昨日の夕食メニューをなかなか思い出せない身になってみると、いわゆる「記憶の風化」は仕方のないことだと思わざるを得ません。
しかし、経験はそれこそ心身に刻み込まれ、時に意識の底に沈み、また浮上することはあっても、決して風化することはありません。
「風化」の真の問題はまさにこの違い、つまり、当事者の直接の経験と、必ずしも当事者とは言えない者の記憶との、ギャップだと思います。
東日本大震災直後から3年くらいは、恐山にお参りに来られたかなりの被災者が、その生々しい経験を自ら話して下さることがありました。そういう機会が重なるうち、私は次第に、被災者ご自身に話したい気持ちがあるのだと、感じるようになりました。
ところが、5年を過ぎた頃から、被災者の方々から当時の経験や気持ちを伺うことが、急に減ってきたのです。
私は、被災から受けた心身のダメージが癒えてきて、話が出てこなくなったのだと、始めは思いました。しかし、違いました。端的に言うと、被災者は我慢しているのです。被災の経験、それに続く生活の再建、打ち続く困難。それをもう、他人に話すことを諦めている。私にはそう思えました。
「いまさら言ってもしょうがないですもんね」
ある中年男性の被災者がぽろっと漏らしたひと言です。これが経験と記憶のギャップでしょう。
風化する記憶しか持たない人に、もう経験を話しても通じないどころか迷惑だろう。そう考えているのではないか。
たとえ被災の事実を共有していても、被災の経験は人それぞれで、5年も経つとお互いの立場も境遇も、大きく違ってしまいます。すると、たとえ同じ被災者に対しても、自分の経験を語ることは躊躇われるのではないか。
私は今、この状況を心配しています。経験は語られることで意味を持ち、当事者の実存に場所を得、「自己」に統合されていきます。というよりも経験は語られることで初めて経験となるのです。そうでなければ、それはただの出来事、あるいは「原体験」にすぎません。
経験となりきらず、自己に位置づけられない出来事は、それが大きく深いほど実存を動揺させ続け、ついには亀裂を生じさせ、場合によっては心身の不調として顕在化するでしょう。
とは言え、現実に被災者は容易に語り難いとすれば、どうするのか。私にもさしたる答えはありません。
ただ、こちらがただ当事者の話を聞く気になっているだけではもう通用しないでしょう。そうではなくて、まず対話をはじめることが大事だろうと思います。始まりが困難な経験の話でなかったとしても、対話が続くうちに、それが浮上してくるかもしれません。そして対話がさらなる語りを促すかもしれません。
恐山は、それを可能にする場所の一つだと、私は思います。そして、自分がその対話の相手となることができれば、僧侶として本当にありがたく思います。
しかし、経験はそれこそ心身に刻み込まれ、時に意識の底に沈み、また浮上することはあっても、決して風化することはありません。
「風化」の真の問題はまさにこの違い、つまり、当事者の直接の経験と、必ずしも当事者とは言えない者の記憶との、ギャップだと思います。
東日本大震災直後から3年くらいは、恐山にお参りに来られたかなりの被災者が、その生々しい経験を自ら話して下さることがありました。そういう機会が重なるうち、私は次第に、被災者ご自身に話したい気持ちがあるのだと、感じるようになりました。
ところが、5年を過ぎた頃から、被災者の方々から当時の経験や気持ちを伺うことが、急に減ってきたのです。
私は、被災から受けた心身のダメージが癒えてきて、話が出てこなくなったのだと、始めは思いました。しかし、違いました。端的に言うと、被災者は我慢しているのです。被災の経験、それに続く生活の再建、打ち続く困難。それをもう、他人に話すことを諦めている。私にはそう思えました。
「いまさら言ってもしょうがないですもんね」
ある中年男性の被災者がぽろっと漏らしたひと言です。これが経験と記憶のギャップでしょう。
風化する記憶しか持たない人に、もう経験を話しても通じないどころか迷惑だろう。そう考えているのではないか。
