最近の報道で、私が強い印象を受けた発言と言えば、一つは、スウェーデンの高校生であり環境活動家、グレタ・トゥーンベリさんの国連でのスピーチであり、もう一つは、ローマカトリックのフランシスコ教皇が広島・長崎で行った演説で、これは私ばかりではなく、多くの人々の記憶に残るものとなったでしょう。
気候危機への早急な対策を激越な口調で促す、10代のグレタさんのスピーチと、核兵器の使用も保有も倫理的に許されないという、80歳を超える教皇の穏やかながら断固たる主張も、一見対照的でありながら、これら二つの発言には共通するものがあります。それは「現実を知らない」「ただの理想論」と批判されやすいだろうということです。
グレタさんの発言は、実際に各国の「現実」的な為政者や中高年層から繰り返し批判されていますし(あの言い方のせいもあるでしょう。しかし、怒りの唯一の効能は、問題の所在を一挙に劇的に露わにすることです)、教皇の演説も彼らに敬して遠ざけられ、静かに黙殺されていきそうな雲行きです。
しかし、このような「現実」の立場から「理想」を批判する物言いや態度は、私が思うに、非常に浅はかで非生産的でしょう。というのは、批判する側は、「現実」と「理想」を二項対立的に設定した上で、前者を「重く」「強固で」で「動かしがたい」ものと考え、後者を「軽く」「空想的で」「夢のような」ものだと思い込んでいるらしいからです。
「現実」と称されるものは、それ自体で存在する実体でも何でもありません。それは一定の条件下で構成され、ある程度の規模で共有されている認識の体系に他なりません。いわば、「現実」とは「皆で見ている夢」であり、「夢」とは「破れてしまった現実」のことです。とすると、現実と夢の区別は、所詮「覚めるかどうか」、その一点にかかります(したがって、夢から覚める夢を見ている場合もある)。
あるいは、バーチャルとリアルの違いにしても、それぞれに実体的な区別があるわけではなく、私に言わせれば、「思ったようにスイッチをON・OFFできる」ものが、「バーチャル」なのであり、どうしようもなく「思った通りにONもOFFもできない」し、結果的に否応もなく我々の考え方や行動を変えてしまうようなものが、「リアル」なのです。
となると、グレタさんや教皇に批判的な人々が考えている「現実」も、これまで一定の条件下、で有効だった構成物にすぎず、条件が変われば「夢」どころか「錯覚」になりかねません。
そして、このとき、「単なる理想論」「空論」のように扱われてきた主張が、実はすでに有効性を失いつつある「現実」に替わって、我々が次に制作すべき「現実」の先取りなのだとも言えるでしょう。
ならば、むしろ「理想」論の持つ非現実性に視点をとり、「現実」の在り様を再検討するほうが、より「現実的」な展望を我々にもたらすのではないでしょうか。
「現実的になれよ」としたり顔で言う者は、えてして「現実の囚人」です。牢獄は堅牢に見えても、建っている地盤は案外に脆いのです。「そんな理想論を言ってもねえ」と蔑む人は、「現実の中毒患者」でしょう。重症かもしれませんが、飲む気になれば、効く薬もあるものです。
気候危機への早急な対策を激越な口調で促す、10代のグレタさんのスピーチと、核兵器の使用も保有も倫理的に許されないという、80歳を超える教皇の穏やかながら断固たる主張も、一見対照的でありながら、これら二つの発言には共通するものがあります。それは「現実を知らない」「ただの理想論」と批判されやすいだろうということです。
グレタさんの発言は、実際に各国の「現実」的な為政者や中高年層から繰り返し批判されていますし(あの言い方のせいもあるでしょう。しかし、怒りの唯一の効能は、問題の所在を一挙に劇的に露わにすることです)、教皇の演説も彼らに敬して遠ざけられ、静かに黙殺されていきそうな雲行きです。
しかし、このような「現実」の立場から「理想」を批判する物言いや態度は、私が思うに、非常に浅はかで非生産的でしょう。というのは、批判する側は、「現実」と「理想」を二項対立的に設定した上で、前者を「重く」「強固で」で「動かしがたい」ものと考え、後者を「軽く」「空想的で」「夢のような」ものだと思い込んでいるらしいからです。
「現実」と称されるものは、それ自体で存在する実体でも何でもありません。それは一定の条件下で構成され、ある程度の規模で共有されている認識の体系に他なりません。いわば、「現実」とは「皆で見ている夢」であり、「夢」とは「破れてしまった現実」のことです。とすると、現実と夢の区別は、所詮「覚めるかどうか」、その一点にかかります(したがって、夢から覚める夢を見ている場合もある)。
あるいは、バーチャルとリアルの違いにしても、それぞれに実体的な区別があるわけではなく、私に言わせれば、「思ったようにスイッチをON・OFFできる」ものが、「バーチャル」なのであり、どうしようもなく「思った通りにONもOFFもできない」し、結果的に否応もなく我々の考え方や行動を変えてしまうようなものが、「リアル」なのです。
となると、グレタさんや教皇に批判的な人々が考えている「現実」も、これまで一定の条件下、で有効だった構成物にすぎず、条件が変われば「夢」どころか「錯覚」になりかねません。
そして、このとき、「単なる理想論」「空論」のように扱われてきた主張が、実はすでに有効性を失いつつある「現実」に替わって、我々が次に制作すべき「現実」の先取りなのだとも言えるでしょう。
ならば、むしろ「理想」論の持つ非現実性に視点をとり、「現実」の在り様を再検討するほうが、より「現実的」な展望を我々にもたらすのではないでしょうか。
「現実的になれよ」としたり顔で言う者は、えてして「現実の囚人」です。牢獄は堅牢に見えても、建っている地盤は案外に脆いのです。「そんな理想論を言ってもねえ」と蔑む人は、「現実の中毒患者」でしょう。重症かもしれませんが、飲む気になれば、効く薬もあるものです。
無料部分だけ読みました。
(有料部分を読むためのパソコン環境にありません)。
でどうなんでしょう。
記事では人為的CO₂増加による温暖化のせいでアマゾン火災で木々が燃失されていると言っているのでしょうか。
https://news.yahoo.co.jp/byline/shivarei/20191029-00148696/
制御の方法は様々にあるわけですが、中でも効果的と思われるのは、人口と経済活動の二つの側面に対処するのが最も効果が高いと思うわけです。
それは国家毎の対処ではなく、地球規模での対処になるわけですから国家の単位では決して解決することは不可能だと思うわけです。
幸いにして、日本は人口が減少して経済活動も縮小傾向にあるわけですから、事例としては都合が良いわけです。
地球環境に貢献しようと思うのであれば、絶望こそが必要であり、希望は一切要らないわけです。
ご住職に概ね同意です。
しかし、
特定の人間、国家、勢力にとって都合のいい主張、ないし
独善的な主張は「理想論」ですらないと思います。
子供を利用する態度も感心できません。
教皇様やグレタさんの主張は、そういう点で訴求力が乏しいと
感じております。
教皇様は宗教家であると同時にバチカンの元首ですので、
世俗的な処世術が必要なのも分かります。グレタさんは彼女の中ではきっと本気で地球環境を懸念しているのでしょう。
それがよく分かるし、ご住職が仰るようにパラダイムの転換の契機になりうる可能性は見て取れるのですが、
背後に蠢く存在にどうしよもなく不快にさせられるのです。
理想は全てのしがらみからの「自由」ですが、
「現実」の解毒としては
自己と素直に向き合うという事でしょうか。
自分がどうしたいのか、
或いは、あなたはどうしたいのか
多くの人があなたを侮り、憐れむ
が内実は、嘲笑しているのだ
あなたは学ぶかもしれない
他者の一切を考慮する必要などないのだと
より深く世界を愛するために
私はあなたの憎悪とともにありたい
あの子はヒトラーに似てる
ヒトラーのようになるかもしれない
常に移り変わる世の中に在って、
その時その時の自己を、絶えず鍛錬しつつ、
時と場合に当てはまる限定的な正当性を自ら実践せよという意味か。
永遠不変的真理など無いのであるから・・・
まだいたいけな16歳のグレタちゃんは
ある団体の宣伝戦に踊らされて
脳内バーチャルに過ぎない事を
リアルと勘違いして脅迫観念に憑りつかれてしまったのではないであろうか。
来年はもっと理性的になって、別のサイドからの思考も知る事が出来ますように・・・
宇宙一周旅行やな
来年もよろしくやで!
