恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

「仮住まい」の私

2018年07月30日 | 日記
 お陰様にて、今年も恐山例大祭は無事終了しました。ご参拝いただきました皆様、お疲れさまでした。ありがとうございました。

 期間中、たまさか受付のカウンターに坐っていると、突然、

「あらあ、やっぱり、いた、いたあ! 南さんとこのナオヤくんでしょ!!」

 いきなり出家前の名前で呼ばれて、私はびっくり。目の前に80歳代と思しきご夫婦がニコニコしていました。

「びっくりしたでしょ!」

「はあ・・・・」

 奥さんらしきご婦人、

「私、〇〇(高卒まで数年住んでいた家の地名)の、あなたの家の裏の、リンゴ畑の隣の家に住んでいた、カトウ(仮名)です」

(さすがにそれはわからんなあ・・・)

 旦那さんのほうが

「本当にご立派になられて・・・」

「はあ、ありがとうございます、〇〇の・・・・」

 この後、私の父母の昔話になったのですが、私にはまったくお二方の記憶がないのです。

 この突然出現する、自分に記憶がまったくない人と、ほとんど興味のない昔話をしなければならない苦境に、このところよく陥ります。これもなし崩し的に続いてきた著書の出版と、場当たり的に出たテレビの副作用なのだと、最近は諦めています。

 以前、出版社から転送されてきた、大学の同窓生という人からの手紙に、

「背の高い彼は、いつもトレンチコートの裾を翻し、斜め下45度を見つめたまま、兵隊のような大股で、まっすぐキャンパスを突っ切って行った」

 という一節があり、大笑いしてしまいました。確かにあの頃、秋から春の半年くらい、3枚のタートルネックセーターと、一張羅のトレンチコートと、2枚のジーパンで暮らしていました。

 つるむ友達もなく、妄想で頭を一杯にしながら、上の空でどこかを歩いていた当時の自分が、いきなりフラッシュバックのように記憶によみがえりました。確かにこの手紙の主は私を知っているのでしょう。が、それが誰だかまるで見当もつきません。

 また以前、私が不在の恐山に、小学校の同級生を名乗る人物が現れ、受付で

「南くんはマンガと似顔絵が上手で、いつも周りを笑わせていた」

 と話していたそうです。ところが、私は小学校の同級生など、誰一人として覚えていません。

 地縁が薄く、帰属意識が極端に乏しい私は、引っ越しや卒業などのたび、それまでのことをほとんど全部忘れてしまうのです。
 
 ただ、かろうじて修行道場時代の友人の縁は今もつながっていて、それはありがたく思っています。

 ですが、私にはどこか、自分がこの世界のアウトサイダーであるという意識が残り続け、またそうあるべきだという思いもあって、帰属感が揺らぎます。

 おそらく私は、道場に対しても宗門に対しても、真っ当に固まった帰属意識というよりも、いわば「渡世人」のごとき、「一宿一飯の恩義」のようなものを感じているのでしょう。その方がリアルなのです。

 思えば、私は子供のころから、最後に安心して死ねる場所はどこだろうとずっと考えていました。それこそが自分の本当の「居場所」だと思っていたのです。

 しかし、そのうちに気がつきました。そんな場所はない。死ぬまでの間は、どこであろうと「仮の宿」だと。

 おそらくは、私の過去に対する意識の薄さ、その根にある、自分の存在に対する慢性病のような不安が、どのような場所にいても決して安住させないのでしょう。

「行雲流水」という言葉に、ロマンよりもやるせなさを感じてしまう私は、今更ながら、禅僧であることにさえ、どこか違和感があるのかもしれません。
 

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324 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
 (文月)
2018-07-30 00:39:34
仮の言葉たち。

仮の条件、仮の契約、仮の予約、仮の免許。

そして、仮の私。
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Unknown (Unknown)
2018-07-30 00:49:12
困ったように愛想笑いをなさる姿を想像して、夜中に笑ってしまいました。見ず知らずの私にこんな風に思われていることも有名税といったところでしょうか。子どもの頃から安心して死ねる場所はどこだろうかと考えていたなんて、流石に非凡な人は違いますね。こんな、ちょっと楽しい記事にもまた難しいコメントが投稿されるのが楽しみです。
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Unknown (Unknown)
2018-07-30 00:49:38
教官から昔、「君は空気のようなだな。空気のような人になっちゃアカンよ。」と言われたことを思い出しました。

恐らく悪い意味でしょうが、今は空気のような人になりたいです。
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Unknown (Unknown)
2018-07-30 00:59:56
身に覚えのない過去話をされると、自己同一性が崩れそうな感じがしますね。
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Unknown (Unknown)
2018-07-30 01:09:13
認知症ではないのですか?
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他者に (榮久)
2018-07-30 04:08:52
他者が考えているそのことはわからないことではない。
しかし、それがまさにそのことであったかは、やはり永遠にわからない。
何故なら「私」は「あなた」ではなく、「私」の「私」は「あなた」の「私」ではないからだ。
意識は、凄絶に、ひとりなのだ。
それぞれが等しく意識であるにもかかわらず、それぞれにやはりひとりであり、しかも永遠に、ひとりなのだ、この孤独は途方もない。
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Unknown (Unknown)
2018-07-30 04:51:46
永平寺にずっと居たかった、と書かれていたことがあったと思いますが、今はいかがですか?

我々南さんファンとしては、出られて良かったのでは、と思います。永平寺におられたら、在家にとってこんなにリアルな著作を、沢山出されなかったでしょうから。南さんが永平寺にいられなかったおかげで、随分、助かってます。

南さんは菩薩になられた。ありがとうございます。
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Unknown (紫蘇)
2018-07-30 06:04:34
『「行雲流水」という言葉に、ロマンよりもやるせなさを感じてしまう私は、今更ながら、禅僧であることにさえ、どこか違和感があるのかもしれません。』

「なりゆきで」という言葉の感じ方も、人それぞれなのかもしれません。
その人の生き方が、その感じ方に影響するのではないでしょうか。
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Unknown (Unknown)
2018-07-30 10:37:06
~らしくなくても、需要があるのですから、供給し続けて下さい。
不安を隠さない御坊さんは、貴重です。人の弱さは、人を強くする面がありますね。よくも悪くも。
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Unknown (Unknown)
2018-07-30 22:19:24
もうすぐバスが出ると
急き立てる声が
おいらの心にまで聴こえてくるよ
出る人 帰り来る人 華やいだ声に
町は夕闇せまり 賑わい見せて
来た はるばる来た街 知らない町
夢とっくに捨て さよならみんな
一人のセンチメンタルジャーニー
重たいトランク
果てないセンチメンタルジャーニー
古びたホテル

汽車に乗ってゆく日は数えてゆくさ
線路1マイル毎 心に刻んで
そんな時思うのだが おいらの旅は
いい事ありそうな天国への旅路か?
見たあなたの夢また 今夜も見る?
いや、想い出などさよならみんな
一人のセンチメンタルジャーニー
重たいトランク
果てないセンチメンタルジャーニー
始めと同じ
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