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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■最上の部分を献げる / 福井 誠

2022年07月19日 | Weblog

 

2022/2/8放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠です。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日は民数記18章29節から「最上の部分を献げる」と題してメッセージをお伝えいたします。

 「あなたがたへのすべての贈り物のうち、それぞれの最上の部分で聖別される分から主へのすべての奉納物を献げなさい。」

 神はアロンを祭司職に任命すると、「その神聖な務めに責任を持つように」と語りかけています。「誰もこれに代わることはできない。聖所や祭壇の奉仕は祭司だけの独占的職務であり、その職務を侵害するならば裁きにあう。」と言うのです。そしてそうであればこそ、「祭司もその職務で問題があれば、その咎を負うのだ。」と警告されています。実に祭司は責任ある職務でした。

 続いてそのような務めに専従するにあたり、「祭司は聖所に奉納されるささげ物からその生活の糧を得ることが許される」と語られています。祭司は、他の一般人のように土地を持つことは許されず、ただ祭司の職務に専心することが求められたのです。そしてここでは二種類の収入が認められています。祭司だけに権利があるもの、また祭司の家族も受けられるものでした。

 こうして神は。祭司の働きが正当に評価され、彼らとその家族の必要が神の民のささげ物によって満たされるように定められたのです。

 後にパウロはこの定めを取り上げて、牧師、伝道師がその働きから生活に必要なものを得ることを教えています。教会の牧師の霊的な働きを認め、それに相応しい報酬を考えていくというわけです。確かに福音と福音を語る者の働きに相応しい報酬を教会が考えていくことは大切です。

 というのも、神は働き人の働きに相応しい報酬を認めることで、福音と福音を語る者の価値を認めることを期待しているからです。そのような意味で、ただお金がどうのこうのというのではない、働きに対する適切な評価と愛の配慮のあるところに神の祝福の豊かさもあると言えるでしょう。

 では、今日もよき一日となるように祈ります。

    ( PBA制作「世の光」 2022.2.8放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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■アーモンドの実を結んでいた / 福井 誠

2022年07月18日 | Weblog

2022/2/7放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠です。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日は民数記17章8節から「アーモンドの実を結んでいた」と題してメッセージをお伝えいたします。

 「その翌日、モーセはあかしの天幕に入って行った。すると見よ。レビの家のためのアロンの杖が芽を出し、つぼみをつけ、花を咲かせて、アーモンドの実を結んでいた。」

 しばらくご無沙汰しているうちに聖書通読は民数記に入りました。これから一週間、共に民数記を読んでまいりましょう。

 さて、エジプトで奴隷であったイスラエルの民がエジプトを脱出した後のことです。彼らは改めて自分たちの民族的な特徴を形作る大切な神の教えを与えられる機会を持ちました。その記録が先に読んだレビ記であり、またこの民数記と言えます。

 ともあれ彼らはまことの神を礼拝する神の民であり、神と人を仲介する祭司という役職を持つようになりました。ところが、実際に祭司制度が動き始めると、最初にその地位についたアロンに異議を唱える人々も出てきたわけです。

 なぜアロンでなければならないのか。そこで、この章はアロンが12部族の長の中で唯一祭司として選ばれたことを明らかにする神の奇跡的な介入を伝えています。

 それは、各部族の長が自分の杖に自分の名前を書いて、あかしの箱の前に置き、翌日そこから芽がでていれば「それが神の選んだ人である」というもので、実際に翌日、芽を吹き花をつけアーモンドの実を結んでいたのはアロンの杖だけであったというものです。これによってイスラエルの民は、神の実在と、祭司を任命する神の権威を覚え、アロンの祭司としての働きを認めていくのです。

 現代のイスラエルにこのような祭司制度はありませんし、まして今の日本人の信仰者にこのようなエピソードが何の意味を持つのかと思うところでしょう。

 しかし、大切なのは、神がご自身の民を守り導くために一つの秩序を与えられたということです。神は混乱の神ではなく秩序の神です。

 では、今日もよき一日となるように祈ります。

    ( PBA制作「世の光」 2022.2.7放送でのお話しより )


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■キリスト教教育に生きた 井口喜源治 / 岩井基雄

2022年07月16日 | Weblog

2022.2.5放送

 「世の光」の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。この土曜日は歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学びましょう。今日は、キリスト教教育に生きた井口喜源治(きげんじ)の人生を見てみましょう。

