲間の今東光和尚(天台宗)が、やっと自分を拾い上げて呉れた・・
んだとか。
東光さんも「(出家させてあげないと)可哀そうだ」と思ったのでしょうかね。
…感応道交
呼びかけにどう応えるか?
一人一人と、現在の曹洞宗とに、呼び掛けている。と思う。
「修証義」は、道元和尚から離れ、或る主観・好みによる「摘まみ食い」と思う。
『普勧・坐禅儀』は、再度推敲し改訂され、道元和尚の重要な著作である。
これこそが、万人の基準になることを願う。
「仏教」とは「行の教え」である。
「信の教え」ではないと思う。
それは『普勧・坐禅儀』が示している。
…感応道交
自我なら不安はない、という解釈は矛盾しませんかね。』
「細胞」で「人体」が、存在している。
「個体」で「人類」が、存在している。
「個体の脳」の膨大なネットワークの中に、
…過去の脳、釈尊の脳、イエス・キリストの脳…
…「古・今」「東・西」の膨大な脳と情報の共有をしている…
その中に「こころ」が、存在している。
「日本人のこころ」は、日本列島の中から生まれた。
「自己」というの壁は、「言語」が妄想したもの。
「自己のこころ」は多くの「人のこころ」から成立している。
「父母のこころ」が侵入している。
「自己」こそがが生きている。
これは「言語」が見せつける虚構である。
まるで、一つの「細胞」が「人体」に向かって、生きているのは「自分」だ、
と言っているようなもの。
そして
「自分の考え」でなければならない、
引用は禁止、
を強制するのは、「自己」が言語の虚構である事実に、無知だから。
「自己」が「諸行無常」と「解る」こと。
「明らめる」「諦める」
これが「仏教」と考える。
対極は「梵我一如」つまり「我は常」!
「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、
…死ぬる時節には、「死ぬがよく」候…、
是はこれ「災難をのがるる」妙法にて候」
- 俳人 山田杜皐(やまだとこう)に宛てた見舞の一文
(『正法眼蔵随聞記』)
http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-373.htm
宗派や師匠は何でもよく、拘りもなかった、という事でしょうかね。すでに、文筆家として名が通っていたなら、受け入れ側も受け入れ難いところが、様々あったかもしれませんね。後に、何を書かれ捲るか堪ったものではない、という事もあったり?
これは「言語」が見せつける虚構である。
こうなると、言語が自己として生きている者、それが自我人間で、それをわかった上で生きている者、それを無我人間という事になりますかね。
他者とは言語とも言えますかね。
>「自己のこころ」は多くの「人のこころ」から成立している。
「父母のこころ」が侵入している。
「こころ」とは?
言語ですかね。そうしないと、「人のこころ」だけでは、自己のこころというのも、成立しないでしょうしね。
なので、「父母のこころ」だけでも、父母自体が成立しないことになりますよね。
つまりは、「釈尊のこころ」だけでは、何が何だかわからないままとなっていた事でしょうね。
瀬戸内寂聴さんは「非仏教」、つまり「日本教」教徒丸出し!
TVで、本気で言っていた。唖然とした。
(これは「仏教」ではない!)
「死ぬのなんて怖くない!
襖を開けて、敷居を跨いで、
こちらの間(この世)から、次の間(あの世)に
移動するだけだから。」
つまり、「今の自分」は全然変わらない、「そのまんま」と教えている。
「自己」は「不滅」「死なない、生き続ける」
これこそ、古来からの「日本教」そのもの。
「古事記」で、死んだ妻に会いに行くが、死者の世界は「地続き」であり、そこに妻が生きている。
要は、生者も死者も、「そのまま連続」している。
暮らしや生き方や感情も「そのまま」違いは何もない。
生きている「場所が違って」いるだけ。
日本の神様は、人間と同じで、悪いのも良いのもいる。
酒や踊りで喜ぶ。まったく人間と同じ!
これが「日本人の世界観」!