(固定化した)我(=アートマン)などは無いのだから(=無我)、
セッセと修行を通して自己が「自由」になれるようにせよ・・・である。
「仏教では『自由』という事をとても大切にします」
「この仏教での自由とは、自分をよりどころにするという意味です。自=自分、由=よる、拠り所にする。」
すなわち自分を拠り所に出来るように自己を鍛錬して自己の確立を図りなさい・・・という意味の様だ。
即ち「自灯明」のことで、自灯明出来るように「法灯明=八正道」の修練をしなさいと言うのが釈迦の趣旨となる。
へー
「自分の力が小さいばかりに、自分の努力が十分でなかったために、
とうとう原「爆」事故を、未然に防ぐことができなかった」
正しくは、
「自分の力が小さいばかりに、自分の努力が十分でなかったために、
とうとう原「発」事故を、未然に防ぐことができなかった」
大勢の人たちが、シーンとして聞き入っていた。
(当然、マイクの準備もなかったので。
肉声なので。)
後は自由に読者交流をやってくれ。
自分が気が付かなかった知恵と知識の披露が有れば
『刺さる言葉』という本を、又、世に出せる、ワハハハハ!!
俺もちゃんと聞いてるんだから
君も我慢ガマン!!
礼儀とか言うものを忘れているのか
馬齢とはこの方のための言葉かも
似非知識人、自分のブログでは誰も相手にされないのでこちらに長々と垂れ流す悪癖はやめてもらいたい。
脱原発の真実』
2012/4/12
小出 裕章 (著)
当時「原子力の安全神話」を日本中の学者がみな言っていた。
福島原発事故の直後、
東京の御茶ノ水の「新しい明治大学のキャンパス」の大きな会場で、
小出さんの原子力発電事故の講演があった。
大きな会場だったが、それでも大勢が会場に入れず、
そrでも諦めきれずに、まだ大勢がビル入口に残っていた。
そこに、突然、小出さんが顕われて、
私たちに向って、泣いて「謝って」おっしゃった。
それは、
「自分の力が小さいばかりに、自分の努力が十分でなかったために、
とうとう原爆事故を未然に防ぐことができなかった」
と、泣いて私たちに謝っていた。
非常に悔しかったのであろう、
それまでの苦労が全て無駄になってしまったのである。
その無念さと悔しさを、泣いて叫ぶように話していた小出さんが、今でも忘れられない。
これを聞いて「その悔しさ」をみなが共有が出来、
少しずつ解散していった。
そして、小出さんは、本来の講演の方に戻って行った。
小出さんたち京都大学の「六人衆」は、徹底的に弾圧され、干されていた。
出世は出来ない、研究費も貰えない状況で、
「原子力発電の危険性」を訴え、研究発表をしてきた。
しかし、
事故が興った時の対策や避難の訓練がないまま、「最悪の事故」を迎えた。
それまでの研究費は「原子力発電は安全だ神話」の研究にだけだされた。
現在も、
研究費は「CO2犯人説」の方にだけ、出されている。
これに反対する研究には、研究費が割り当てられない。
彗星 小沢健二
ヒトラーの場合は、
「ゲルマン民族」を讃えるイデオロギーを「優生学」が、
また昔からの「キリスト教」の宗教イデオロギーが、
ユダヤ人殲滅の「ホロコースト」の正当化を行った。
現在は「CO2犯人説」イデオロギーを、
「国連が中心で発信する似非科学」が正当化している。
それに乗っている「少女」
…それの強力な支援団体の存在。
なぜ、「フランスの原子力発電」を問題にしてそれを攻撃しないのか?
なぜ、イギリスの原子力発電を攻撃しないのか?
「今後も」「原子力を」続けて行くはずだから、重要であるのに。
日本は、東日本大震災で、「原子力発電は」、一旦、全部ストップし、
「現在は、ほんの少ししか」稼働していない。
「その日本だけが」なぜ集中的に攻撃されるのか?
日本は、「先進国の中で」一番、熱効率が高くて、
「一人当たりのCO2の発生量」が一番低いのだ。
「その日本を攻撃する」のは、科学的根拠ではなく、
政治イデオロギーである。
なぜ現代人は、新しい政治イデオロギーに、狂わされるのか?
韓国の「文」の登場での国民の分断状態の激化。
米国のトランプの登場での国民の分断状態の激化。
「現実」の解毒、が働く余地がまったくない!