たとえ被災の事実を共有していても、被災の経験は人それぞれで、5年も経つとお互いの立場も境遇も、大きく違ってしまいます。すると、たとえ同じ被災者に対しても、自分の経験を語ることは躊躇われるのではないか。
私は今、この状況を心配しています。経験は語られることで意味を持ち、当事者の実存に場所を得、「自己」に統合されていきます。というよりも経験は語られることで初めて経験となるのです。そうでなければ、それはただの出来事、あるいは「原体験」にすぎません。
経験となりきらず、自己に位置づけられない出来事は、それが大きく深いほど実存を動揺させ続け、ついには亀裂を生じさせ、場合によっては心身の不調として顕在化するでしょう。
とは言え、現実に被災者は容易に語り難いとすれば、どうするのか。私にもさしたる答えはありません。
ただ、こちらがただ当事者の話を聞く気になっているだけではもう通用しないでしょう。そうではなくて、まず対話をはじめることが大事だろうと思います。始まりが困難な経験の話でなかったとしても、対話が続くうちに、それが浮上してくるかもしれません。そして対話がさらなる語りを促すかもしれません。
恐山は、それを可能にする場所の一つだと、私は思います。そして、自分がその対話の相手となることができれば、僧侶として本当にありがたく思います。
ふらふらして、風化しちゃって、作り替えることができるシステムが作り出すものが「自分」?
まあ、そうだよな、って気はする。
あらかじめ「自分」というものを設定している時点で非縁起的である、みたいな?
だから仮設し続けなくてはならない
そういうこと?
当事者ではなく、経験者ではなく
記憶の中にだけある「実存」
そういうこと?
新記事誕生。
心機一転して
遣り直し致しませふ!!
コメント群がブログ管理者の意図を
くみ取らず徘徊し始めれば
貪瞋痴のゾンビが辺りを汚すのだ。
なんの「おことわり」もないけど、もしかしてブログの機能の不具合かしら?
それともコメントの何かが都合が悪くてコメント機能を停止させたのかしら?
それなら今回は「削除」じゃなくてなぜ「停止」なのかしら?
少子高齢化社会というのは、
「歳をとったから隠居する」ことができなくなる社会、でもあるでしょうね。
「歳をとったから隠居する」ことができるのは「特権階級」なのかもしれません。
申し訳ないですけど、60歳で年寄り風吹かせられるなんて贅沢ね と思ったり、するんですよ。
>人間を修行しなければならない理由はここにあります。
自己の我ばかりを言い立てる現代的思考でもって、「素材の秘密」を引き出す事など不可能ですし、まして「一つの味」に到達するのは無理と言うものです。
不快な事をされれば人は怒ります。
それと同じく口の無い食材は頑なに秘密をガードします。
人が慈しむ心に、初めて食材は軽やかに秘密を語り始めるのです。
最終的な料理の鍵は素材が握っているんですよ。
対話のヒント。
鍵は僧侶が握っている。
そして、語り継がれている。
主人公の役に合う僧侶は誰だろうか、と考えてみた。
https://blog.goo.ne.jp/karazima/e/43453e8b33f29fa59c00b2fb2e8dd415
合う?
地震のせいやない。
風化のせいやない。
何のせいや?
せやろ!
強要するな せやろ
自問してみたら せやろ
うなずく ことは 出来ない せやろ
今さら結婚後悔してもな、しょうがないわいね。
せやろ?
人と話す前にな、かあちゃんと話できよるか、ようけ見直したがよいわい。我慢は爆発の元わいね。
せやろ?
阪神淡路大震災から8年、というと、もしかしたら
「奥さんと出会ってからお山をおりるまで」
くらいの時期なのか。
なるほど。
兼業してる方が収入も高く、本業のようになっているなら、僧侶である必要はないでしょうか。
今のシステムは、僧侶だけでなく、信者の意識もおかしくしているようですよね。
例えば兼業僧侶は、袈裟を身に付けたり法話する資格を剥奪されるシステムとすると、どうなるでしょう?
