支那と中共とを区別しなくてはならない。支那の民衆は我らの同胞であり、香港で決起した学生たちを孤立させてはならない。共産党を名乗りながらも、実際は国家資本主義である独裁国家中共に対して、一定の距離感を置くのはあたりまえだ。中共は国内をまとめるために日本批判を繰り広げている。反論すべきは断固反論しなくてはならない。明治5年、日本政府は横浜でマリヤ・ルズ号に監禁中の支那人奴隷を解放した。葦津珍彦も『明治維新と東洋の解放』で触れており、白人による東洋人への人権侵害に、勇敢に立ち向かったのである。欧米列強に対抗するには、国権を強化するしか選択肢はなかった。葦津は「このマリヤ・ルイズ号事件は、明治維新の外交精神を端的にしめしてゐる。それはアジアを植民地化し、奴隷化しようとする白人の勢力に反撥して、東洋の独立解放とを求める精神である。尊攘の精神である。東洋の独立と解放のためには、まづ日本の国権を強くせねばならない。日本の国権を強化し、拡張することは、そのまま東洋の解放に通ずると考へられた」と述べている。日本のそうした外交方針は、ロシアの革命家レーニンや、支那の革命家孫文にも支持された。あくまでも目的があって国権を強くすることを主張したのである。宮崎滔天、山田良政らが辛亥革命に身を投じたのも、そうした背景があったからだ。今の支那も民衆の力で独裁国家を打倒して、自由な国家に生まれ変わらなくてはならない。孫文と宮崎滔天が手を取り合った東洋王道の精神は、未だに色褪せてはいないのだから。
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