ほんとそれな。
「大切なことだよな!」
長い地球の歴史には、「CO2の濃度が凄い時期」が何度もあったが、しかし、非常に寒かった。
「植物の祖先」のバクテリアが「光合成」をして、「CO2を食ってくれ」て、
ドンドンCO2の濃度を減らしてくれた。
後に、この酸素「O」を吐き出してくれたので、動物が「この酸素を食って」、活発に反映できた。
要は「CO2犯人説」はプロパガンダなのです。
南師の今回の記事も
「集団が騙されるメカニズム」を問題にしている。
米国も公共放送を信じなくなり、
フェイクニュースが氾濫し、
「人々は自分の好む情報しか」受け付けなくなる。
両方を知って、判断する。
だから、中村元もしっかり読んでから批判する必要がある。
ものばかしり!!・・・>
どこもかしこも「まったく外れた」ものばかり!!
ところで宇宙には時間が実存するかという問があるが、
光速度より速い速度で膨張して入る宇宙では相対性理論から言えば、全て時間はゼロであるから答えは自明となる。
相対性理論を信じればの話であるが・・・
客観性を問われる『宇宙論』も全く外れでいるかも知れない。
宇宙の膨張は光速度より早い速度で膨張してると結論付けられるそうだ。
苦肉の屁理屈は、「相対性理論は物質には適用できるが宇宙の膨張には適用されない・・・」とかと言い訳するようだ。
宇宙の膨張は物質の拡散では無いといいたいのか、まったく理解不能な論理である。
地球自身の運動であり、太陽の運動であり、
日本だけを考えるのはナンセンスです。
気流の蛇行が大きくなり、温暖な部分も出来るが、寒波が米国を襲ったりしている。
要は、「気候のシミュレーションの計算式」が恣意的であり、自分の結論を出すように操作している。
要は「全球凍結」の気候運動は、CO2の濃度が原因ではない。
現在は、温暖化の期間なのです。
地球自身の運動と太陽の運動の複雑な関係なのです。
CO2犯人など、政治イデオロギーなのです。
最大の排出国の「中国」と「米国」が、今まで規制して来なかったのに、現在の状況で済んでいる。
それまでの「温暖化論者」はみんなウソを言っていた。
「もっともっと温暖化になっていなければならない」筈だったのが、まったく外れた。
では何故、日本の夏は年々、熱中症が多発するほど暑くなり、冬も比較的温暖なのでしょうか?(場所にもよりますが)
革新は、失敗して来た。
フランス革命は、恐怖政治に暴走した。
ルターの宗教改革も、農民コンミューンとなり、千年王国に暴走した。
文化大革命は、不幸を撒き散らした。
みな、観念論だから、歯止めが無くなってしまう。
保守は、現実の「微修正だから」、地に足がついている。
温暖化の狂乱・ヒステリーは、止まらない。
なぜ、騙されるのか?
武田教授が猛批判。
国民に「温暖化」の嘘を植え付けたNHKの大罪
誤報の1:「気候変動」か「温暖化」か?
もともとアメリカの農業団体が工業の活動で気候が変動するから農業が困る。農業に補助金を回せ、というのが発端。
誤報の2:北極の氷が融けると海水面があがる?
中学校で習うアルキメデスの原理で、北極の氷が融けても海水面は変わらない
が、テレビ、新聞の解説者は中学校で勉強しなかったのか?
誤報の3:IPCCは科学者の会議である?
IPCCは1988年にアメリカが国連に働きかけてできた政治的機関で、学者の自由参加は認められていないので、学会でもなんでもない
誤報の4:世界の気温は上がっている?
1880年からの世界の気温が公表されているが、そのころ(明治時代)の測定点は先進国の都市に限られている。だから都市化の影響で気温が上がっているが、それは隠している
誤報の5:ベルリンマンデート、バードヘーゲル決議を報じない
アメリカ、ヨーロッパが温暖化ガスの削減を実質的にしないようにしている計算方法や、議会の決議を絶対に報道しない。
誤報の6:日本だけしか削減をしていない
カナダが京都議定書を離脱して、
日本だけが温暖化ガスの削減を行い、すでに
0兆円から100兆円の税金を使っていることを報じない。
誤報の7:鳩山元首相だけ
国連で正面から温暖化ガスの削減の演説をしたのは、世界の首脳の中で民主党政権時代の鳩山首相だけだ。他の国は自分の国が損をすることはしない。
アインシュタインの光速度不変の原理を使って138億年であると結論付けられた。
しかし2000年の観測(の範囲内)で
宇宙最古の星は天秤座の恒星メトシェラで年齢は160億歳で有ると計算された。
奇怪奇怪これ如何に??
ビッグバン説が間違っていたのか、
光速度不変の原理が間違いなのか?
近年ではニュートリノは光速より早いと言う説も出てきているし・・・
長生きすれば全く違った宇宙論が出るのかもしれない。楽しみだなァ~!!
アインシュタイン主張する「時空の歪」が
外部から地球を取り囲んでいる(=圧迫する圧力)故に
地球に重力が生じるという事らしい(たぶん?)。
でも大気圧を計算しても必要な重力に達しないから、
地球の周りの空(空間)には目に見えない暗黒物質で取り囲まれているに違いないと言う、昔で言えばエーテル説の改訂版みたいなモノらしい。
青空の中に忍び込んでるダークマター(暗黒物質)なんて奇想天外で実に面白い。
現代のシロウト説では、地球に振り注ぐニュートリノ(重さがある)が地球の重力を創っているのだと言う神話もある。
それによって重力が「時空の歪」のせいで起きると結論付けられた。
しかし最新研究ではダークマターが存在しなくても同じ結論が出るとか言われ始めた。
そうすると相対性理論と量子論が本質的に相容れない矛盾点を露出する問題が
一挙に解決するとかで在った。
さて宇宙普遍の真理はいずこにあるのか??
イエスちゃんも結論が出るまで
どうぞ生きていて下さい。
アインシュタインの相対性理論は「でたらめだった」と証明されてしまうのだ。』
科学というのは「現実の出来事」の「説明原理」であり、
「より少数」の「単純な」「原理」で説明できれば、「それ」を使用するだけです。
「天動説」も「地動説」も同等なのです。
ただ「天動説」では、「膨大な複雑な数式を投入しない」と「天体の運動」を説明ができないのです。
「ニュートン力学」は「正しい」のです。
私たちが「体を動かして」生きているのだが、
「ニュートン力学」で必要十分なのです。
その「適用範囲内」では「正しい」のです。
新しい理論は「アインシュタイン理論」の発展形なのです。
「アインシュタイン理論」では「説明できない分野」への「補完」なのです。
だから「でたらめ」ではないのです。
日本は、火力発電では、世界最高の技術録を持っている。
訂正です、
日本は、「石炭」火力発電では、世界最高の技術「力」を持っている。
「熱力学」や「燃焼工学」や「ボイラーやガスタービン設計」や・・・
関連事項には詳しいが、
石炭を「粉塵としてガス状にして」「完全燃焼させている」石炭火力発電所は、「熱効率が高く」、原子力発電よりもCO2の排出量は断然少ない。
原子力発電は、ウランの採掘から、ウランの濃縮過程、廃棄ウランの処理過程で、膨大な作業が入り、「全工程で出すCO2の総排出量」は、石炭よりも断然高い!