この基盤は「天台本学思想」「密教」であり、本質は「日本教」である。
比叡山、天台宗が「日本教」になってしまった。道元和尚の時代も現代も。
この「台蜜」(天台宗の密教)を、
道元和尚は、捨て去った。
道元和尚は、比叡山を下りて、
(密教の兼修でない)純禅の明全を師とした。
(栄西禅師は、二度中国に渡り、最後は、4年間ほど本格的に臨済正宗の坐禅を修行して印可状を受けた。明全はこの新しい世代の弟子である。道元和尚は高く評価している。)
学ぶ・真似る・生後に習得するもの。
思考様式の世界では、「日本語」で現実を把握し、日本語の推論形式で、次の行動内容を決定する。
「父母のこころ」が侵入するとは、無意識の内に「父母の行動様式、思考様式」を模倣していた驚きの事である。
「自己の考え」などは虚構である。
内実は「他己の考え」のミックス体である。と思う。
「膨大な数の頭脳のネットワーク」、
それが「本当は」生きている。
「個々の頭脳」が生きている、
「自己」が生きている、
は、このネットワークが生きているのの泡のようなもの。
浮かんでは消える。
イメージとして「人類」が滔々と流れていく、
この「大河」は、
自身、何処に流れていくのか、
最終的にどうなるのか、
は解らない。
現在の「金融・博打の資本主義」「100憶人の人口爆発」
どちらも人間が起こしているが、当の人間には手が付けれない。
人間の欲望で制御ができない。理性の外。
100%近くの生物絶滅を何度も経験している。
5億年もすると、灼熱に膨張した「太陽の死」で、地球は消滅する。
どうなってもそれに行き着く。
それが目前の不幸に対して慰めになる。
何をしてもいい。
何をしなくてもいい。
「自己」という「言語で虚構されて枠」を超えれば、
するべき道が見えてくる。
「マクロの道」「ミクロの道」
ここで「感応道交」は、どのように働くのか?
「仏教」は、「諸行無常」を諦める!
太陽系が死を迎えて消滅しても微動だにしない。
おまけ、
二祖の『正法眼蔵随聞記』は、日本達磨宗に洗脳された「病人への解毒剤」である。
用途を間違えないように。
あくまでも『正法眼蔵』に立つべきである。と思う。
打ち明けなくたって
瞳を見ればすぐにわかる
恋のゆくえぐらいは
Forever Frends (竹内まりや)
感応するということはこの様な事ではないでしょうか。
そんな大袈裟な話でもないでしょう。
外国犬と行動様式が違う?
といっても、人にしとかないと「自己」にはならないような?
生かされてるとか、課されているとかは、言葉で考えてるから、であるなら、「他人から」生かされてる自己、となりませんかね。
故に、生かされてるとか考えていないであろう犬には、自己は存在していないはずで、人間の思考領域の話となりますかね。
内実は「他己の考え」のミックス体である。と思う。
では「釈尊の考え」は、どうなるのでしょうか?
人間(じんかん)万事感応道交。
これは、人それぞれの実感で語るしかない話である・・・にすぎない。
べつに、そんな大袈裟な話なんかじゃない・・・ようだ。
釈尊を神格化(=超越化)する事を止めた場合、
実存的人間として可能な「考え(=思考の枠)」とはなになのか?
かれの考え方がどの様なモノであり、
その生き方が「人間」の正しい在り方を示しているならそれで充分kato///
〇・・彼の考えがどの様なモノであっても
God,
grant me the serenity to accept the things I cannot change,
the courage to change the things I can,
and the wisdom to know the difference.
