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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■彼女を見つけた / 福井 誠

2022年04月19日 | Weblog

2021/10/12放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井誠です。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日は創世記16章7節から「彼女を見つけた」と題してメッセージをお伝えいたします。

「主の使いは、荒野にある泉のほとり、シュルへの道にある泉のほとりで、彼女を見つけた。」

 昨日から「イスラエルの父」とも言われたアブラムを取り上げています。彼は信仰の人であり、神のことばを素直にかつ真剣に受け入れた人です。ところが彼の妻サライは逆でした。彼女は目に見えない神を信頼することができなかったのです。しかし状況を考えると無理もないのかなあと思うところもありますねえ。

 サライは神に、子を産むことを約束されましたが、もうすでに子を産むのは難しい年齢でした。そこでサライは自分ではなく当時の習慣に従って女奴隷に子を産ませる方が良いと考えたのです。結果、アブラムもそれに同意していますね。信仰の人アブラムもサライの不信仰に引きずられてしまいました。

 ともあれ、このように神を信じず人間的な方法で子どもを得た結果は人間的な混乱でした。女奴隷のハガルは身ごもると女主人のサライを軽く見る思わぬ事態が生じたのです。女主人サライはこのハガルの態度に我慢がならずいじめ、最終的には子どもといっしょに家を追い出してしまったのでした。

 子どもを抱えながらサライのもとから出ていったハガル。彼女に行く当てもありません。眼前には乾燥した荒野が広がるのみでした。女主人の思いつきに人生を振り回されて絶望的な状況に捨て去られる。何ともかわいそうです。

 けれども聖書は、そんなハガルを主の使いが見つけたとあります。そして女主人のもとに帰ってへりくだるようにと助けてくれるのです。そしてハガルは守られました。印象的なのは絶望的な状況に捨て去られたハガルを見つけ出してくださった神がおられることですね。

 私たちの信じる神は消え去りそうな人を見つけ出し、人生のセカンドチャンスを繋いでくださる方だと心得たいものです。

 では、今日も良き一日となるように祈ります。

    ( PBA制作「世の光」 2021.10.12放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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■アブラハムは主を信じた / 福井 誠

2022年04月18日 | Weblog

2021/10/11放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井誠です。今日は、創世記15章6節から「アブラハムは主を信じた」と題してメッセージをお伝えいたします。

 「アブラムは主を信じた。それで、それが彼の義と認められた。」

 これから一週間は福井誠の担当ということで創世記から読んでみましょうね。前後の関係が知りたい方は私の聖書通読ブログも参照されると良いでしょう。

 さて今日はアブラムという人物のお話しですが、このアブラム、「イスラエルの祖」「イスラエルの父」と呼ばれる人物です。神様に呼び出されて自分の生まれ故郷ウルを出て、ユーフラテス川を渡ってカナン、今日のイスラエルにやってきた人です。

 当時はエジプトのような大国もありましたが、まだまだ様々な部族が力を競い合っていた時代ですね。ソドム、ゴモラ、アデマといった様々な勢力に囲まれ、アブラムは一度、甥のロトのために軍隊を組織して戦っています。ですからこのときアブラムも相当の勢いのある部族になっていたと思われます。

 15章はそのような背景の中でのお話し。アブラムは近隣の諸部族と戦って勝利を収めましたが、弱肉強食の世界、いつ足元をすくわれるかわからない状況に置かれていました。しかも外から来たよそ者です。アブラムは気の抜けない思いでいたことでしょう。

 そのような時に、彼をこのカナンに連れてきた神が幻のうちに現れて、約束をもってアブラムを力づけているのです。

 神はアブラムに、守りの盾となってくださると言っています。また天を仰がせ、無数の星のようにたくさんの子孫を与え、祝福してくださることを約束しています。アブラムはそのことばを単純に受けとめ、信じました。

 大切なのはこのような素直な心で神のことばを受け入れていくことでしょう。妄信でも迷信でもありません。ただ自分の状況を考えると、神のことばをありがたく素直に受け入れる他はない、すがらざるを得ない、というところはあったでしょう。信仰は神が語っておられることに耳を開くことが出発点です。

 では今日も良き一日であるように祈ります。

    ( PBA制作「世の光」 2021.10.11放送でのお話しより )