 井口喜源治は、明治三年、今の長野県安曇野に生まれました。松本中学校に通う中で、井口は英語教師であり宣教師でもあったエルマー夫妻と出会い、初めてキリストの愛に触れます。井口は中学を出て明治法律学校に進みましたが、学業半ばで長野県の小学校の先生となり、複数の小学校で神の愛を届ける誠実な教師として歩みます。その中で東穂高(ひがしほだか)禁酒会に加わります。子どもたちを取り囲む家庭の現状やお酒が関わる問題を目の当たりにしてきた井口は、禁酒会の活動を通しても聖書が語る神様の愛と赦し、またエルマー宣教師から学んだ聖さを人々にまた子どもたちにも教えていったのです。

 井口の教え子の中から何人もキリストを信じる者が現れる中、当時の教育界はキリスト教への警戒を強めました。井口が後に加わる芸妓置屋(げいこおきや)設置への反対運動もその警戒をより強めることになり、ついに井口は公教育の現場から排斥されてしまったのです。

 しかし、真の愛の教育を求める井口は明治三十一年に私塾・研成義塾(けんせいぎじゅく)を設立し、貧しさの故に教育を受けられない子供たちを受け入れ、教科はすべて井口一人が教えました。

 全人格教育に心をとめていた井口は道徳の教育として聖書を用います。神の愛に生かされることと、キリストにある愛の使命に生きることを子どもたちに伝え続けたのです。34年間で800名近い人たちをこの世に送り出しました。

 この井口の愛の姿に感銘を受け、彼を支え続けたのがキリスト者、内村鑑三でした。内村の支援を受けながら、井口はエルマー宣教師夫妻を通して受けたキリストの愛を子どもたちに注ぎ、痛みを通る子どもたちに寄り添い、愛と真実に生きる人格者を育み続けたのです。

 キリストのことば

 「わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」
       新約聖書 ヨハネの福音書13章34節

     ( PBA制作「世の光」2022.2.5放送でのお話しより )


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■最後の晩餐 / 岩井基雄

2022年07月15日 | Weblog

2022.2.4放送

 「世の光」の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。昨日に引き続き、新約聖書の福音書から学びましょう。今日は「最後の晩餐」についてです。

 「最後の晩餐」というと、レオナルド・ダ・ビンチが描いた絵がとても有名ですね。イタリア・ミラノにある教会の食堂の壁に描かれた有名な絵です。絵の修復が進む中で、描かれた食事の内容なども分かってきました。

 しかし、キリストの最後の晩餐の食事は旧約聖書の過越の食事でした。それは神の民イスラエルがエジプトで奴隷状態だったとき、神はモーセというリーダーを立ててエジプトを脱出させる道を開かれました。その脱出の時に急いで食べた食事が過越の食事の原点にあり、エジプトでの苦悩と救いを覚える恵みの食事でした。その食事に、キリストは新しい意味を与えるべく真の救いの恵みの食事を弟子たちとともにしたのです。

 その意味をまだ理解していなかった弟子たちでしたが、その最後の晩餐は忘れることが出来ない恵みの時となります。

 その食事の席で、キリストは弟子たちの足を洗ったのです。本来は食事の会場にいたしもべか、しもべの席と呼ばれる場所に座った者が皆の足を洗うはずでした。しかし、誰が一番偉いか、と弟子たちの間で議論が進む中、誰も立ち上がろうとはせず、キリスト自身が立ち上って彼らの足を洗ったのです。

 それは高慢な弟子たちの汚れた足をもへりくだって洗い、豊かな恵みを示すキリストの愛の姿でした。キリストはご自分を既に裏切っていたイスカリオテのユダの足だけではなく、このあと全員が裏切る弟子たちの足を、きれいに洗って愛を示されたのです。

 その愛の姿は大きな模範でもありました。キリストはこう語ります。
 「主であり、師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのであれば、あなたがたもまた、互いに足を洗い合わなければなりません。」
    新約聖書 ヨハネの福音書13章14節

 この最後の晩餐でキリストは弟子たちに限りない愛を表しつくされました。それはこのあと自分たちの愚かさと向かい合う弟子たちが互いに赦し合い愛し合い仕え合うためでした。キリストの愛に生かされる交わりは人生を新しくしていくのです。

     ( PBA制作「世の光」2022.2.4放送でのお話しより )