それは、僧侶側だけでなく、信者側にも責任が出て来る、ということです。僧侶を必要としないで、御布施をしていない訳ですから。僧侶の食いぶちは、信者に掛かっているという自覚です。
自分達ができない修行をされている僧侶として、自覚してもらう必要性もあるということです。
必要ない、と切り捨てるような信者なら、その程度の生き方しかできないまま、一人でモンモンとした人生を、自分本意に歩むだけのことではないでしょうか。
話が反れましたが、そこら辺も踏まえたシステム作りがキモではないかということです。
中年男性のように、周りを気にすることなく、しょうがないことでも話せるような環境や、僧侶の存在に需要はある訳で、教師や芸人などとは役割が違う、訳が違うわこです。
多様性にも程があるということです。
「嵐にしやがれ」を見ていたら、「ドドん」というお笑いコンビの一人がお坊さんの格好していて、悪い冗談止めてよと思っていたら、それどころか、住職資格を持つという「本物」のお坊さんで、しかも、曹洞宗・・・、アホか。
3.11のブログに震災の話題が
https://ameblo.jp/yasudaisida/
ある訳がない。
不謹慎ですが、ヤツに銃乱射をしたくなりました。すみません、「思っただけ」です。
ユヴァル・ノア・ハラリ氏
『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』(河出書房新社)
35ケ国で400万部突破!?
これも一歩間違えると、危険な領域を招きかねませんかね。
2年前から計画して、文章にまでしていたという銃乱射野郎に読ませたい。
https://blog.goo.ne.jp/jikisaim/e/df4cb832e8c3be41cb56879f985fb602
言わなきゃ尚わからない。
https://blog.goo.ne.jp/jikisaim/e/804d1df8e31fb93d433203d377957a04
今さら言ってもショウガナイかは
わからんぜ!!
https://blog.goo.ne.jp/jikisaim/e/e882b05d67e8f6f5de52355824b9cb0d
頼むぜ、恐山おじさん!
ニュージーランドでの銃乱射は、イスラム教徒への憎悪ということでしたが、個人的な憎悪ではなさそうなところを見ると、宗教のせいにした、これも己の劣等感や優位性を保持したい、思い通りにしたいが故の犯行だったということでしょうね。
現世利益というマボロシに嵌まる人は、不利益な世界に生み落とされた事態を充分に承知していて、それを消化または昇華したいだけのような気もする。
残酷な言い方かもしれませんが。
「人はどのような時に宗教を求めるのか?」
今さら話しても、しょうがない事ばかりですが!、しょうがないない事にしてたまるか!、という精神。
宗教のテーマは「現世利益ではない」!
せやろが!
ってか、現在利益って何?
政治について、宗教は口出しをしないで欲しいと書かれているわけです。
即ち、政治は信仰の対象にはならないということであり、依り処ろにするものではないというわけです。
そんな政治がやろうとする事には、元々信仰が無いわけですから、当然、放律や怪律がやたらと多くなるわけです。
信仰の無い「幸福追求学」
これは仏教を学ぶことよりも、はるかに難しいことだと思います。
せやろがっ!
風化するもんは風化せんわいね。
せやろ?
老化するもんは老化せん、病んだもんは病まん、死んだもんは死なんわい。これをな、生老病死からの解脱ゆうわいね。
せやろ?
