草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

ペリー来航の外圧に立ち向かった与力中島三郎助の勇気

2011年11月08日 | 歴史

 日本は国家として、アメリカと対等であるべきだし、それを目指すのが主権国家ではなかろうか。昭和20年8月15日に降伏し、大東亜戦争で敗れたとはいえ、心まで卑屈になる必要はないのである。ペリーが4隻の黒船を率いて浦賀にやってきたのは、嘉永6年(1853)年のことであった。そのときに東インド艦隊司令長官のペリーと交渉にあたったのが、与力中島三郎助である。中島は洋式軍学を習得した開明派であったが、臆することなく、日本側の考えを堂々と述べた。ペリーが「日本高官でなければ交渉しない」と突っぱねたのに対して、「高官が異国船と応接することはない」と断固拒絶した。このため、ペリーは激怒し、実力行使すらほのめかしたが、中島はそれにも怯まず、かえって副奉行と偽って、旗艦サスクェハナ号に乗り込むのに成功したのである。井上勝生の『幕末・維新 シリーズ日本近現代史①』を読んで、幕臣にも腹の据わった人間がいたことを知った。後に中島は函館の五稜郭で戦死したが、文明では劣っていても、一歩も引かなかったのである。幕末期の日本は攘夷の風が吹き荒れていた。隣国清がアヘン戦争に敗北したことで、欧米列の脅威が現実のものとなっていた。しかし、多くの日本人は外圧に立ち向かったのである。それと比べると、今の民主党政権の体たらくは目にあまる。売国奴そのものではなかろうか。

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チョロチョロ隠れて説明責任を果たさぬドジョウ首相を嗤う

2011年11月08日 | 政局

 ドジョウを自称しているということは、国民に向かって、能力のなさを弁解しているのと同じではないか。少しくらいヘマをやっても、許してもらうために、自分を卑下したかのような物言いをしているだけではないか。衆議院の予算委員会が今開かれているが、聞いていてガッカリするのは、野田佳彦首相の答弁に心がこもっていないことだ。演説がうまいと持ち上げた連中は、官僚の文面を読み上げるだけの野田首相を、どうかばうつもりだろう。ドジョウというのは、敵に襲われそうになったりすると、刃向かってゆくのではなく、泥に隠れる習性があるという。野田首相もそれと変わらない。言葉によって国民を説得するつもりはサラサラなく、ただペコペコすれば、国民は付いてくると考えているのだろう。しかし、TPPへの参加や消費税の引き上げについての説明は全く果たされておらず、政治家としては、あまりにも卑怯ではなかろうか。自民党の茂木敏充が民主党政権のいい加減さを鋭く追及しているが、閣僚はまともな答弁もできずに、オタオタしている姿はぶざまである。ドジョウということで、チョロチョロ逃げ回るのが野田首相なのだろうが、そんな政治家しか民主党にはいないのだから、嘆かわしい限りだ。本来であれば、政治家は逃げも隠れもせず、堂々と国民に語りかけるべきなのである。

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