神よ、我に与え給え
自分の力で変えられないものを受け容れる平静な心と、
変えられるものを変える勇気と
そして両者の違いを知る知恵を・・・
「膨大な数の「頭脳」のネットワーク」
これに対して、
各「ノード」であるところの人類の「頭脳」がフィジカルに「進化」「変化」している事
(類人猿から、一方向に大脳皮質が巨大になっていった)
更に、各「ノード」が、環境に感応道交して、新しい経験をして「発見」を追加する。
釈尊の「自己」と「言葉」との関係の発見は、
「坐禅」という「経験」において遭遇した。
「身学道」。
その新しい経験・発見を、ネットワークを通じて、他の「頭脳」に情報として伝達していく。(仏教の布教)
ここで強調したかったことは、個人のひとつの「頭脳」ではなく、「古・今」「東・西」の膨大な「頭脳」と繋がっていて、そこから「自己」が刻々と形成されていくという事です。
人類進化には「他己」の発見が重要です。
この観点から「独我論」、大森荘蔵派、
「ヨーガ行・唯識派」は、間違った道へと、はまっていきました。
釈尊は「マントラ」「真言」を禁止しました。
バラモン教では「言葉」を実体視し、特殊な力があると信じていましたから。
他方、釈尊は「言葉」の虚構性を発見したから、「言葉」の呪縛から解放された。
南師が「無明」とは「言葉」である、と明確にしました。
「自己」とは「言葉によって実体と錯覚したもの」であり、
実際は「諸行無常」であり「諸法無我」だから、
「自己」はそのそもないのだから
「不生」であり、当然「不滅」である。
これが「仏教」「非仏教」との別れ道です。
瀬戸内さんの「日本教」は、この「仏教」とはまったく別の宗教なのです。
道元和尚だけが「言葉」を問題にして、
だから主著『正法眼蔵』を「日本語」で著作したのです。
他の鎌倉仏教の祖師方はみな主著を「中国語」で記述している。
「言葉」は透明だから、その問題点に気が付いていないから。
自己とは免疫系の働きであって、犬がそれを知っていようが知っていなかろうが、免疫のシステムを保持している限り、自己として成立しているわけです。
これを坐禅で解体するとして、そこから新たに自己を立て直すとか、作り直すとか言ってもな~
また錯覚を作ってる事にならないのかな~
せいぜい視点が変わるだけで、いや、そう簡単には変わんないから大変なんだな~
自己を忘れたくても、忘れられたとしても、他己がいる限り自己にさせられちゃうしな~
ま、いっか。
ま、よくないっか。
ま、しょおがないっか。
なぜ、ワンと吠える。
なぜと問うな。
如何に吠えるかだ。
ワンダホー!ヾ(・◇・)ノ
英訳文ありがとうございます!
すごく翻訳に役立ちそうですが、一応ここは仏教ブログでして・・・
一応、念のため・・・
残念ながら、死んだ方の在り方を見ることができませんので、在り方を知る上でも、考え方も正しく受け取る必要性がある加東。
(言葉=無明、無明=言葉)
人に生きる勇気を与え、
自分の生き方の指針を与えてくれるのも、また、言葉な訳であろう。
ここの和尚さんが、言葉は無明だといいながら(?)、
ご自身が「諸行無常」と言う言葉に
感応道交し、
和尚さんが語る『言葉』で
生きる勇気を与えられる人が居るのも、又、事実であろう。
人は闇としての言葉からは
生きる勇気は生まれない。
言葉にも光があるからこそ、
人は言葉に頼るわけだ。
参考文献
https://blog.goo.ne.jp/jikisaim/e/c1717f913e2bf64135e278c1b5bfa160
基本的に無記の立場でしょうが、人が生きていくには何かしら道具が必要なる訳で、無明であっても頼りにしていくしか方法がないと言いますかね。一応言葉はモノと違い、生きている間は壊れる事はないですから、便利といえば便利な道具ですかね。
だからこそ凶器にもなる、とも言われる所以ですかね。「闇と光」も相対的な事ですから、善の根拠のように、根っこの部分は似たようなものでしょうかね。
とりあえず何事も半歩くらい手前で、敬虔を経験するというような姿勢が、大事なことかもしれませんね。
人は闇としての言葉からは
生きる勇気は生まれない。
言葉にも光があるからこそ、
人は言葉に頼るわけだ。<