そりゃ世界中から、オファーも殺到するでしょう。
仏教界のトップランナーか。
浄土真宗にしておくのは勿体無い感じ?ですかね。
>春出版予定の僧侶・松本紹圭さんとの共著本「トランジション 何があっても生きていける方法(春秋社)」の第2章を無料公開中。
「仏教を活かし、おそれを手放しながら生きること」について書いています。2章はおそれなき世界に移行していく私自身の人生の振り返りです!
link:
https://mobile.twitter.com/shoukeim
ところで、食事メニューの物忘れや、恐山への呼び込みでしたら、Twitterなどを利用してみるのも、有効かもしれませんね。
騒がしいだけですかね。
だから、日本仏教界は「仏教は『宗教』をやめますキャンペーン」を展開してはどうかと考えたりします。
https://higan.net/hijiri/2019/01/mirai01/
そうなると、「仏教か仏教以外」という括りも不要になりますかね。
http://www.kk-bestsellers.com/articles/-/6158
一応。
しょうがないという現実を受け入れることが
もはや、しょうがないわけです。
現実をしょうがない事【諦め】として受け入れるのではなく、現実を受け入れるに値しない、しょうがない事【明らか】として受け入れることが本筋です。
でなければ浄土は成立しませんし、次にも進めません。
次を考えます。
進むものは進まない。
「今さら以前」には
しょうがあることが
あったということか?
しょうがない世界に
しょうがなく生まれ
しょうがなく生きて
しょうがなく死に逝く
もともと
しょうがない定め
オサライさんはそれで次に進めますか?
自分の思い通りにならないから人は苦しむ。
>この「しょうがない」という言葉は、通常は英語では「It can’t be helped.」と表現されます。直訳すると、「それは、助けられない/避けることができない」という意味になります。
https://toyokeizai.net/articles/-/144359?display=b
>「しょうがない」は現実を受け入れる言葉です。
現実を受け入れるとは
自分が頭の中に描いているだけの
願望や期待や要求を
諦めて手放すことです。
そういう自分の頭の中のことより、目の前に起こっていることに重心を移して、ただそのままにすることです。
そうやって現実を受け入れることができたら、
「じゃあ、どうしようか」という次に進めます。
https://todaysseaway.ttcbn.net/archives/7541
本当にあるのは「仮設住宅」だけなのです。
そして、法華経の「神力品」。
どこでも、いつでも、釈尊に逢える。
・・・恐山に行かなくても。
道元和尚は死期が迫って来て、神力品を唱え続けた。
死者は、自己の投影である。
死者は、自己の内で生き続ける。
死者と自己とは連続している。
生き残りの人が、証言中にフラッシュバックで体調が悪くなり、証言ができなくなるのを何度か目の前で見た。
高齢であるにもかかわらず、歴史の証言という使命を担って、日本にきているのに。
証言する事で、自分の南京大虐殺の苦難を乗り越えようとしていた。
幼児の時にレイプされ、その後遺症で排尿の困難が続いていることまで、人前で述べる。泣き出すまでの苦難。
他方、加害者の日本兵たちの証言がない。
誰もしない。自分の秘密にしたままで死ぬ。
黙れ!、という戦友会の巨大な圧力も。
部隊の恥さらしになると。
平和な日本・日常の中で、戦争中の精神状態を理解しては、もらえない、という諦めもある。
戦争は、自然災害ではない。
被害の証言、加害の証言、なされないまま、消えていく。
南京大虐殺の被害の証言は、その苦しみを見てきた子供たちが、親の意志を引き継ぐ形も現れている。
日本兵の加害の証言を引き継ぐ者はいない。
何故ならそこには信仰があるからです。
そんな気がします。
>経験は語られることで意味を持ち、当事者の実存に場所を得、「自己」に統合されていきます。というよりも経験は語られることで初めて経験となるのです。そうでなければ、それはただの出来事、あるいは「原体験」にすぎません。
釈尊の初転法輪とリスクする場面に映りました。ですが、釈尊の原体験とは内容が違い過ぎますかね。
イザって時にな、サラっと効く語を使えたら上等わいね。
せやろ?
後はどうでもよいわい。坐禅するわいね。
満8年が過ぎた。
「いまやもう話を聞く気でいるだけでなく、対話をはじめることが大事なのではないか」
ってことは「これからそうしようと思う」ってことでしょ?
