お陰様にて、今年も恐山例大祭は無事終了しました。ご参拝いただきました皆様、お疲れさまでした。ありがとうございました。
期間中、たまさか受付のカウンターに坐っていると、突然、
「あらあ、やっぱり、いた、いたあ! 南さんとこのナオヤくんでしょ!!」
いきなり出家前の名前で呼ばれて、私はびっくり。目の前に80歳代と思しきご夫婦がニコニコしていました。
「びっくりしたでしょ!」
「はあ・・・・」
奥さんらしきご婦人、
「私、〇〇(高卒まで数年住んでいた家の地名)の、あなたの家の裏の、リンゴ畑の隣の家に住んでいた、カトウ(仮名)です」
(さすがにそれはわからんなあ・・・)
旦那さんのほうが
「本当にご立派になられて・・・」
「はあ、ありがとうございます、〇〇の・・・・」
この後、私の父母の昔話になったのですが、私にはまったくお二方の記憶がないのです。
この突然出現する、自分に記憶がまったくない人と、ほとんど興味のない昔話をしなければならない苦境に、このところよく陥ります。これもなし崩し的に続いてきた著書の出版と、場当たり的に出たテレビの副作用なのだと、最近は諦めています。
以前、出版社から転送されてきた、大学の同窓生という人からの手紙に、
「背の高い彼は、いつもトレンチコートの裾を翻し、斜め下45度を見つめたまま、兵隊のような大股で、まっすぐキャンパスを突っ切って行った」
という一節があり、大笑いしてしまいました。確かにあの頃、秋から春の半年くらい、3枚のタートルネックセーターと、一張羅のトレンチコートと、2枚のジーパンで暮らしていました。
つるむ友達もなく、妄想で頭を一杯にしながら、上の空でどこかを歩いていた当時の自分が、いきなりフラッシュバックのように記憶によみがえりました。確かにこの手紙の主は私を知っているのでしょう。が、それが誰だかまるで見当もつきません。
。
また以前、私が不在の恐山に、小学校の同級生を名乗る人物が現れ、受付で
「南くんはマンガと似顔絵が上手で、いつも周りを笑わせていた」
と話していたそうです。ところが、私は小学校の同級生など、誰一人として覚えていません。
地縁が薄く、帰属意識が極端に乏しい私は、引っ越しや卒業などのたび、それまでのことをほとんど全部忘れてしまうのです。
ただ、かろうじて修行道場時代の友人の縁は今もつながっていて、それはありがたく思っています。
ですが、私にはどこか、自分がこの世界のアウトサイダーであるという意識が残り続け、またそうあるべきだという思いもあって、帰属感が揺らぎます。
おそらく私は、道場に対しても宗門に対しても、真っ当に固まった帰属意識というよりも、いわば「渡世人」のごとき、「一宿一飯の恩義」のようなものを感じているのでしょう。その方がリアルなのです。
思えば、私は子供のころから、最後に安心して死ねる場所はどこだろうとずっと考えていました。それこそが自分の本当の「居場所」だと思っていたのです。
しかし、そのうちに気がつきました。そんな場所はない。死ぬまでの間は、どこであろうと「仮の宿」だと。
おそらくは、私の過去に対する意識の薄さ、その根にある、自分の存在に対する慢性病のような不安が、どのような場所にいても決して安住させないのでしょう。
「行雲流水」という言葉に、ロマンよりもやるせなさを感じてしまう私は、今更ながら、禅僧であることにさえ、どこか違和感があるのかもしれません。
期間中、たまさか受付のカウンターに坐っていると、突然、
「あらあ、やっぱり、いた、いたあ! 南さんとこのナオヤくんでしょ!!」
いきなり出家前の名前で呼ばれて、私はびっくり。目の前に80歳代と思しきご夫婦がニコニコしていました。
「びっくりしたでしょ!」
「はあ・・・・」
奥さんらしきご婦人、
「私、〇〇(高卒まで数年住んでいた家の地名)の、あなたの家の裏の、リンゴ畑の隣の家に住んでいた、カトウ(仮名)です」
(さすがにそれはわからんなあ・・・)
旦那さんのほうが
「本当にご立派になられて・・・」
「はあ、ありがとうございます、〇〇の・・・・」
この後、私の父母の昔話になったのですが、私にはまったくお二方の記憶がないのです。