無明が言葉として、闇とも光ともなる言葉なら、ソレがあっての言葉ではなく、言葉あってのソレというようなことになりますかね。
相対的な言葉としては
「大と小」「苦と楽」「生と死」「暗と明」・・etc
無明=言葉として設定しておくと、無我や実体などを考える上でも、物事が見やすくなるという事もありませんかね。これも、人それぞれの感じ方や捉え方もあるでしょうし、その矛盾の中でも、どんな言葉が勇気や光(救い)となるなるかは、性癖みたいなものもあるでしょうかね。
「いやぁ、仏教って本当に難しいものですね。」
(水野晴郎さん風に)
「諸行(=つまり、自分こそ)は無常な存在」この「世界観」。
だから「小児喘息で「死ぬ」ような「苦しみ」の中にある」。
これは思弁では解決できない。
道元和尚は、正師を求めて歩き回り、こいつはだめだを連発した。日本に帰ろうとした。
しかし、ダメもとで如浄禅師に会って、そこで修行を開始する。
大分経ってから、直接の質問を始める。
田舎の方言の老僧の発言を、
都市の中国語を習得した道元和尚が聞き取る。
師は「心塵・心に付く煩悩・脱落」と教えるが弟子は「身心・脱落」と聞き取る。
ここに「感応道交」が出現する。
道元和尚は、しつっこいから、肝心部分を何度も聞き確認する。日本では聞けないから。
師は「坐禅」をして「煩悩をなくする」ことが重要、と重ねて教える。
道元和尚は「それでは小乗仏教と同じではないか」と食い下がる。
師は「それでいい」と教える。
二人は「ここにズレ・誤解がある」と最後まで考えていない。
道元和尚は、主流の臨済宗の教えを批判し、如浄禅師ひとりが正しいとする。
だから「見性成仏」も批判する。
南師が言うには…
道元和尚は中国留学前に「答え」を予想していて、それに相応しい「師」を求めた、のではないか。
「答えに、ぴったし嵌まった」と直感した。
これこそ「感応道交」の現成!
そしてこれは「思弁の拒否」「密教の否定」となる。
原始仏教への回帰に向かった。
他方、日本仏教は「東密」「台密」「日本天台本覚思想」…密教に変質していた。
つまり「日本教」になってしまっていた。
「本地垂迹」「神仏習合」
南師は「まあ、そんなとこで、いいか」にはならない。
だから「仏教」「非仏教」を区別し、
『超越と実存』で丁寧に分析して確認する。
道元和尚とその点似ていらっしゃる。
これは、超有名な「歴史的な祈り」です。
原文が英語です。
だから「日本語に翻訳している」のです。
佛教そのものは簡単。
「諸行無常」、だから「諸法無我」。
これでおしまい。
「言葉」が覆い隠すから「難しいもの」となる。
一方通行でも、歴史上での思想の師は見つけられていたのでしょうから。
道元和尚は、非仏教が占めていた日本で開拓していくには、確固たる承認が必要だったのでしょうね。
ですが、本来仏なのに、なぜ修行するのか?という疑問を、身心脱落でどのように解決できたのでしょうかね。
その中には修行も含まれていますか。
それでも簡単なのですか?
英訳は日本語訳の間違えでしょうね。
釈迦スタイルもイエススタイルでしょうかね。
大脳皮質の「自己認識機能分野」「言語機能分野」の働きを低下・停止する「身体訓練」なのです。
そこに入って「低下・停止」して、そこから「徐々に出て、自己認識、言語機能を働かせ始める」。
この「低下・停止」と「回復」と何度も往復する経験から、
「自己の実体視」は、頭脳が作り出す現象だと解る。
「死苦」は、
「自己」は頭脳が作り出すもの、
と知ることで、解決・解消できるようになる。
これが「仏教」です。
ですが釈迦は、小児喘息でも何でもない健康体で、それを悟っていたようですので、そのような病気を問わず、さらに奥深く、根本的な問題に目を向けられていたということでしょうね。
そして、万人に通用しうるような思想に行き着いたのですね。
反復する事が修行なのでしょうかね。
釈尊はノイローゼ体質!
武士なので、「筋肉」粒々!
まだまだ、「若いにも」関わらず、
「老の苦」「死の苦」に苦しんで、
「家族」を捨て去り、
役目を捨て「国家」を捨て去り、
(後に、他国に滅ばされた。そんな危機的状況なのに)
所謂、蒸発した。
普通の若者には気にならないことに、耐えられなかったから。
言わば、釈尊は(現在で言う)強度のノイローゼ体質!