ってことは3年ほどの間に来られた方は「我慢」したままお帰りになっていたかもしれないってことでしょ?
でも、我慢させていた当事者という気はしてないみたいな文章だと思う。
「癒えたのかと思ったんだけど違うんだって分かった」
この記事って、被災者について語っているというより、
被災者についてこのように「考えた」という「原体験」を、
語ることによってそれを経験に変え、実存に場所を与え、自己に統合させる作業の一形態、
とかそういうのなのかな。
自分を、○僧侶のように律していくしかないのでしょうかね。
🐛「おいら、M和尚の胸で泣きたい。」
🐞「はあぁ?
あの方、胸板も薄そうだけど。」
🐛「薄っぺらい方が、おいらには向いてる。ワンワン泣いてやる。」
🐞「それって、ありがた迷惑かも。」
🐛「行為が大事って言ってた。」
🐞「それって行為?」
🐛「それに、フトコロが熱いか確かめたい。」
🐞「話が専門な人は、フトコロも浅そうな感じするけど。」
🐛「もう還暦みたいだし、通用しないとオカシイよ。」
🐞「あの方も経験すれば、1週間前のメニューが、思い出せるようになるかもしれないね。」
🐛「きっと、ありがたい話にもなるはず。」
🐞「山に着くまで、死なないようにね。」
まあまあZIPさん。
殺したところで、文句どころか、一文にもなりませんよ。
ですが、殺意を持たれてる人もいうことでしたら、「見直し」をされた方が宜しいかもしれませんね、記事あげる前に。
被災者から殺されても、おそらく文句は言えないでしょう。
そこから傷口が癒えていく、というより、そこからしか癒える事はないようにも思いますね。
高橋くんへ
~父母未生以前の自己如何~
https://search.yahoo.co.jp/amp/s/hidemaro25.exblog.jp/amp/15600757/%3Fusqp%3Dmq331AQECAEoAQ%253D%253D
参考までに。
で、
M和尚の斜め読みや如何に⁉
恐山の門を開いてみませんか?
悟りは開けませんが。
話して「再び」経験するとなるなら、相手が迷惑するとか以前に、話せない話したくない出来事になるから、だから話さない、話せなくなるのかもしれませんね。
さ迷う叫びを、自己が受け入れてくれないから、だから統合できずに、苦しみが根深いものとなる、という事なのでしょうか。
そうであるなら聞く方は、軽々しく「ありがたい」とは言えないでしょうが、苦を引き受ける僧侶としては、「ありがたいこと」なのかもしれませんね。
「さう旨くは行かないよ」
<新潮社のPR誌「波」(1976年9月)の表紙に、ドイツ文学者の高橋義孝が漱石の日記の言葉「さう旨くは行かないよ」を揮毫していた。>
何か「物足りない」という時など、少し抜粋。
新鮮なうちは、なんでも楽しい。
人は良くも悪くも慣れるものです。
時間の経過とともに、慣れてきて、飽きてきて、嫌になってくる。
自分にない物を欲しがり、
今まで経験したことのないことをして、未知の世界にワクワクした楽しみを感じます。
しかし、こういった「楽しみ」には、決定的な欠点があります。
無かったものを手に入れた瞬間に、新鮮さは失われ、経験を繰り返すほどに、飽きてきて、既知の世界は、平凡で退屈な生活に変じてしまいます。
「新鮮な刺激」は、時間の経過とともにメッキがはがれ、「慢性的な退屈さ」となる運命から逃れることができません。
「苦しみの新しい間を楽しみといい、楽しみの古くなったのを苦しみという」
「彼は門を通る人ではなかった。
また、門を通らないで済む人でもなかった。」
どっちだ?
周りが風化してようがしてまいがな、話したいなら話せばよいわいね。
せやろ?
話す人間がおらんならな、犬でも猫でもよいわいね。落ち着く相手でも場所でも見つけてな。
わしゃ、坐禅するわいね。
本設があるはず!