まあ、更に
石炭よりは「石油ガス」の方がCO2は少ないのですが…。
「原子力発電だけの一部分」だけで、CO2が少ないというのは、インチキである。
フランスは、原子力発電だけだから、
現在の原子力を止めて、「最新の」火力発電に切り替えろ!と言いたい。
更に、原子力の暴走は地球を、即、破壊に導く!
だから、「辺鄙な場所に」原子力発電所を建設する理由だ。
石炭発電は、安全だから「都市の消費地の近くに」建設できる。
だから「送電コスト」も少なくて済む。
こまめに停止再稼働でき、「電力量の調整も容易に」できる。
「天候に左右されずに、安定して」大量に発電でき、「コスト的には、一番安く」なる。
日本は、火力発電では、世界最高の技術録を持っている。
電力は「人のいのち」を救う。
だから、人道支援である。
歴史が証明している。
猛毒だった。
200万人が死亡した。
多くの不幸をまき散らした。
中国の進歩を、10年間も遅らせた。
まず、
「地球が温暖化しているかどうか」の測定が必要である。
現在の測定ポイントは人間の生息地が大部分。
都市化で、ヒートアイランド効果が大きい。
次に、
たとえ、温暖化していると仮定しても、
その犯人が「人間の出すCO2」なのか?、
太陽の大異変なのか?、
地球自身の運動なのか?…
これの判定が複雑で難しい。
次に、
「温度予測の数式」にインチキがあって、目的の数値になるように操作されている。
過去に「大きな指摘」がある。
つまり、
この理論は、仮定に仮定を重ねた「虚構の数式」になっている。
要は、資本主義の世界だから、「新しく儲ける場所」を作って、
「CO2の売買市場でがっぱり金を儲けよう」とやっきになっている。
CO2を犯人にすると、研究費がどっと貰える。
ここで悪魔の理論の悪循環が発生する。
原子力は安全という「研究」が山ほどある。
資本主義の金儲けが「CO2犯人という信仰」を築き上げている。
「CO2の魔女裁判」である。
「何も知らない」少女が、「その大人たちに騙されて」叫び続けている。
中国の文化大革命で、「紅衛兵の幼い少年」が「毛沢東思想」を叫んでいる姿とそっくり重なる。
真理を叫び続けている。
この少女を「支援している団体」こそが、この少女に「それ以外の情報」を遮断している。
経験のない少女には、「そのからくり」がわからない。当然である。
既視感を覚える!
「少女の発言」が世界を動かす!
「ナイラという少女は一度も母国に行ったことがない」
嘘から始まった湾岸戦争!
自作自演の議会証言とPR操作! - YouTube
youtube.com/watch?v=xGuxXU
… pic.twitter.com/NM7lGWTW37
「少女」は「純粋」、「嘘はつかない」、…
現在版のジャンヌダルクである。
今回は、裏にはしっかりと支援団体がいる。
まあ、一種のスポンサーである。
某環境大臣
「気候変動問題にセクシーに取り組む」と就任早々に国連総会で演説し、意味不明だと説明を求められると、「説明すること自体がセクシーじゃない」と反論。
某クリステルからセクシーに遣り込められて、全てセクシーになったのか?
笑いの無い「いいえ違います!!」はマッコト怖ろしい。
息が切れて窒息してしまう。
深刻人の南さんも講演会では笑いを取って、辛い人生をなんとか生き延びているらしいからね。
思い出したけど、いつだったかの朝ドラで、
主役の子の伯父さんがいつもヘラヘラ笑っているので、おバカさんなのかと思っていたら、彼の笑う信念というのが・・・
過って自分が戦争に行って、斥候役を遣ってた時、森の中で敵の若い英国兵士とばったりはちあわせしてしまった。
双方、銃を構えて危機一髪だったのだけど、相手の英国兵が急に「ニコッ」と笑って、後ろを向いて引き上げて行った。
それで自分の命が救われた。
だからそれ以来、自分は何時も笑っていようと決心したんだという感動の話だったよね。何処かの戦場でのリアルの話だったと思いたいけどね・・・
「人は幸せだから笑うのではない。
笑うから幸せになるのだ」(byアランとアタイ)
仏教(坐禅)と自他と沢山の布施と、少しの笑いかなぁ。
(byチャプリンと俺)
<来年から出しません「終活年賀状」広がる>
知人から、年賀状は日々の付き合いはなくても、「ほら、生きているかどうかの確認ができるじゃない」、と聞いて、(あほらし)となるだけでなく、年賀状拒否反応も出て、人間を止める前に、辞めさせて頂きました。
私のリアルとは、食べ物が喉を通過し、その後ウンチが出る(出た)時です。
人によっては、単純なことかもしれませんが、これほど複雑怪奇なことがあろうか?