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■愛の宣教師 トーマス・ウィン / 岩井基雄

2022年04月16日 | Weblog

2021/10/9放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。この土曜日は、歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでみましょう。だいぶ前ですが、前回は北陸最初の伝道者・長尾巻について学びました。今日は長尾巻やその父・長尾八之門にキリストの愛を伝え洗礼を授けたトーマス・ウィントーマス・ウィン宣教師について学びましょう。

 トーマスは1851年アメリカのジョージア州で牧師の第三子として生まれました。母方の祖母や伯父の影響を受け、幼い頃から宣教師となる夢を抱きます。その使命に基づき、大学以外に宣教師の準備のための学校も二校卒業します。そして同じ使命を持つイライザと結婚し、26歳の時に日本の横浜に来たのです。そして日本の初代の宣教師ジェームズ・バラを助けます。

 28歳の時、医療活動や聖書翻訳で活躍していたヘボン宣教師の推薦で、石川県での英語教師になるために金沢へ向かいました。他の宣教師や伝道師も一緒のチームは素晴らしく、生徒だけではなく親や教師、町の人々にも神の愛を伝えました。そして金沢で初めてのキリスト教の礼拝を行い、30歳の時には今の日本基督教団金沢教会へとつながる教会を建てるのです。

 次の年、愛真学園(※愛真学校)・今の(※後の)北陸英和学校(※今の北陸学院の前身の一つ)、2年後の1884年には(※メリー・ヘッセルを招いて)北陸学院の前身である金沢女学校を開き、キリストの愛による教育また女子教育を行いました。幼い頃から神からの使命に生きたウィン宣教師たちの愛と教育を通して、人々が次々にキリスト信仰を持ち、愛の人へと変えられていきました。その中に長尾八之門や息子の長尾巻たちがいたのです。彼らの子孫も愛の人として歩んでいます。またトーマス・ウィンのひ孫のトム・ウィンさんも日本での愛の宣教のために長く働き、数年前に天に戻られました。

 使命に生かされ、犠牲を払い、愛を注いだ宣教師たち、また彼らを送り出した多くのクリスチャンたちの愛と祈りによって愛のバトンは受け継がれ、あなたにも差し出されているのです。

 キリストのことば
 「わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」
   新約聖書 ヨハネの福音書13章34節。

   (PBA制作「世の光」 2021.10.9放送でのお話より ) 

 ※ 参照 https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000203336
            https://www.hokurikugakuin.ac.jp/top/introduction/winn/
            https://christianpress.jp/september-9-hokuriku-gakuin-anniversary/


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東海福音放送協力会へのお問い合せは、 
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ 

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■苦難の中で、待ち望む平安 / 岩井基雄

2022年04月15日 | Weblog

2021/10/8放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。昨日に引き続きマルコの福音書から学びましょう。今日は、苦難の中で待ち望む平安についてです。

 キリストが地上を歩んだ時代、神の民イスラエルは大国ローマに支配されていました。人々は、力強い救い主がローマに勝利するのを待ち続けていたのです。イエス・キリストは貧しく弱い人々と共に歩む愛の人であり、ご自身が苦難を通ることを語りましたから弟子たちでさえ時に理解できませんでした。キリストが苦しみにあうことなど受け止められなかったのでしょう。しかし、真の救い主キリストは私たちを愛し、すべての人の罪の裁きを身代わりに受けるためにまっすぐに十字架の苦しみへと向かっていたのです。

 そして、ご自分に従う者たちもまた真理に従う者として迫害や苦難を通ることをも語りました。不安を覚える弟子たちにキリストは、どんな迫害があっても心配する必要がないこともこのように語りました。

 「人々があなたがたを捕らえて引き渡すとき、何を話そうかと、前もって心配するのはやめなさい。ただ、そのときあなたがたに与えられることを話しなさい。話すのはあなたがたではなく。聖霊です。」
 「最後まで耐え忍ぶ人は救われます。」
         新約聖書 マルコの福音書13章11節、13節

 どんな苦難があろうとも、神がともにいて助け、語るべきことを教えてくださるゆえに心配する必要はなく、最後まで耐え忍ぶときの祝福と救いを語ってくださったのです。

 キリストに従うことは困難を伴うこともあるのですが、神はそこに助けと語るべきことばを与え、忍耐する力も祝福も与えてくださるのです。

 私たちも将来への不安を抱え、思い煩うことがあります。真理に従うことにも苦難が伴うことがあります。しかし、私たちのすべてを知り、なお愛してくださる神様は私たちとともにいて助け、力と忍耐を与えます。それゆえ私たちはどんな苦難の中でも、神から受ける愛と力によって神に信頼して耐え忍び、どんなときにも豊かな平安を受け続けることができるのです。