この突然出現する、自分に記憶がまったくない人と、ほとんど興味のない昔話をしなければならない苦境に、このところよく陥ります。これもなし崩し的に続いてきた著書の出版と、場当たり的に出たテレビの副作用なのだと、最近は諦めています。
以前、出版社から転送されてきた、大学の同窓生という人からの手紙に、
「背の高い彼は、いつもトレンチコートの裾を翻し、斜め下45度を見つめたまま、兵隊のような大股で、まっすぐキャンパスを突っ切って行った」
という一節があり、大笑いしてしまいました。確かにあの頃、秋から春の半年くらい、3枚のタートルネックセーターと、一張羅のトレンチコートと、2枚のジーパンで暮らしていました。
つるむ友達もなく、妄想で頭を一杯にしながら、上の空でどこかを歩いていた当時の自分が、いきなりフラッシュバックのように記憶によみがえりました。確かにこの手紙の主は私を知っているのでしょう。が、それが誰だかまるで見当もつきません。
。
また以前、私が不在の恐山に、小学校の同級生を名乗る人物が現れ、受付で
「南くんはマンガと似顔絵が上手で、いつも周りを笑わせていた」
と話していたそうです。ところが、私は小学校の同級生など、誰一人として覚えていません。
地縁が薄く、帰属意識が極端に乏しい私は、引っ越しや卒業などのたび、それまでのことをほとんど全部忘れてしまうのです。
ただ、かろうじて修行道場時代の友人の縁は今もつながっていて、それはありがたく思っています。
ですが、私にはどこか、自分がこの世界のアウトサイダーであるという意識が残り続け、またそうあるべきだという思いもあって、帰属感が揺らぎます。
おそらく私は、道場に対しても宗門に対しても、真っ当に固まった帰属意識というよりも、いわば「渡世人」のごとき、「一宿一飯の恩義」のようなものを感じているのでしょう。その方がリアルなのです。
思えば、私は子供のころから、最後に安心して死ねる場所はどこだろうとずっと考えていました。それこそが自分の本当の「居場所」だと思っていたのです。
しかし、そのうちに気がつきました。そんな場所はない。死ぬまでの間は、どこであろうと「仮の宿」だと。
おそらくは、私の過去に対する意識の薄さ、その根にある、自分の存在に対する慢性病のような不安が、どのような場所にいても決して安住させないのでしょう。
「行雲流水」という言葉に、ロマンよりもやるせなさを感じてしまう私は、今更ながら、禅僧であることにさえ、どこか違和感があるのかもしれません。
仮の条件、仮の契約、仮の予約、仮の免許。
そして、仮の私。
恐らく悪い意味でしょうが、今は空気のような人になりたいです。
しかし、それがまさにそのことであったかは、やはり永遠にわからない。
何故なら「私」は「あなた」ではなく、「私」の「私」は「あなた」の「私」ではないからだ。
意識は、凄絶に、ひとりなのだ。
それぞれが等しく意識であるにもかかわらず、それぞれにやはりひとりであり、しかも永遠に、ひとりなのだ、この孤独は途方もない。
我々南さんファンとしては、出られて良かったのでは、と思います。永平寺におられたら、在家にとってこんなにリアルな著作を、沢山出されなかったでしょうから。南さんが永平寺にいられなかったおかげで、随分、助かってます。
南さんは菩薩になられた。ありがとうございます。
「なりゆきで」という言葉の感じ方も、人それぞれなのかもしれません。
その人の生き方が、その感じ方に影響するのではないでしょうか。
不安を隠さない御坊さんは、貴重です。人の弱さは、人を強くする面がありますね。よくも悪くも。
急き立てる声が
おいらの心にまで聴こえてくるよ
出る人 帰り来る人 華やいだ声に
町は夕闇せまり 賑わい見せて
来た はるばる来た街 知らない町
夢とっくに捨て さよならみんな
一人のセンチメンタルジャーニー
重たいトランク
果てないセンチメンタルジャーニー
古びたホテル
汽車に乗ってゆく日は数えてゆくさ
線路1マイル毎 心に刻んで
そんな時思うのだが おいらの旅は
いい事ありそうな天国への旅路か?
見たあなたの夢また 今夜も見る?
いや、想い出などさよならみんな
一人のセンチメンタルジャーニー
重たいトランク
果てないセンチメンタルジャーニー
始めと同じ