4回転を失敗したとか、2位だから弱いとかで残念がれるのも、健康が前提にあるからだろうに。
絶対座標系では「光速度不変の原理」などは成立しないとはほとんどの物理学者なら知っている。
しかし人間には絶対座標系など存在しない。
移動座標系で考えた時に光速度不変の原理が成り立っている様に見えるという事に過ぎない。
神の時計でのみ可能である。
移動中の君の狂いに狂った時計などは何の役にも立たない。
ただただ神に正しい時間を教えてもらうしかない。
テメエの狂った時計で、光速度不変だ、何だかんだと言っても何の意味もない。
神だけが光速度不変かどうか判定できるのだ。
タイムトラベルをして
自分が少し若くなったと言う。
まったくのナンセンスだ。
駅に到着した時にそこで定められた時空の法則に従うのみだ。
ただ単に走行中は君の時計が狂っただけなのである。
自分の脳はバーチャルでも痛みを感じるものだ。
他人を蹴っ飛ばして見てこそ初めてリアルが担保される。
若造修行僧が水差しを蹴っ飛ばしたのは大いによろしい。。。
バーチャルに騙されてはいけない。
では人はどうやったら、バーチャルかリアルか分るのか。
人はよく隣の人のほっぺたをつねってみたりする。
リアルがバーチャルに変化したという事である。此れは避けられない普遍の真理なのである。
タイムトラベルなんて空想の世界での出来事なのである。
バーチャルに騙されてはいけない。
此の世が三次元で出来ていると言うのは動かしがたい事実であろう。
4次元だ、5次元だという向きもあるが、
1次元・2次元で無い事だけは確実である。
バーチャルに騙されてはいけない。
我々は三次元世界に生きて居る事を知る。この世が三次元で出来ているからだ。
脳は確実に、机の縦・横・深さ(奥行き)を理解する。
横についている二つの眼を使って、深さを知る。それが人間がもつ生命線だ。
三次元世界で生きてく為の生命の智慧だ。
如何に脳的には三次元の様に見えても、
バーチャルの世界では三次元で出来た自分の身体を生身で活動させること(動かす事)は出来ないのである。
生身の身体で動いてみれば(=実際の生活をして見れば)
バーチャルだったのかリアルだったのかが容易に判明する訳である。
頭(脳)ばかりで考えていないで、自ら行動せよ・・・それが人が生きていく秘訣である。
脳がバーチャルの食い物を食べた気になっても、身体がリアルの食い物を喰わなければ、人は死ぬという事を忘れるな。
例えば「椅子」といっても、目の前にある椅子はたしかに見ることができるし、触れることもできるが、
目前の「椅子」を立体的なものとして感じることは知覚をすでに超えて認識であると思う。
というのは、目は常に平面としてしか見ていない、色のグラデーション、陰影があるだけだ。
平面として見えるものを立体として認識するには、その見ている対象をいろんな角度から見た記憶でもって補正する必要はある。
心が一度に一つの知覚しかあり得ず、けれども刹那に素早く絶え間無く移り変わり、それが同時に複数の知覚を成立させているように思えても
目前の椅子を感じる時に、実際にあるのは、その時々の「見ること」「触れること」のみである
それらの一つ一つの個別の知覚のあと、思考がそれらの知覚を総合するものとしての記憶として現れる。
「椅子」という実体、椅子という物質、椅子という立体そのものを知覚することはありえない。
それは想像上のものだ。
バーチャルとはなんだろう
バーチャルとは「リアルではない」という意味だから、今、目の前に「存在しない」ことであるなら、
今、目の前に存在しないものを「考えること」がバーチャルなこと
あるものが存在するか存在しないかの区別は、言語的なものでしかない
なぜならリアルは「存在」のみあり、「非存在」は言語的に想像されたものであるから
けれども、リアルであるはずの目の前の「椅子」も、椅子そのものを知覚することはできない。
椅子という実体、物質、立体は、構成されるのだ
ということはリアルとバーチャルと区別はないのではないか?
死に憑りつかれた虚弱児童だったんだろうか?
死の世界を妄想するシャーマン小僧だったんだろうか。
大僧となった今は、
死の解毒を念じているのだろうか?
若い女性が続々崇拝。
「生きる」とは「死ぬる」という事なのだよ。
「死ぬる」とは原理的に分からぬのだよ。
自分自身で死んでみなければワカランのだよ。
でもな、自分が死んでしまうと、
考える自分がいなくなるから、「死とは何か?」は栄久に迷宮入りじゃな。
しかし、
今、生きて居る君は、今、生きて居る。
だから「生きるとは何か?」は、
君が考え続けていれば、
いずれ答えは自分自身で見つける事が出来るのだよ。
それが「生きて居る」という事の意味なのじゃよ・・・
現実とは、それを現実と思い為すに至るその思考の過程ほどに現実的なものではない。
現実の変革は、思考の法則の変革から始まる。
爆弾を投げるだけの人間は、爆弾の製法を知っている人間よりも怖れるに足りない。
アフリカ大陸の片隅で二本の足で立ち上がった猿人から人工衛星を操作するエンジニアに至るまでの間に、人類が絶えることなく工夫してきたあれこれを、「進歩」と言わないとするなら、確かに過去は暗いものでもないし、未来が明るくなければならない理由もない。
現代に生きているというそのことだけで、人類の歴史の最先端に居ると思ってしまうのは歴史意識の錯覚で、小学生の絵日記を眺めるようであるだろう。
思想が思想である以上、百年もつことであって、三十年ももたない今の思想は単なる流行りの衣装ごっこ。
流行ったり廃れたりできるような思想など、たまたまそこにそれがあり、そんな気になればそれですむ。
悩むも奪うも救われるも、気に入るか気に入らないか、それ次第。
僧侶の南先生に質問したいです。
僧侶になったら、
「生きるとは何か」がわかりますか?
「生きて居るとはどういう事なのか」がわかりますか?
「生きて居て良かったと思えるようになりますか?」
「生き甲斐を感じられるようになるでしょうか?」
僧侶になりさえすれば・・・
教えてください、南先生。
いったい、僧侶になるのとならないのと何が違うのでしょうか?
シャーマニズム。
怒り狂った顔がよく似合う。
ユーチューブ「2030年、地球は氷河期に突入!人類滅亡の危機?」
中央大学教授、物理学卒の武田邦彦氏によれば、氷河期の定義は「日中でもどこかで万年氷がある」という事であり、今の地球は其れに該当するというのである。
地球の温度が高い時こそ生命は繁栄するのであると言う生命原理を押し出す。
地球はもっと温暖化した方がいいと言う考えの持ち主だ。
彼の理屈では、温暖化を騒ぐ連中がバカに見えるらしい・・・
(まさかローマ法王が同じ表情で核廃絶を訴えたんではあるまいね?)。
内田樹さんの今年のモットーの「怒らず、恐れず、悲しまず」の全ての逆現象であった、・・・怒りと恐れと悲しみと・・・
さて悪いのは誰だ??
時間や空間を実体化してるのは
ニュートン君なのか?
アインシュタイン君なのか?
アインシュタインの光速度不変の原理が現実であると看做されている。
それ故に現実の宇宙に於いては「時間と空間」の方が相対的に伸縮するという科学的事実を主張する結果と成る。
そういう相対性理論からの計算でブラックホールの存在が導かれたが、
2012年から2016年でのブラックホール論ではリング状のブラックホールの存在が示唆されるようになった。
其れが発見されれば、アインシュタインの相対性理論はでたらめだったと証明されてしまうのだ。
アインシュタイン性現実からの解毒である。
ロボトミー手術を地球政策とする・・・なんちゃって。
組織の力は侮れない。
僧侶になりたいと言う人が増えているそうな・・・
大愚和尚の「一問一答」。
15歳の中学生からの質問であった。
「どうしたら僧侶になれますか?」
大愚和尚さんはそう言う人達の要望に応えようと、自らの処で、
いまや修行道場を開く体制が整ったと述べている様です。
無限の人口増加を想定すれば、
地球は人類を受け容れられなくなる、ということなのか、
それとも人類は新しいヒラメキを駆使して、
神になれるのか??
チキンレースの如くであります。
地球が屈服するか、人間が屈服するか?