となるのは、
凡夫ユエン?
決定において、何より自己決定が、最も難儀でリスクが高いような気がしますが、如何でしょう。
私達が住んでいる身体という家は、即ち仮設住宅というわけです。
仏達が住んでいる仏家という家は、即ち本住宅となるわけです。
でも、これがMスタイルなら、風化しないで欲しい、ような?
前線で善戦まっしぐら
周りは
聴き手に、痛みを共有できる素養がないことには、重い痛みを背負っている話し手の口を開くことは、無いのではないでしょうか。
私は特別な素養もない一般人ですが、最近に、自分の本音を話す事がない知人から、胸の内を打ち明けられた出来事があり、その経験からもそう思う次第です。
どんなに時間が掛かっても、事が深刻であればある程に急がず、慎重に待つ姿勢も大事かと思いました。
只その時に、相手が必要としているだろう言葉を持ち合わせておらず、自分の至らなさや愚かさも痛感した次第です。
経験にも、実経験と類似体験と、聞いただけの経験と、聴いて話す経験など、色々あるかとは思いますが、ここでは、体験は話さないと「経験」にはならないと。
ならば経験とは、「伝言」とも言えるでしょうか。
決定の参加者にとってはリスクであり、
決定に参加しない結果だけを甘受する者には危険となる。
原発の決定に参加した者達はそのリスクを引き受けないわけです。
彼らにとって追悼は、引き受けられないことを保留したまま存続しようとする無責任な態度を隠蔽するための偽装に過ぎないわけです。
本来ならリスクは覚悟として引き受けるべきことです。
私達が住んでいる国家という家は、即ち仮設住宅というわけです。
YouTubeで見た時、挨拶のときと、シビアな問題について発言する時、まるで目つきが違った。それなりに覚悟を決めて発言してると思う。
個人的には危険な発言はしないで欲しいな。もう還暦なんだし…。
事故で現状把握も難しいのが何基も並んでるヤツの。
ヒネクレもんの悪タレだから、わざと夕食のメニュー健忘なんぞを持ち出してくる。
見え見えのバレバレですから!
「自にも不違なり、他にも不違なり…他をして自に同ぜしめて後に自をして他に同ぜしむる道理あるべし。自他は時に随うて無窮なり。
海の水を辞せざるは同事なり。この故に能く水聚まりて海となるなり。」
(『修証義』第四章)
仮設住宅好きなZIPさん
これは、仮設の方が、孤独になり難いという事でしょうか。
南さんは、お話しに来た人に、あからさまに拙い対応なんてしないでしょ。
その自信があるからこそ、「はじめはもう癒えたのかと思ったけど違ったわ」ってさらっと言えるんでしょ。
もし、「癒えたのか~」と思っての対応が「外してたかも、失礼だったかも」みたいなことだったら、そんなさらっと流せないでしょ。
他者を救うなどという
大それた事は
全然、マッタク、此れっぽっちも出来はしないが、
そう言う点では仏教者としては恥ずかしき限りではあるのだが・・・
だがしかし、
悩める人が
M和尚だけには、自分の心を開いて
自分の話を聞いて欲しいと思える様に成れば・・・、
その人は自らを救えるのである。
今回はそんな話だったのでしょうか。
合掌
会話を重ねていく内に打ち解け、ダメージを話せる話せないは別にしても、信頼関係を築いていけると宜しいですね。
傷口に塩を塗りかねませんしね。
タダより怖いものはないとは、このことでしょうかね。
10年前頃に、それなりにショックを受けられた出来事はなかったのかと思う次第です。
いつでしたか、自分にとっては重要なことを話せた際に、相手から頓珍漢な相槌をかまされ、話して後悔した事を思い出してしまいました。
被災者様方も、そのようなことになりませんよう、祈念申し上げます。
https://blog.goo.ne.jp/karazima
そろそろ「法身」について、応じてあげて頂けませんか。
少しは慰めとなるやもしれません。
どう引き出せるか?
