草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

イサベラ・バードの『日本奥地紀行』に記された峠越えの駅場

2012年06月01日 | エッセイ

 今日の午前中、会津美里町の市野まで車で出かけてきた。会津はどこに出るのにも峠を越えなければならないが、廃れた峠道に乗り入れると、不思議と心が落ち着く。そこに向かう途中に桐の花が咲いていた。「いつとなくいとけなき日のかなしみをわれにおしえし桐の花はも」という短歌を芥川龍之介が残している。桐の花から汚れなき幼い日を連想したのだ。淡い紫色の筒状で、甘い香りが漂っているのが桐の花である。奥ゆかしさがあるだけに、山が連なる奥会津には、ことさらその花が似合う。ほのかに咲くからだろう。平成2年に林道が開通したことで、以前のように下郷町の大内宿まで通行が可能になった。会津西街道は大内宿から関山を経て若松に出るルートもあったが、イサベラ・バードは市野から高田を目指したのである。バードは『日本奥地紀行』で「そこの駅場係は女性であった。女性が宿屋や商店を経営し、農業をやるのは男性と同じく自由である」と書き記している。バードは鉄火肌のような会津女を目撃したのだろうか。そうではなくて、身を粉にして働く健気さに、心打たれたのだと思う。バードがそこを馬で通ったのは、明治11年6月28日のことである。すでに桐の花は散っていたとしても、可憐な会津女が出迎えたのだろう。耳を澄ますと馬のいななきが聞こえてきそうで、峠越えの駅場であった集落を前に、勝手にそんなことを想像してしまった。

 
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地方参政権での韓国人優遇は日鮮同祖論の蒸し返しだ!

2012年06月01日 | 思想家

 喜田貞吉らが唱えた日鮮同祖論を蒸し返すことになりはしないか。在住外国人の地方選挙権について民主党は、日本と国交のある国の「特別永住者」を対象にしたいようだ。民主党が政権に就いているうちに、大韓民団との約束を果たさなければ、嘘を吐いたことになるからだろう。しかし、韓国人を特別視するのは、日本人と韓国人の祖先は同一との思い込みがあるからではないか。古代から日本と朝鮮半島が密接であったというのは、否定できない事実だとしても、一つの国民のように考えて行動すると、かえって反目することになるだろう。明治43年に日本が韓国を併合したことで、昭和20年8月15日までは、日本人と韓国人は同じ国民であった。韓国人が政治家になることもできたし、大東亜戦争では、特攻隊員として散華した人たちもいる。大アジア主義を掲げる大陸浪人にとっては、それは理想を実現するための一里塚でもあった。にもかかわらず、現実はどうであったろうか。深入りし過ぎたことで、逆に日本人は恨みを買うことになり、それが現在も尾を引いているのだ。無理に一緒になろうとすれば、混乱するだけで、得るものは何一つない。日韓両国は距離を置いた方が無難なのである。選挙権を手にしたければ、日本国籍を手にして、日本人になればいいのだ。どちらの国に忠誠をつくすかが問われるのであり、二つの祖国を持つことは許されないのである。どうして民主党は、過去の歴史から学ばないのだろう。

 
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