これからの未来が全てである若い人たちは、
「学者達が理論的・分析的思考から、
地球が温暖化していると言う現実を発見した。そしてそれが今後も続くようであり、果としては人類が滅亡する方向へと進んでいる」・・・
という可能性に怯え、アスペルガー症候群・強迫性障害を起こすまでになってしまった。
では「現実」を解毒する、
人が出来る「行為」とは何か??
それを考える時代になった。。。
論議は、その原因は何かという因果の立て方という事でしょう。
そうなると「因」とは事実というよりか信仰の分野にはいるのでしょうか。
事を仏教論議に振ってみると、
苦集滅道という四諦を宇宙普遍の絶対的真理と受け取るか、
単なる主観的脳現象と見做すかという事でしょうか。
論理的で分析的な思考力を持てばその答えが出るのでしょうか?
どちらにしても(バーチャル、リアルを問わず、実存的)『現実の解毒』は
ただただ『四諦』を信仰し、実践すれば、地球にやさしい人類になれるわけです。
それでも自然現象の発露である地球が人類生息に適さなくなるのなら、人はその運命を甘受して、死ぬ練習をすべきでありましょう。
それらの情報を扱う人でさえ、無意識に、且つ選好的に情報を取り扱う傾向があり、大した根拠を持たずとも支持することはよくある話ではないでしょうか。
>怒鳴りあうのではなく、話し合う、耳を傾け合うことで、疑問の「そうか?」や勉強の「そうか......」から、ひらめきの「そうか!」が生まれるかもしれない。
考える記事
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191220-00010006-newsweek-int
いまだに、「地球温暖化は嘘」というトンデモ説が飛び交っていますが、そういった類の論文で、「ネイチャー」や「サイエンス」と言った権威ある学術誌に掲載された論文は一編もありません。
(参考)
「地球温暖化に対する懐疑論」
https://ja.wikipedia.org/wiki/地球温暖化に対する懐疑論
いまだに、「地球温暖化は嘘」というトンデモ説が飛び交っていますが、そういった類の論文で、「ネイチャー」や「サイエンス」と言った権威ある学術誌に掲載された論文は一編もありません。
(参考)
「地球温暖化に対する懐疑論」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%90%83%E6%B8%A9%E6%9A%96%E5%8C%96%E3%81%AB%E5%AF%BE%E3%81%99%E3%82%8B%E6%87%90%E7%96%91%E8%AB%96
タバコを吸う人がいる以上、その選好があるという事実を確認するだけです。
また健康でありたいという欲求があれば、それはそれでただ単に選好として見做されるだけです。
それらの選好に基づいて経済活動は行われるわけですから法に抵触しない限りにおいて国にその選好を妨げられることはありません。
全ては目的は人々を対立させること
タバコだってそうじゃないか
元々は国策だろ?
一方では禁煙しましょうと扇動しながら、タバコの販売を禁止することはしない
タバコは売れるし、禁煙グッズは売れるし、病気になればそれはそれで儲ける人たちもいるだろうし、不安を煽り続けて儲ける人たちもいるだろうし、対立を煽って敵対させれば、いろいろとやりやすいだろうし
違うかな?
そして「夢」と「理想」と「現実」の三題噺って…?
なんか、二酸化炭素の排出量を制限して、でも制限を超えた分は制限未満の国から容量を買えばいいことにする、みたいなの連想する。
何かといえば出てきそうな話だけど、かといって否定もできない、って感じ?
「現実は厳しいが飲む気になれば効く薬はあるのだよ」というお諭しのお言葉か。
佐々木閑さんの言う「仏教は苦に悩む人を癒す病院だ」というお言葉を重ね合わせると、
仏教病院に入院して特効薬を調合して貰い給え・・・となるか。
考えて見ると現代の火宅の中にすむ住民を救い出せるのは仏教病院しかないのかも・・・
とまあ理想論を言ってみる!!
<2011年に気候変動について初めて知る。なぜ気候変動への対策がほとんど行われていないのか理解できなかったため、落ち込んで無気力になり、その後アスペルガー症候群 、強迫性障害 (OCD) および選択的無言症と診断された。
彼女は、その診断は「以前は私を制限していた」ことを認めながら、アスペルガーを病気とは見なさず、代わりに「スーパーパワー」と呼んでいる。
その後約2年間、菜食主義になり、アップサイクリングの飛行機を搭乗せず、家族のカーボンフットプリントを下げることに挑戦した。「両親の最終的な反応とライフスタイルの変化が、彼女が人々に変化をもたらすことができるという希望と信念を与えたと信じている」と語った。>
彼女の家系は、歌手や俳優、監督業のようですね。御両親の下支えがあるから、あのような活動を未成年でもできるのでしょう。
カーボンフットプリントが特に高い国は、アメリカやオーストラリアのようですが、もし今後これに中国が加わるとなると、また世界への影響も変わってくるでしょうね。
「結婚しないのか」
「俺、これでも出家僧だぜ」
「現実的になれよ」
「俺は、仏の囚人になりたい」
「そんな理想論を言ってもなあ」
「理想じゃないぜ、原点だろ」
グレタちゃんがグレないでいて欲しい。
グレタちゃんの言行不一致に海外は
「本人がツイートしているとは思えない」という反応がある様だ。
さてグレタちゃんの正体は?????
でも、考えようによれば。
「環境問題に真剣に取り組んで実践しててドーノコーノ」ってそれっぽい調子で言ってて、
おうちに帰ったらハイパワーの車でブホーーとかだってやれるんだから
そういうのからしたら正直っちゃあ正直じゃない?
「安全に優雅に下山」というモットーの様だけど、
「現実」に於いては三車火宅の如く、自力(自分意志)で下山する事も意味してる。
かれの辿った青年時代の現実が身体・生身から出た理想をうみだした。
内田樹さんの今年のモットーの「怒らず、恐れず、悲しまず」も
理想と現実の狭間の対処法だ。
内田樹さんは合気道7段の武闘家で哲学研究者で、神戸大学教授でもあるが、
元はと言えば、この世からの落ちこぼれ、日比谷高校を中退して家出して、ジャズ喫茶でアルバイトするも生活に窮して、実家に戻るという挫折経験ありの人。
発心し直して大検で大学に入ったとか、なかなか面白い現実を歩んだ人。体験に裏打ちされた理想社会の描き方が面白い。
大金持ちのパリサイ人やサドカイ人が自分の財産の内の、金額的には多額だが
僅かの割合を神に寄付したのは全く大した意味もない。
さらに そこへいくと、
日本神社で50円玉を賽銭箱に入れて多額の見返りを願うのは業突く張りだとか・・・
色々理想と現実のはざまにあって各人各自の葛藤を感じますよね。
だあれ?