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■イスカリオテのユダの心の闇 / 岩井基雄

2022年07月14日 | Weblog

2022.2.3放送

 「世の光」の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。

 私たちの心にはさまざまな闇があります。その闇は自分の人生に大きな影響を与え、周りの人々をも傷つけてしまいかねません。

 キリストの弟子たちにも深い闇がありました。12人いたキリストの弟子たちは、最終的には全員キリストを裏切ります。しかし、その中でも最も深い裏切りを実行したのは、イスカリオテのユダと呼ばれる弟子でした。

 聖書はこう記しています。

 「さて、十二人の一人であるイスカリオテのユダは祭司長たちのところへ行った。イエスを引き渡すためであった。彼らはそれを聞いて喜び、金を与える約束をした。そこでユダは、どうすればイエスをうまく引き渡せるかと、その機を伺っていた。」
  新約聖書 マルコの福音書14章10節、11節

 ユダは他の弟子たちから信頼もあり、彼らのお金を預かっていたようです。 しかし、キリストを裏切り、わずか銀貨三十枚で売るのです。それは当時の奴隷一人の値段でしたから、主を奴隷扱いするほどにお金に心奪われたとも言えるでしょう。

 当時の祭司はサンヘドリンと呼ばれる最高法院を司どり、祭司長は裁判の権威を持っていました。この祭司たちとユダが既に手を組み、キリストを裏切ったことを主はご存じでした。しかし、キリストはこの後用意させる最後の晩餐の席で、主賓である自分が最も愛する者のための席に、このユダを座らせるのです。

 それは彼の裏切りを知るキリストのユダへの愛の表れであり、最後の悔い改めへの招きでもあったでしょう。しかし、ユダはキリストを裏切ったまま、地上の生涯を自ら閉じる道を選んでしまいます。彼は罪を悔い改めることをしなかったのです。彼の赦しのためにも、キリストは十字架にかけられたことを私たちは受け止めたいと思います。

 あなたのすべてを知る主はあなたを愛し、あなたの罪をも赦そうと待っていらっしゃるのです。

 聖書のことば

 「悔いあらためて神に立ち返りなさい。そうすればあなたがたの罪はぬぐい去られます。」
   新約聖書 使徒の働き 3章19節

 あなたも自分の心の闇を認め、罪を悔い改めて赦しを受け取りませんか? そして愛と恵みの道を力強く歩んでいただきたいのです。

     ( PBA制作「世の光」2022.2.3放送でのお話しより )


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■祈りてによる勝利 / 岩井基雄

2022年07月13日 | Weblog

2022.2.2放送

 「世の光」の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。

 私たちは苦難の中で祈りをささげます。誰に祈ったら良いのか分からない時でさえ祈り心を持つのです。私たちが神様に向かう者、神を求める存在として造られたことを聖書は証ししています。神の愛によって満たされる存在が私たち人間なのです。そして聖書が語る神様は私たちの祈りを聞き、ふさわしい助けを与えてくださいます。

 神の民イスラエルが乾いた地である荒野を旅して神の約束の地へと向かう途中、アマレク人たちがイスラエルに戦いを挑んだのです。リーダーであるモーセは神への祈りこそ、勝利の鍵であることを知っていました。そこでモーセはその戦いを次期リーダーのヨシュアに委ね、彼は兄アロンとフルとを連れて戦いの全体を見ることができる丘に登りました。それは勝利のために祈るためでした。

 不思議な神の憐みによってモーセが祈りの手を上げて祈っている時には、イスラエルが優勢になり、手を下ろすとアマレクが優勢になったのです。祈りの重要さがそこに示されていました。しかし、モーセとて手を上げ続けることには限界がありました。どうしたのでしょうか。

 聖書はこう記しています。

 「モーセの手が重くなると、彼らは石を取り、それをモーセの足もとに置いた。モーセはその上に腰掛け、アロンとフルは、一人はこちらから、一人はあちらから、モーセの手を支えた。それで彼の両手は日が沈むまで、しっかり上げられていた。」
    旧約聖書 出エジプト記17章12節

 そして、ついにヨシュアはアマレクを討ち破ったのです。勝利のための祈りの手を上げ続けることは決して簡単ではありません。私たちは皆弱いからです。モーセにしても勝利のためには助けが必要でした。ともに神の前に信頼して祈り、ともに闘うチームが必要だったのです。

 神様は私たちが神様に信頼して祈り求めることを喜び、待っていてくださいます。 あなたもまた神への信頼の祈りを一人だけではなく、神にある仲間とともにささげ続けていきませんか?