器も必要となる事でしょう。
というか、
精神科医や心理カウンセラーなど、心身ケアの専門家が機能していない、という現状でしょうか。
と、言い出す輩がいる場合、倫理的にどう問いますか。
生意気云って、すみませんが。
関係と行為とは何か?
明らかにされた事はありますか。
「自然現象Aによって、地震Bが起こった」
「よって、被災者C存在が現出した」
これは、非縁起的となる。
なぜか?
中論的縁起でいくと、Cが関係したり行為していないから、非縁起的となる。
縁起の範疇は、あくまで無明から生じた事柄となる、ということなのだろう。
臨床仏教和尚M男さんには「業M」がある。
M和尚は自分の抱える「業M」に加えて、
彼よりも深いAさんの「業A」と
Bさんの「業B」と、~~、Kさんの「業K」の全てを抱え込む事は出来ない。
M和尚はどうやって
A~Kさんを慰めるべきだろうか??
Mさん自身の「業」より深い
A~Kさんを慰め得るとしたら、
モハヤそれは『超越』を語るしかない。
超越を語れないのなら、
出来る事はただ一つ・・・
無口でいるしかない?????
男のM和尚には
涙を流す事は出来ないだろうし・・・
諸行無常に諦念するしかない・・・
2000/10/6 鳥取県西部地震
2001/03/24 芸予地震
2003/09/26 十勝沖地震
2004/10/23 新潟県中越沖地震
2007/03/25 能登半島沖地震
2007/07/16 新潟県中越沖地震
2008/06/14 岩手・宮城内陸地震
2011/03/11 東北地方太平洋沖地震
2011/03/11 長野県北部地震
2016/04/04 熊本地震
2018/09/06 北海道胆振東武地震
今日はこれから地元での3.11集会
ダメな人間の考え方では諸行無常の解釈も浅はかなわけです。
死を看取った家族と医者の立場の違いを
表現した如くで在りますね。
医者が
家族と同じ感情の波に嵌り込んで居たなら医者の精神はもたない。
医者として生きていけなくなる。
医者としての医療行為は続けていけなくなる・・・
これは臨床仏教師でも同じ事に成るでしょう。
世の中はそんな風に出来ているものです。
すべからく諸行無常に諦念せねばならないのです。
悟れないから、いつまで経ってもダメダメ。
和尚と中年男性が逆の立場でも、たぶん似たようなものでしょ。
所詮、他人事、みたいな。
あ~あ
釈尊とイエス様と道元禅師と良寛さんと一休さんと、あと誰だ
本当に対話してもらいたい相手
たぶん南和尚も、でしょ?
あと龍樹尊師もかな
癒えると忘れるは、どう違うわいね。根深いダメージゆうんはな、癒えるゆうのは忘れただけで、忘れたゆうのは癒えてないからやろ。
せやろ?
簡単には片付かんわい。片付けんでもな、片付けたフリでもな、片付いたことにしてもな、何でも構わんやろ。
生きるゆうのが、足掻くゆうことならな、それは生きてるゆう証しやろ。
足掻いて生きて、足掻いて死ねたら上等わい。
せやろ?
この場合、記事を読んですぐわかるのは、2つのダメージの差がレベル(深度)の差ではなく、質の差に成っているということです。
禅定と比較するものではないでしょうが、質の違いだから、ダメージに序列化できず、ギャップが生じているのです。
肝心なのは、質の違いで、共通性ではないのです。
一方は「大したダメージを受けていないから、風化している。」
一方は「かなりのダメージを受けているから、風化していない。」
ここで深度を問うなら、「今さら」か「今さらでないか」の序列化になるでしょうか。
南さんは恐山にいて、来てくれる人の相手をしてた、
「だから」、もう月日も経ってダメージも癒えてきたのかな?とか思ったんでしょ?