それって、グレタさんの忠告や注意を聞かない人と、どう違うのだろう?
もはや注意もされなくなった!?
と、グレタさんの前で言えますか?ということです。
それも限られた時間の中、有料の講演で、そんな下らないことを、わざわざ話すことですか?と問いたい。
個人的には、特に遠方から来られた方を気の毒に思わずにはいられませんでしたね。
ある所に、腕の立つ良医がおり、彼には百人余りの子供がいた。ある時、良医の留守中に、子供たちが毒薬を飲んで苦しんでいた。
そこへ帰った良医は、薬を調合して子供たちに与えたが、半数の子供たちは毒気が軽減だったのか、父親の薬を素直に飲んで本心を取り戻した。
しかし残りの子供たちは、それも毒だと思い飲もうとしなかった。そこで良医は一計を案じ、いったん外出して使いの者を出し、父親が出先で死んだと告げさせた。父の死を聞いた子供たちは、毒気も忘れ嘆き悲しみ、大いに憂いて、父親が残してくれた良薬を飲んで病を治すことができた。
この物語の良医は仏で、病で苦しむ子供たちを衆生、良医が帰宅し病の子らを救う姿は仏が一切衆生を救う姿、良医が死んだというのは方便で、涅槃したことを表している。
理想論で虚偽性いと高し。
稼いだ幾分かを
自己に消化するのが現実で、
分析的思考上、おおいに納得いく論理である。其れが実存というものだ。
新車買おうと買うまいと
他人の大きなお世話ナリ。
自分は自分が現実で、
自他不二なんてつまらん理想論に過ぎぬのだ。
作為者と犠牲者が同じである以上、起こってしまえば補償などしようが無いわけです。
自分が投げたブーメランが威力を増して自分にぶつかるみたいなものです。
いくら二酸化炭素の削減目標を決めたところで火山は勝手に噴火します。
だからといって原子力発電を再稼働すれば核廃棄物は溜まり続けるわけです。
もし環境リスクを計算が可能な確率として示せるのであれば、民主主義による手続きでは手遅れになる可能性は大です。
道元さ~ん!!
けど、ここのブログは毎日朝晩見てる。
<小泉進次郎環境相は20日の会見で、環境活動家のグレタ・トゥンベリさん(16)の活動に触れ、日本の若者は「大人を糾弾するのではなくて、全世代を巻き込むようなアプローチを取るべきだ」などと異論を述べた。グレタさんは大人たちの無策で地球温暖化が進み、自分たちの未来が奪われるとして、その怒りを「気候正義」として訴え、世界の若者の共感を呼んでいる。
小泉氏は今月、スペインで開かれた第25回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP25)に参加した際、日本の若者と懇談した。会見でそのことに触れ、グレタさんの影響は大きいとしつつ「後を追うのではなくて、別のアプローチもあるということを日本から発信したらどうか」と提案したと、明らかにした。
また、グレタさんは欧州と北米を温室効果ガス排出が少ないヨットで往復したが、小泉氏は「正直言って日本でみんな飛行機乗らないのは無理」とも述べた。ただ、グレタさんは今月、ヨットで欧州に到着した際、「同じようにして欲しくてこういう旅をしているのではない。今日、持続可能に生きることが不可能で、変化が必要だというメッセージを送るためだ」と報道陣に答えている。
小泉氏は9月、米ニューヨークの国連で開かれた気候行動サミットで、グレタさんの「若者はあなたたちの裏切りに気づき始めている。もし私たちを見捨てる道を選ぶなら、絶対に許さない」という演説を日本政府代表の席で聞いた。>
まあ少子化の日本で、学校ストライキなどされても困ることだろう。
それとまあ今の大人のほとんども、裏切られっぱなしだということを、彼女に知っておいてもらいたい。
「リアリズムは理想を語るためにある」と発言されていました。
講演でチラ耳したが、まさかホントに、まさかの新車を購入したのであろうか?
まさかね、、
彼女は言う。
「あたかも家が燃えているかのように振舞ってほしい—それは実際そうだからだ」
「 変化をもたらすために、未熟すぎるなんてことはない(No One Is Too Small to Make a Difference)」を出版し、収益を慈善団体に寄付。
たまたま南さんの最近印象に残ったスピーチを取り上げたに過ぎないので。**
04:10:10から04:55:58までコメント投稿の時間が空いてしまったので、その間に書かれたのかなと思ったりはしますが。
04:55:58で書いているのは、実に上記に引用した後半であなたが言われているようなことです。
印象に残ったスピーチ。
でもね。そういう話題(温暖化含む環境に関すること、核廃絶に関すること、等)は、継続的に取り上げているところは取り上げていると思う。
南さんの記事では、「印象に残ったスピーチ」が、揶揄の(もしかしたらヘイトの?)対象になったり、敬して遠ざけられたり(ほぉ?そうなの?)、みたいに話が続いているわけで。
でも、その部分(経過についての考察)は話題性の問題でしょ?ってことです。
その経過をもって、現実中毒患者がどうのこうのってのは、話の組み立て方がおかしいのか、わざとそういうふうにもってってるのか、いずれにしろ「違うんじゃないの?」って思う。
継続的に取り上げているところは取り上げていると思うから。
でも、2人のスピーチの「内容」が他と違うっていうなら話は別です。
つまるところ「南さんが好ましいと思う『煽り』にのらないやつは病気」っていう話なのか?
どうなんですか?
>批判的な人々が考えている「現実」も、
そのような人々が考えている「現実」というのが、一体どういうものなのか?
そこをまず明確に示してもらいたいところです。
日々の喜びを噛み締められる
現実は『悟りは開かない』って訳で
全然面白くない此の世じゃね・・・とか。
しかしこの本のブックレヴィーで曰く、
「夢と希望を追い求める時代は終わり、もっと肩の力を抜いて、
日々の喜び噛み締められる事が、
何よりも幸せになる。
読後、体が間違いなく軽くなる本です」とあるね。
理想と現実の狭間で自分の人生にどう向き合うかって事かな?
えてして、煙たがられることといふは、それが恐らく「正しいこと」だからではなかろうか。
面白いのは夢物語。
削除できないこと、それがリアル。
でしょ?
これが、無名な61歳の発言なら、身内周辺しか「聞かない」のでは?
時代の先駆者達は、近い将来を見通して最先端を行くのでしょうが、それが必ずしも吉と出るかどうかはまた「別」なのでしょうね。
温暖化危機も核廃絶も、その主張自体に特別なことはあったの?
ここは他の論と違うってことってあったの?
