草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

雄弁家の政治よりも「待合政治」の良さを説いた谷崎潤一郎!

2015年11月26日 | 思想家

多数決だとか立憲主義だとかいうのは、あくまでも欧米流の民主主義である。それが絶対かといえば問題がないわけではない。谷崎潤一郎は「饒舌録」においてその弊害を指摘している。「立憲政治とか代議政体とか云ふうやうなものも、果して日本の国民性に合致した政体であるかどうかと。立憲政治は討論政治であり、扇動政治である。然るに前にも云つたやうに由来東洋人は偉い人程おしやべりをしない。古来大政治家で雄弁家だつたと云ふ人を聞かない。日本で弁舌の巧みな奴は大概オツチヨコチヨイである。明治になってからも大隈重信を始めとして尾崎行雄島田三郎の輩は政治家としては失敗している。新聞は衆議院の泥仕合を攻撃し、政党首領株の待合政治を非難するけれども、代議士になるような連中はとても鼻持ちならないやうな下品な人物が多いのだから、泥仕合になるのは当然の帰結である。此れに反して待合政治は日本人の性に合つてゐるのである。静かに四畳半式の座敷で、五六人の心を許した人達がじつくりと膝を突き合はせてこそ、真面目な態度にもなれゝば良い考へも浮かんで来る」。ヘラヘラしている政治家にろくなのはいないのである。平成の世にあっても議会制民主主義が機能していない。野党は政権を攻撃するのに手段を選ばない。まさしく泥仕合の様相である。大衆迎合も目に余る。谷崎は文豪であったばかりでなく、西洋と東洋との違いに着目していた。だからこそ、あえて「待合政治」の良さを説いたのだろう。

 

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