2022.2.2放送
「世の光」の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。
私たちは苦難の中で祈りをささげます。誰に祈ったら良いのか分からない時でさえ祈り心を持つのです。私たちが神様に向かう者、神を求める存在として造られたことを聖書は証ししています。神の愛によって満たされる存在が私たち人間なのです。そして聖書が語る神様は私たちの祈りを聞き、ふさわしい助けを与えてくださいます。
神の民イスラエルが乾いた地である荒野を旅して神の約束の地へと向かう途中、アマレク人たちがイスラエルに戦いを挑んだのです。リーダーであるモーセは神への祈りこそ、勝利の鍵であることを知っていました。そこでモーセはその戦いを次期リーダーのヨシュアに委ね、彼は兄アロンとフルとを連れて戦いの全体を見ることができる丘に登りました。それは勝利のために祈るためでした。
不思議な神の憐みによってモーセが祈りの手を上げて祈っている時には、イスラエルが優勢になり、手を下ろすとアマレクが優勢になったのです。祈りの重要さがそこに示されていました。しかし、モーセとて手を上げ続けることには限界がありました。どうしたのでしょうか。
聖書はこう記しています。
「モーセの手が重くなると、彼らは石を取り、それをモーセの足もとに置いた。モーセはその上に腰掛け、アロンとフルは、一人はこちらから、一人はあちらから、モーセの手を支えた。それで彼の両手は日が沈むまで、しっかり上げられていた。」
旧約聖書 出エジプト記17章12節
そして、ついにヨシュアはアマレクを討ち破ったのです。勝利のための祈りの手を上げ続けることは決して簡単ではありません。私たちは皆弱いからです。モーセにしても勝利のためには助けが必要でした。ともに神の前に信頼して祈り、ともに闘うチームが必要だったのです。
神様は私たちが神様に信頼して祈り求めることを喜び、待っていてくださいます。 あなたもまた神への信頼の祈りを一人だけではなく、神にある仲間とともにささげ続けていきませんか?
聖書のことば
「たゆみなく祈りなさい。感謝をもって祈りつつ、目を覚ましていなさい。」
新約聖書 コロサイ人への手紙 4章2節
( PBA制作「世の光」2022.2.2放送でのお話しより )
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