私思うに、あれが取り上げられたのは「発言者が『その人』だったから」じゃないのかと。
そうじゃなくて、特別なことが言われていたのなら、よかったら教えて。
ここでは彼らの論が特別(オリジナリティをもつ)かどうかはどうでもいいのではないでしょうか。
たまたま南さんの最近印象に残ったスピーチを取り上げたに過ぎないので。
論旨は彼ら(グレタさんやローマ教皇)のようなスピーチを行う者、つまり気候変動への対策や核廃絶などといった主張が理想論として退けられ軽んじられてしまうこと、そして理想と現実は所詮ある条件下において成り立つもので現実が理想に理想が現実に変容しそれらの区別は幻想にすぎないということです。
彼らの主張が理想だと感じるのであればそれは我々がある条件下において成り立つ今この現実を絶対不変であると錯覚しているからでしょう。
もし彼らに特異性があるとするならばグレタさんは正に貴方が言うように『その人』だから批判されやすく(女性で子どもだと現実に対し無知なのだと揶揄されるでしょう)ローマ教皇は宗教家であるが故に無宗教や他宗教の人からあるいは政治的批判(政治は現実を重んじるでしょうから)はされやすいでしょう。
>たしか対談形式で、対談相手に「でも南さんは結婚してる」って言われて、「自分がやってて「大切なことだ」って言うといやらしいでしょ、だから」
まさに矛盾。
そこで、「イヤらしい」とするところに、偏見というか屈折が滲み出ているような。
別に独身出家の皆が皆、エラそうでもエバっている訳でもなく、そのように見る人の方にも問題がある訳で。
イヤらしいなんて逃げないで、理性を保つ為、社会的承認を得る為などと言う方がまだマシ。
例えば良寛さんなんかは、それらを突破していたのでしょうから。
縦があるから横がある訳でもなく、横があるから縦がある訳でもなかろう。
これはまさしく、仏教の視座ではないでしょうか。
「壁」だと思っていたことが、あるときふっと消えてしまう感覚、程度の差こそあれ、誰もが子供のころから経験しているのではないでしょうか。
初めて自転車に乗れた時、初めて九九を覚えられたとき、初めて・・・。
『そして、このとき、「単なる理想論」「空論」のように扱われてきた主張が、実はすでに有効性を失いつつある「現実」に替わって、我々が次に制作すべき「現実」の先取りなのだとも言えるでしょう。』
現在の私達の「日常」を構成している「常識」のほとんどは、かっては「非常識」です。
縄文時代、江戸時代にタイムスリップして通用する「常識」は、少ないのではないでしょうか。
「現実」の先取りは「異端」であり、「異端の非常識」が時代により支持されて「常識」になったにすぎません。
『ならば、むしろ「理想」論の持つ非現実性に視点をとり、「現実」の在り様を再検討するほうが、より「現実的」な展望を我々にもたらすのではないでしょうか。』
起業家など「夢を現実にする人達」は、子供の頃の「壁」がなくなった感覚をずっと覚えている人達なのかもしれません。
「100億総不幸社会」に生きたいか
https://forbesjapan.com/articles/detail/24208
*出家僧らしい出家僧の存在は大切
*自分がやってて「大切」っていうといやらしい。
こういうのっていやらしいな、と思ったことは付け加えとく。
「理想と現実」ってところに話を持っていく
1 導入として、女子高生と教皇のスピーチの話題を使う
2 2人の主張は、時代錯誤の現実中毒患者によってスルーの方向に流れている
3 しかしながら「理想」と「現実」とはうんぬん
1は、発言者の特殊性(による話題性)に頼っているだけのことでしょ。
そういうのは時間とともに流されるよ、話題性の問題だもん。
2についてなら、それは2人の発言についてに限らず、日々起こっていることでしょ。そして時代錯誤の現実中毒患者だけが起こしていることじゃない。わたしも(もしかしたら南さんも)その当事者だったりするんじゃん?
もし、意識的に話をスルーしたい、というか、地球温暖化が・環境保護が・核廃絶がどうのこうのっていう主張を「そこそこのところで黙らせないとマズイ」と明確に思っている人がいるなら、その人たちにとっては「現実とはこういうものだ」の「現実」の意味が違うんじゃない?明確に「お金儲けのため」とかさ。
そんな「現実とはこういうもの」なんていう薄らぼんやりしたこと考えてないんじゃないかな。たぶん、かなりいろんなものをつっこんででも推し進めたい方向性を持ってるんじゃない?
そこには彼らなりの「生産性」があるってことじゃん?
なんか、たしか、南さん、どこかで「『出家』の理想と現実(私解釈によるヘッドライン)」みたいな話してたと思うんだよ。
「山ん中にこもって瞑想的な生活する、いわゆる出家僧らしい出家僧の存在って大切だと思う」みたいな。
たしか対談形式で、対談相手に「でも南さんは結婚してる」って言われて、「自分がやってて「大切なことだ」って言うといやらしいでしょ、だから」みたいなことを返してたんだよね。
わたしね、そこにあるのが「理想と現実」だと思う。
今回の記事じゃ他人事みたいに書いてるけど。
温暖化危機も核廃絶も、その主張自体に特別なことはあったの?
ここは他の論と違うってことってあったの?
私思うに、あれが取り上げられたのは「発言者が『その人』だったから」じゃないのかと。
そうじゃなくて、特別なことが言われていたのなら、よかったら教えて。
なんて話が出てくるようだ。
仏教に於ける
理想と現実の狭間にて、
と話をふれば、
誰でも悟れるは理想の語りで、
(誰にも)『悟りは開けない!!』が現実暴露の本か??
その度に、90%も95%も「種の種類数」が、絶滅してきた。
「長い周期の地球の変動の研究」が必要である。
その場合、CO2でなく、太陽活動の影響が大きい。
「CO2が犯人」は、現代版の「魔女狩り」である。
人々が狂っている。
要は、彼の少女は「CO2は犯人ではない」という本は読んでいないだろう。
他方、
ローマ法王の方は、本物だ。
「両方を知って」いて、「自分の頭」で、判断しているから。
「地球」と「太陽」とは「生きている」、勝手に変化している。
「温暖化している」と仮定しても「原因は別にある」。
「CO2の増加からの影響は、少ない」。
「CO2が温暖化の原因である」は、科学ではなく、政治の問題である!
毛沢東の文化大革命の紅衛兵を思い出します。
操り人形だった。
現に操る人がいます。
子供は、純粋にそれを信じています。
バーチャル→理解したふりをしてコメントする
要は、金儲け主義者達に騙されていることに、気づいていない。
夢と理想の違いは、何でしょうか?