2025/4/14放送
「世の光」の時間です。お元気でお過ごしですか? 関根弘興です。今週は、イエス・キリストが十字架につけられたことを覚える受難週です。
イエス様の生涯は新約聖書の福音書に記されています。ちょうどユダヤ最大の祭り「過越祭」の時期でした。このお祭りが近づくと、世界中からユダヤ人たちが神殿のあるエルサレムに押し寄せ、たくさんの人で溢れかえっていったのです。
イエス様が十字架につけられる前の日のことでした。イエス様は弟子たちと食卓に着き、なんと弟子たちの足を洗い始められたのです。
普通、宴会の席に招待された客が足を洗ってもらうのは、その家に入る時でした。そして足を洗うのはもちろん奴隷の仕事です。サンダル履きで外を歩いたために汚れた足を奴隷に洗わせるわけです。
ここに集まった弟子たちも家に入る時、き奴隷に洗ってもらったかどうかわかりませんが、普通はすでに足を洗ってから食卓に着いているはずです。しかしイエス様は食事をしている最中に、わざわざ立ち上がり、上着を脱ぎ、腰をかがめて弟子たちの足を洗い始められたのです。
イエス様がここでわざわざ食事の間に弟子たちの足を洗われたということはどのような意味が込められているのでしょう。それはイエス様がひとり一人に仕えるしもべとして来てくださったということを示しているのです。
そしてイエス様は不思議なことを言われました。「もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません」 こう言われたのです。
あなたはイエス様との関わりは何によって始まると考えますか? 何か立派なことをし、すばらしい功績を収めたら、イエス様も喜んで関わってくださる、そう考えますか? 聖書が私たちに教えていることは、もっとも汚れている足に象徴される私たちの心の汚(きたな)さ・罪をイエス様によって洗っていただくことからイエス様との関係はスタートするんですよ、と教えるんですね。
普通は人の汚い部分とは関わりたくないものです。そして自分の汚い部分は隠したいものですよね。
しかしイエス様が来られた目的は、私たちのありのままをご覧になって、私たちの最も汚い部分を、罪を、洗い清めるために来てくださったのです。
そしてそのためのたったひとつの方法は一体何だったのでしょう?
それは、自らが私たちの罪の身代わりとなって十字架についてくださる、という不思議な不思議な道だったのです。
( PBA制作「世の光」 2025.4.14放送でのお話しより )
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