草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

いかに有名国立大学教授でも駄目な人は駄目だ

2023年11月19日 | 学問
東大教授た東京外語教授ともあろう人が、一研究者である飯山陽さんに対して、あらん限りの暴言を吐いている。この2人を擁護している人たちの論調はハマス擁護であるということだ。
 そんなお偉いさんがそこまで焦っているというのは、自分たちの対外的な権威が傷つけられるからだろう。大学教授、しかも名門国立大学の教授であることは、そんなにすごいことなのだろうか。
 僕が敬愛する小室直樹や吉本隆明は、そんなアカデミズムの人ではなかった。とくに小室の場合は、大学教授クラスの人間を指導したにもかかわらず、ついぞその職にありつけなかった。その代わりに、小室を高く評価したのは、世間一般の人たちであった。このことを私たちは肝に銘じるべきだろう。
 吉本にしても、自分で『試行』という雑誌を発行して、権威を拒否する自由な学問の場にこだわったのである。その取り巻きは私立大学の卒業生が多かった。どんな地位にあるかよりも、これまで何をしたか、これから何をしようとしているかが問題なのである。
 マックス・ヴェーバーは「私講師やまた研究所の助手が他日正教授やまた研究所の幹部となるためにはたゞ僥倖を待つほかないということである。この傾向はむしろ従来以上であろう。全くそれが偶然の支配下にあることは想像以上である。恐らくこれほど偶然によって左右される経路はほかにないであろう」(『職業としての学問』尾高邦雄訳)と書いている。
 また、ヴェーバー自身が「私が敢えてこの点を強調するのは、私のような者でもこうした全くの偶然のお陰で、ほかにも私と同年配で疑もなく私以上に適任の人があったにも拘わらず、まだ若いころ一学科の正教授に任ぜられたからである」(『同』)とも謙遜している。
 あまりにも日本は権威主義であるために、その肩書で判断したがる。しかし、今回の飯山さんへの攻撃の仕方が、あまりにも感情的なのを目の当たりにして、とんでもない国立大学教授がいることを、私たちは知ったのではないだろうか。アカデミズムには常識がない人間が多過ぎるのであり、それが原因で優秀な人材は海外に逃げてしまうのである。

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