 聖書のことば
 
「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」
        新約聖書 ペテロの手紙第一 5章7節


   (PBA制作「世の光」 2021.10.8放送でのお話より ) 


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■天に宝を積むささげもの / 岩井基雄

2022年04月14日 | Weblog

2021/10/7放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。木曜日と金曜日はマルコの福音書から学びましょう。今日は天に宝を積むささげものについてです。

 私たちが最も大切にするものは何でしょうか。多くの方は家族や友人、またいのちそのものをあげるでしょうか。

 しかし、現実的な生活の中で、私たちはお金に依存しがちです。聖書には、金銭を愛することへの警告が語られています。生きるために確かにお金は必要です。しかし、お金に振り回され、裏切られることも少なくありません。お金だけでは人生は豊かにならないのです。

 あるとき、神を礼拝する神殿で多くの群衆が神への捧げものをしている場面をキリストと弟子たちは眺めていました。当時の献金のスタイルは、神殿の壁に据えられた献金口に投げ入れるものでしたから、周りの方々の目に留まることもあったのです。多くのお金持ちがこれ見よがしに多額の献金をしている中、貧しい一人のやもめがそこに来てレプタ銅貨2枚を投げ入れたのです。それは今の貨幣価値で言うと200円にも満たない僅かな神への捧げものでした。そのときキリストは弟子たちにこう教えました。
 
 「まことに、あなたがたに言います。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れている人々の中で、だれよりも多くを投げ入れました。皆はあり余る中から投げ入れたのに、この人は乏しい中から、持っているすべてを、生きる手立てのすべてを投げ入れたのですから。」
     新約聖書 マルコの福音書12章43節~44節。

 この貧しい女性は自分の人生のすべてを神に委ね、天に宝を積んだのです。神への圧倒的な信頼の姿は人の目には隠れていました。僅かな捧げものにしか見えませんでした。しかしキリストはその背後にある心も思いもすべて知っていてくださるのです。

 あなたはどこに人生の宝を持っていらっしゃるでしょうか。地上の宝も大切です。しかしその宝を周りの人々のために、世界のために用いることもできるのです。どんな中でも、神様に信頼を置き、地上ではなく天に宝を積み、周りの方々に愛を届ける歩みをあなたも選びとっていきませんか? 神様はあなたの悲しみも痛みもご存じで、あなたを豊かに祝福し、恵みと愛を豊かに注いでくださるのです。

   (PBA制作「世の光」 2021.10.7放送でのお話より ) 


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■神へのつぶやきと癒し / 岩井基雄

2022年04月13日 | Weblog

2021/10/6放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。昨日に引き続き今日も旧約聖書のモーセの生涯から学んでみましょう。

 昨日は、圧倒的な神の勝利を経験した神の民をリーダーであるモーセが導き、神への感謝と賛美を共に捧げた箇所から学びました。それは、このあと不平不満に陥る民へのチャレンジであり招きでしたねえ。

 彼らの不平不満の背後には水の問題がありました。神の勝利を経験した民でしたが、荒野を三日歩む中、彼らは渇き、疲れてしまい、その怒りをモーセにぶつけます。マラという場所に到着し、水も発見したのですが苦くて飲めませんでした。本来は水があるだけでも感謝でしょう。エジプトでの奴隷状態の苦しみを思うと、その苦さなど苦にならないはずでした。

 しかし彼らは、「我々は何を飲んだら良いのか」とモーセに対して怒りを表したのです。それは神に対する怒りでもありました。自分の願い通りの答えがないと不平不満を募らせる姿は私たちにもありますねえ。

 しかしモーセは問題解決の対処の仕方を心得ていました。それは、神に信頼した祈り、思いをありのままに叫び、うめきを届ける祈りでした。問題を通してモーセは神に近づき、神に信頼し、神からの答えを待ち望んだのです。神の勝利を経験した民も本来は共に神に叫び、祈り、信頼できるはずだったのです。