 聖書のことば
 
 「たゆみなく祈りなさい。感謝をもって祈りつつ、目を覚ましていなさい。」
          新約聖書 コロサイ人への手紙 4章2節 

     ( PBA制作「世の光」2022.2.2放送でのお話しより )


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■創造主からの憐みの水 / 岩井基雄

2022年07月12日 | Weblog

2022.2.1放送

 「世の光」の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。
 私たちにどうしても必要なものの一つは飲み水です。人間の身体の約60%は水でできていると言われますが、飲み水がなくなったり安全な水を得られなかったとしたら人は生きられないのです。

 神の民イスラエルは神に導かれ、モーセというリーダーを通して、奴隷状態だったエジプトを脱出し、神の約束の地へと向かっていました。その数は男性だけで200万人。女性や子どもを含めるとその倍以上にもなる多くの人々に必要な水を得ることは簡単ではありませんでした。しかも、彼らが通っていた荒野という乾いた場所では大変なことでした。飲み水がなく渇き切った神の民はリーダーであるモーセに怒り、彼を撃ち殺そうしたのです。しかしその怒りの本質は神に対するものでした。彼らは全てを創造され、あの海をも分けて数百万人の神の民を渡らせた主権者なる神様に信頼することができなかったのです。

 民の怒りを受けてモーセは神様に向かいます。彼はどこまでも神様に信頼しました。そして神様はモーセにこう命じました。

 「さあ、わたしはそこ、ホレブの岩の上で、あなたの前に立つ。あなたはその岩を打て。岩から水が出て、民はそれを飲む。」モーセはイスラエルの長老たちの目の前で、そのとおりに行った。
      旧約聖書 出エジプト記 17章6節

 ホレブとは「乾燥した場所」という意味を持ちます。その岩から神は水を溢れさせ、数百万人の民を潤したのです。「あなたの前に立つ」と語られた神は、その奇跡を通してご自身の存在を、民に対しても明らかに示されました。民に注がれた奇跡の水は神の憐れみの水でした。神に信頼せず背き続けた民をも神は愛し、憐れまれたのです。神は愚かな神の民をも愛し、憐れみを注ぎ、導き続けてくださったのです。

 聖書のことば

 「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに真実の愛を尽くし続けた。」
  旧約聖書 エレミヤ書31章3節

 あなたにも憐みの愛を注ぎ、心も体も潤される神様の恵みを受け取り、あなたが今抱える問題のただ中をも、神様に信頼して雄々しく歩んでいきませんか?

     ( PBA制作「世の光」2022.2.1放送でのお話しより )


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■創り主の恵みによる慰め / 岩井基雄

2022年07月11日 | Weblog

2022.1.31放送

 「世の光」の時間です。お元気です? 岩井基雄です。

 今日は詩篇119篇の6回目として、創り主なる神の恵みによる慰めに心を留めてみましょう。

 人生の苦難の中で私たちは悩みを深めます。そしてその苦難や痛みの意味を探し求めるのです。この詩篇の作者は、聖書が語る神様に向かって「あなたの御手が私を造り」と告白し、自分を創造した神様に祈りをささげます。

 そして創造主なる神の主権を認めてこう続けます。

 「主よ 私は知っています。あなたのさばきが正しいことと あなたが真実をもって 私を苦しめられたことを。」
       旧約聖書 詩篇119篇75節

 彼は、すべての主権者である神様のなさるさばきの正しさに信頼し、神はご自身の真実をもって、すなわち目的と意味を持って私を苦しめられたのだと告白します。
自分の苦しみに神様のご計画があることを知るとき私たちは安心します。自分の思うようにならないことが悩みを深めても、私たちの思いをはるかに超えた神様の知恵に信頼し、神様の主権にすべてを委ねる事ができるからです。そして悩みだけではなく、自分自身や人生をも神様の愛の御手にゆだねることが出来るからです。

 この詩篇の作者は深い悩みの中から信頼できる創造主なる神に心を向け、次のように祈ります。

 「どうか 私に悟らせ 私があなたの仰せを学ぶようにしてください。…どうか このしもべへの約束にしたがって あなたの恵みが私の慰めとなりますように。」
 詩篇119篇73節、76節

 彼は神の「仰せ」すなわち神のみことばが自分を生かすものであり、そしてその神様の恵みと憐みこそが本当の慰めになると心から告白します。そして続く81節で彼はこう祈ります。

