私の住む会津地方は、日本でも典型的な農村地帯である。雪の季節が目の前に迫っていても、時間があれば、人々は農作業にいそしんでいる。その営みのなかで培われてきた文化というものが、日本人のバックボーンになっているのではないか。しかし、今の日本では、インテリと評する売国奴が、農業を侮辱するような言葉を平気で吐いている。TPPを推進するにあたって、農業は障害にしかならないのだという。「どうせ後継者もいないのだから、外国から安い農産物を買えばいい」と。とんでもない暴論ではないか。農業を人間教育の場として位置づけたのは、数学者の岡潔であった。「春にまき、夏に育て、秋にとりいれるという基本は、自然との協同を率直に示している」「人間の能力の限界を超えた自然の力にたよりながらも、また自然の猛威をおそれ、天に祈り地に伏してなげくということのなかで、ひとは自然の鼓動、天地万象のいぶきを感じるだろう」(「日本の理想」)。その主張の根底にあるのは、自然との一体感を回復することで、人と人との結びつきも回復するという哲学だ。文明が進歩することで、自然は征服されるべき世界となり、いわば他人化されてしまった。この結果、人間は孤独となり、不安と絶望感にさいなまれることとなった。ここで農業を切り捨てるならば、「日の光、風の音とともにある」(同)という生活とまったく無縁になり、人間一人ひとりが、なおさら孤立してしまうに違いない。
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