なのにまだ「恐山のありがたいお坊さん」として言うの?
まるっと根こそぎズタズタにやられても10年経たないで「癒える」と思える。
阪神淡路大震災でいうなら2003年当時かそれより前のことになる。なら今やもうすっかり「癒えてる」?
なんかもう結構本気でやだ。
それでも、南さんのことをありがたいと思って来てくれる人はいるんだよ。
電池は切れるし頻繁に交換が必要となるわけです。
幸福という懐中電灯は、死という光を生きる者にとってはむしろ暗がりを拡げるだけであり、躓きの元であり、災いの素になるものでしかないわけです。
苦が現実であり真実です。
死苦以外からは根源的自発性が芽生えることは決してありません。
ありがたいと思われる僧侶に成って下さいね。
僧侶の行為をすれば、僧侶に見える。
衆生を救う行為をすれば、衆生を救う者に見える。
行為をすれば、そのように見えるだけ。
ゴーン氏も、社長に見えただけの元社長。
「衆生を救う者」は衆生を救わない、じゃなくて?
でも、なんかそういうの、「で?」って感じではある。
というか、
南さん、福島県三春町の住職さんと東日本大震災後お話ししたことあるかなあ、
なかったらお話ししてみて欲しいなあ
と思ってる。
震災で周りは死に逝き、自分だけが身体に障がいを持って、生き残ったという高齢者。
それでも生きる。
生きている、という事態において、寄り添えるのが宗教者なら、安心できる存在であってほしい。
生きるを考える。
これによると、AとBの存在は、前提にない。
そうなると、「AによってBが起こった」とはならない。
だからして、Aは無常か無我を前提にして、考えてみる。
すべからく、無常Aや無我Aなどはなく、関係や行為する因縁によって、存在○となる。
ゆえに、縁起。
つまるところ、Aは正体不明。
前日の夕食メニューは忘れても、食べられたことは覚えられているようで、安堵しました。
認知症予防も怠らず、今後のご活躍をお祈り致します。
最初から「僧侶」という存在を設定しているところで既に非縁起的である、みたいなことでしょうか。
本当におっしゃる通りと思われます。
私も「原体験」に留まり、辛いともそうでないともいえない、名状しがたい状態が長く続いたことがあります。
『ただ、こちらがただ当事者の話を聞く気になっているだけではもう通用しないでしょう。そうではなくて、まず対話をはじめることが大事だろうと思います。始まりが困難な経験の話でなかったとしても、対話が続くうちに、それが浮上してくるかもしれません。そして対話がさらなる語りを促すかもしれません。』
方丈様、誠にありがとうございます。
心より深く感謝申し上げます。
僭越ながら、私なら止めておきます。
被災者は震災をそのまま生きているのであり
風化することは一切ありません。
当事者以外の、未だ仮設住宅住まいの世間の人と比べても、生きることに対しての質感がまるで違うわけです。
被災者に対して無責任な物言いをする仮想現実を生きている人間に対しては、時として精神的テロをみまってやる必要もあるわけです。
遠慮したり、我慢する必要はないと思いますよ。
こちらに、書き込まれても構いませんよ。
ですよね?
例えば近い歴史で言うと、第二次世界大戦の戦時体験者の方で、歳を重ねて先が長くないと感じるようになった今だから話せる、話しておかないといけない、という気持ちになった方も、いらっしゃるようですね。
家族の中で、話を聞いていた方は、爺さんや婆さんも大変な時代を乗り越えて来たんだと、気持ちに蓋をする方もいらっしゃることでしょう。
大きく分けると、辛すぎて思い出したくない、話したくない、という方と、誰かに話したいけど話せない、という方がいて、どうせっしていけばよいのか?
流すのでもなく、抉じ開けるのでもなく、恐山という受け皿の場と、話好きな院代様もいることを知っておいてもらいたいですね。
全てはそこから始まって今に至っているわけです。