 「私のたましいは あなたの救いを慕って 絶え入るばかりです。私はあなたのみことばを待ち望んでいます。」

 彼は、神の救いの道を求め、慰めに満ちた神のことばを待ち望むのです。
あなたも神のことばである聖書のことばを心に深く受け止め、神様の愛と平安に生かされる歩みを続けていきませんか? 神様はあなたを豊かに愛しておられるのです。

     ( PBA制作「世の光」2022.1.30放送でのお話しより )


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■神の救いのみわざ / 羽鳥頼和

2022年07月09日 | Weblog

2022.1.29放送

 「世の光」の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。

 今日は神のみわざについて旧約聖書の詩篇111篇からお話しします。

 神のみわざとは「神がなさる業(わざ)・行い」です。それは神がなさることであり、神の働きです。

 詩篇111篇は、神が自分たちのためにしてくださった具体的なみわざを覚えて神をほめたたえています。特に二つの神のみわざを覚えることができるのですが、それらは最後にお話しします。特に二つ目の神のみわざは私たちに救いを与える素晴らしいみわざです。
 この詩篇では、神のみわざがどのようなものであるかが語られています。

 「神のみわざは偉大で、神がみわざをなさる時、神の威厳、威光、義が現わされます。神はご自分のみわざを人に現わし、人の心に神のみわざを記憶させて、いつまでも覚えているようになさるのです。神は、神を恐れる者に食べ物を与え、神の約束を果たされました。神は、神を恐れる者に幸せな生活を約束し、その約束を果たされたのです。」

 そして、具体的な神のみわざを現わすこのようなことばが語られます。
 「主はみ民のために、贖いを送り、ご自分の契約をとこしえに定められた。」

 神は人を救うために執り成す者を遣わして、その人を救い、神との関係を良いものとしてくださったというのです。

 聖書の中にこのような神のみわざが二つ語られています。
 
 旧約聖書においては、モーセを遣わしてエジプトから救い出し、シナイ山で契約を結び、荒野の四十年間の旅を守り、約束の地に導かれた神のみわざが覚えられています。

 新約聖書においては、イエス・キリストの十字架によって人が贖われて、神と新しい契約を結ぶことができることが教えられています。

 神が私たちのためになされた偉大なみわざが、このイエス・キリストの十字架による救いなのです。

   (PBA制作「世の光」2022.1.29放送でのお話より)
 
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このサイトは URL名として
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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■寄留者を愛する / 羽鳥頼和

2022年07月08日 | Weblog

2022.1.28放送

 「世の光」の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。

 今週は旧約聖書の申命記のモーセのメッセージからお話ししています。それは、神が与えると約束してくださった土地に入る時にモーセがイスラエルに語ったメッセージです。このメッセージは今の私たちにも大切な神の教えです。

 申命記10章でモーセはこのように語っています。
 「今、あなたの神が、あなたに求めておられることは何か。それは、神を恐れ、神の命令を聴くことである。そして、この命令はあなたを幸せにするのだから、神を愛して、神の命令を守り行いなさい。」

 さらに、モーセは、神がどんなお方であるか語ります。
 「あなたがたの神は、神の神、主の主、偉大で力があり、恐れ多い方である。その方が、寄留者を愛して、食物と衣服を与えられるのである。」

 こう語った後、「あなたがたも寄留者を愛しなさい」と教えています。

 ここでの神の命令は、神を愛して、隣人を愛しなさいということです。
「寄留者」とは「異邦の民」のことです。もともと異邦の民とは真の神を信じない人たちのことでした。しかし、その人たちが真の神を信じるなら、その人たちは寄留者としてともに幸せに暮らすことができたのです。

 神が私たちに与えられる命令の土台となるのが、「神を愛し、人を愛する」ことです。現代に生きる私たちも、愛がどんなに素晴らしいものであるか知っています。愛こそすべてなのです。でも実際には人を憎んだり妬んだりしてしまい、互いに愛し合うどころか傷つけあってしまうことが多いのではないでしょうか。

 聖書はまず、神が人を愛しておられるお方であることを教えています。さらに神の愛がどんなに素晴らしいのかを教えてくれています。

 こうして聖書によって、神は、神を愛し人を愛するにはどうしたらよいかを教えてくださっているのです。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
             新約聖書 ヨハネの福音書 3章16節

   (PBA制作「世の光」2022.1.28放送でのお話より)
 
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