昨日の夕食メニューをなかなか思い出せない身になってみると、いわゆる「記憶の風化」は仕方のないことだと思わざるを得ません。
しかし、経験はそれこそ心身に刻み込まれ、時に意識の底に沈み、また浮上することはあっても、決して風化することはありません。
「風化」の真の問題はまさにこの違い、つまり、当事者の直接の経験と、必ずしも当事者とは言えない者の記憶との、ギャップだと思います。
東日本大震災直後から3年くらいは、恐山にお参りに来られたかなりの被災者が、その生々しい経験を自ら話して下さることがありました。そういう機会が重なるうち、私は次第に、被災者ご自身に話したい気持ちがあるのだと、感じるようになりました。
ところが、5年を過ぎた頃から、被災者の方々から当時の経験や気持ちを伺うことが、急に減ってきたのです。
私は、被災から受けた心身のダメージが癒えてきて、話が出てこなくなったのだと、始めは思いました。しかし、違いました。端的に言うと、被災者は我慢しているのです。被災の経験、それに続く生活の再建、打ち続く困難。それをもう、他人に話すことを諦めている。私にはそう思えました。
「いまさら言ってもしょうがないですもんね」
ある中年男性の被災者がぽろっと漏らしたひと言です。これが経験と記憶のギャップでしょう。
風化する記憶しか持たない人に、もう経験を話しても通じないどころか迷惑だろう。そう考えているのではないか。
たとえ被災の事実を共有していても、被災の経験は人それぞれで、5年も経つとお互いの立場も境遇も、大きく違ってしまいます。すると、たとえ同じ被災者に対しても、自分の経験を語ることは躊躇われるのではないか。
私は今、この状況を心配しています。経験は語られることで意味を持ち、当事者の実存に場所を得、「自己」に統合されていきます。というよりも経験は語られることで初めて経験となるのです。そうでなければ、それはただの出来事、あるいは「原体験」にすぎません。
経験となりきらず、自己に位置づけられない出来事は、それが大きく深いほど実存を動揺させ続け、ついには亀裂を生じさせ、場合によっては心身の不調として顕在化するでしょう。
とは言え、現実に被災者は容易に語り難いとすれば、どうするのか。私にもさしたる答えはありません。
ただ、こちらがただ当事者の話を聞く気になっているだけではもう通用しないでしょう。そうではなくて、まず対話をはじめることが大事だろうと思います。始まりが困難な経験の話でなかったとしても、対話が続くうちに、それが浮上してくるかもしれません。そして対話がさらなる語りを促すかもしれません。
恐山は、それを可能にする場所の一つだと、私は思います。そして、自分がその対話の相手となることができれば、僧侶として本当にありがたく思います。
しかし、経験はそれこそ心身に刻み込まれ、時に意識の底に沈み、また浮上することはあっても、決して風化することはありません。
「風化」の真の問題はまさにこの違い、つまり、当事者の直接の経験と、必ずしも当事者とは言えない者の記憶との、ギャップだと思います。
東日本大震災直後から3年くらいは、恐山にお参りに来られたかなりの被災者が、その生々しい経験を自ら話して下さることがありました。そういう機会が重なるうち、私は次第に、被災者ご自身に話したい気持ちがあるのだと、感じるようになりました。
ところが、5年を過ぎた頃から、被災者の方々から当時の経験や気持ちを伺うことが、急に減ってきたのです。
私は、被災から受けた心身のダメージが癒えてきて、話が出てこなくなったのだと、始めは思いました。しかし、違いました。端的に言うと、被災者は我慢しているのです。被災の経験、それに続く生活の再建、打ち続く困難。それをもう、他人に話すことを諦めている。私にはそう思えました。
「いまさら言ってもしょうがないですもんね」
ある中年男性の被災者がぽろっと漏らしたひと言です。これが経験と記憶のギャップでしょう。
風化する記憶しか持たない人に、もう経験を話しても通じないどころか迷惑だろう。そう考えているのではないか。
たとえ被災の事実を共有していても、被災の経験は人それぞれで、5年も経つとお互いの立場も境遇も、大きく違ってしまいます。すると、たとえ同じ被災者に対しても、自分の経験を語ることは躊躇われるのではないか。
私は今、この状況を心配しています。経験は語られることで意味を持ち、当事者の実存に場所を得、「自己」に統合されていきます。というよりも経験は語られることで初めて経験となるのです。そうでなければ、それはただの出来事、あるいは「原体験」にすぎません。
経験となりきらず、自己に位置づけられない出来事は、それが大きく深いほど実存を動揺させ続け、ついには亀裂を生じさせ、場合によっては心身の不調として顕在化するでしょう。
とは言え、現実に被災者は容易に語り難いとすれば、どうするのか。私にもさしたる答えはありません。
ただ、こちらがただ当事者の話を聞く気になっているだけではもう通用しないでしょう。そうではなくて、まず対話をはじめることが大事だろうと思います。始まりが困難な経験の話でなかったとしても、対話が続くうちに、それが浮上してくるかもしれません。そして対話がさらなる語りを促すかもしれません。
恐山は、それを可能にする場所の一つだと、私は思います。そして、自分がその対話の相手となることができれば、僧侶として本当にありがたく思います。
全てはそこから始まって今に至っているわけです。
例えば近い歴史で言うと、第二次世界大戦の戦時体験者の方で、歳を重ねて先が長くないと感じるようになった今だから話せる、話しておかないといけない、という気持ちになった方も、いらっしゃるようですね。
家族の中で、話を聞いていた方は、爺さんや婆さんも大変な時代を乗り越えて来たんだと、気持ちに蓋をする方もいらっしゃることでしょう。
大きく分けると、辛すぎて思い出したくない、話したくない、という方と、誰かに話したいけど話せない、という方がいて、どうせっしていけばよいのか?
流すのでもなく、抉じ開けるのでもなく、恐山という受け皿の場と、話好きな院代様もいることを知っておいてもらいたいですね。
遠慮したり、我慢する必要はないと思いますよ。
こちらに、書き込まれても構いませんよ。
ですよね?
被災者は震災をそのまま生きているのであり
風化することは一切ありません。
当事者以外の、未だ仮設住宅住まいの世間の人と比べても、生きることに対しての質感がまるで違うわけです。
被災者に対して無責任な物言いをする仮想現実を生きている人間に対しては、時として精神的テロをみまってやる必要もあるわけです。
僭越ながら、私なら止めておきます。
本当におっしゃる通りと思われます。
私も「原体験」に留まり、辛いともそうでないともいえない、名状しがたい状態が長く続いたことがあります。
『ただ、こちらがただ当事者の話を聞く気になっているだけではもう通用しないでしょう。そうではなくて、まず対話をはじめることが大事だろうと思います。始まりが困難な経験の話でなかったとしても、対話が続くうちに、それが浮上してくるかもしれません。そして対話がさらなる語りを促すかもしれません。』
方丈様、誠にありがとうございます。
心より深く感謝申し上げます。
最初から「僧侶」という存在を設定しているところで既に非縁起的である、みたいなことでしょうか。