他人と「感受性」が異なっていた。
つまり、「壮年」で、丸「6年も」かかった訳だ。
その結果が「諸行無常」
南「少年」は、35歳でなく、
もう中学三年生で、
「感応道交」・・・
『諸行無常』という言葉に出会ったとき、『あ、これはおれのことだ』、って思ったな。
共鳴、共振、・・・「非凡」である。と思うが。
その承認は却下された。小乗仏教に過ぎないとして。「坐禅」はそのように見えてしまう。
京都で布教ができず、
(逆に、弾圧されて越前の山奥に逃げた)
後に、鎌倉での布教も失敗した。
だから、北陸、東北地方に、多くのお寺があるのだと思う。
それを拒否したってこと?
イエスちゃんといえすちゃんは同じ人?
ここに既存佛教勢力から弾圧を受ける。
道元和尚も京都の郊外に追い出され、
更には、そこからも追い出された。
日本達磨宗も弾圧され、組織毎、道元教団に逃げ込んで来たが、再び、越前に逃げ込んで入った。
中国から飛んだんだね。
それにしても寒いね
雪国地方は大変そう
感応道交って、言葉なくとも、目線や、雰囲気で交わること、だとすると認識?
南さんは「言語は無明」の中観派。
どこかで、言語と認識はよく似てるとも言ってたような。
認識に重点を置くと唯識派になるのかな。
認識と言語は同時発生?
誰か知識人教えてください。
https://m.youtube.com/watch?v=HXVnzcxBY2o
戦前の御話が聴けます。
https://m.youtube.com/watch?v=USs0OH1VQV4
長生きは仏様からのバツ⁉
御興味がありましたら、
https://m.youtube.com/watch?v=USs0OH1VQV4
併せて御覧下さい。
>感応道交って、言葉なくとも、目線や、雰囲気で交わること、だとすると認識?
言葉あっての認識なら、言葉が先だし、認識あっての言葉なら、認識が先だし、同じ事のようにも思えますけどね。
ですが同じ事となると、「言語は無明」=「認識も無明」って事になりますかね。
言語と認識はよく似てる、ということなら、同じ事ではないのでしょうが、どう区別したら宜しいものか、、出家して修行すると、わかるのでしょうか?
>誰か知識人教えてください。
高橋さん辺りに振っておきましょうか。そろそろ更新日ですので、夜中辺りに現れる事でしょう。
それともそれを、感応道交と言うのでしょうか?
https://m.youtube.com/watch?v=oVsD16K5-eU
➡選択に間違いはなかった
なぜ、務まるはずがないと思ったのだろうか、なんてことが気になりました。
宇井伯寿氏を連想しました。
http://d.hatena.ne.jp/pract/20050601
自分が親の立場になれば分かります。
院代の師匠もまさかこれほど長く続くとは思っていなかったのではないでしょうか。
父親の本棚に道元禅師関連の本があったと南さんは言っていたような。
その父親が認めた僧侶ということは、息子である南さんがその人を受け入れる、ということは自然なことかも、と思いました。
結婚相手を決める時は、自由意志によるのではない、実は遺伝子が決めている、なんて話をどこかで聞いたような。
茂木健一郎さんも、自由意志ではない、脳の無意識のレベルで既に決められている、というような話をしていたような。
しかし、会ってみて、諭すという手段が適切
ではないことが分かったわけです。
話しをしただけではとても済みそうにない。
むしろ、本人の気が済むようにさせてあげなくては気の毒だと思えたからです。
「あっ、これは違うな」と師匠は思ったわけです
親という立場からでは絶対に分からない事が
師匠には分かったわけです。
立場の下に在る者(入門者)に対して
自分の仏説を教え諭し伝授するという事では無くして、
>本人の気のすむようにさせてあげなくては気の毒だ
という同情心を起こす事が優先する??
過去仏方とは、あったのではないでしょうかね。古い道を発見され、お悟りを開かれたようですので。
古い古道の安らぎのドアを開けられたのです。
合う合わないなどで離れていくかどうかは、弟子の方の選択になるでしょうから、そこら辺の見極めや意の組み方など、事情も色々あるのではないでしょうかね。
なにやら、どこぞの組織と変わらないのじゃないだろうか。>
上納金によって役職を上げたりすると、住職の底上げにはならず、つまりは教団の底上げにも影響するでしょうにね。
https://blog.goo.ne.jp/karazima/e/46b3a3741e36bd0110fee7f874fc9dbd