 神はモーセにその苦い水の解決を示します。それは神が示す一本の木を苦い水に投げ入れると甘くなるという不思議な奇跡でした。

 しかしそれ以上に重要なことを神はモーセを通して民に伝えました。聖書をお読みします。

 「もし、あなたの神、主の御声にあなたが確かに聞き従い、主の目にかなうことを行い、また、その命令に耳を傾け、その掟をことごとく守るなら、わたしがエジプトで下したような病気は何一つあなたの上に下さない。わたしは主、あなたを癒やす者だからである。」
           旧約聖書 出エジプト記15章26節。

 どのような問題が私たちを襲おうとも、私たちはその中で神に信頼して祈り、委ね、そして神に従い、神の祝福を受け取る恵みの道を歩み進むことができるのです。主こそ真の主権者であり、癒し主だからです。

   (PBA制作「世の光」 2021.10.6放送でのお話より ) 


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■勝利の中での神への賛美 / 岩井基雄

2022年04月12日 | Weblog

2021/10/5放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。火曜日と水曜日は旧約聖書のモーセの生涯から学びましょう。

 だいぶ前になりますが前回は、前に海、後ろに敵のエジプト軍が迫る中、神は神の民イスラエルを守り、海を分けて民を渡らせ、海を戻してエジプト軍を滅ぼした勝利から学びました。神の民は神の圧倒的な勝利を目の当たりにしたのです。民はどれほど喜んだことでしょうか。エジプトでの奴隷状態から解放されただけではなく、目の前で神の勝利を体験したのです。

 しかし問題が解決した後が重要です。苦しみの中では神に祈り求めても問題が無くなると感謝を忘れ、新たな問題が起こると不平や不満が心を占めることが少なくありませんね。実際、神の民はこのあと荒野を通り神の約束の地へと向かう中で感謝を忘れ、つぶやきと不平不満の歩みをしてしまいます。

 しかしその前に神の民のリーダー・モーセは民を導くべく感謝をもって主の恵みと主の勝利を歌い、祈りと賛美を捧げます。それは、神の民を神への感謝と賛美へと導く民へのチャレンジであり招きでした。

 モーセは神に向かいこう歌いました。
 「主よ、神々のうちに、だれかあなたのような方がいるでしょうか。だれがあなたのように、聖であって輝き、たたえられつつ恐れられ、奇しいわざを行う方がいるでしょうか。あなたが右の手を伸ばされると、地は彼らを呑み込んだ。」
       旧約聖書 出エジプト記15章11節~12節

 モーセは神の素晴らしさをほめたたえ、その恵みを忘れずに心に刻み、感謝を捧げるよう民を導きました。すべてのことに主権を持ち、聖く、真にほめたたえられるべき神様の恵みを私たちもあらゆる時に心に刻み、感謝と賛美を神様に捧げたいと願います。

 旧約聖書の詩篇103篇の2節には、「わがたましいよ 主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」とあります。私たちも歴史の中に働く神様の愛と恵みを覚え、あらゆる時に神様への賛美をささげたいと願います。

 感謝を忘れやすい私たちですが、弱い神の民をも諦めずに導き続けた神様のあわれみと恵みを覚え、私たちも勝利と愛の神様と共に問題のただ中を歩ませていただきたいと思います。

   (PBA制作「世の光」 2021.10.5放送でのお話より ) 


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■悩みの時の真の慰め / 岩井基雄

2022年04月11日 | Weblog

2021/10/4放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。今日は、詩篇119篇の4回目として、悩みのときの真の慰めに心をとめてみましょう。

 人生には様々な悩みがあり、私たちはその中で慰めを求めますね。ひと時の表面的な慰めでも嬉しいのですが、悩みに寄り添う真実な慰めは私たちの心の深みに豊かな潤いを与えます。しかも、心の痛みが深ければ深いほど真の慰めのことばは深く響き、生きる力を与えるのです。

 この詩篇の作者は高ぶる者からの嘲りを受けていたようです。その深い悩みの中で彼は神に心を向け、神のことばを待ち望み、こう歌います。

 「私は 愛するあなたの仰せを求めて両手を上げ あなたのおきてに思いを潜めます。」
 「これこそ悩みのときの私の慰め。まことに あなたのみことばは私を生かします。」
              旧約聖書 詩篇119篇48節、50節

 聖書が語る神様に信頼し神の愛を受けていた作者は、人の嘲りを受け続ける中で神からの真の慰めを求めます。この作者は自分の悩みを人ではなく神に語り、人からよりも神からの慰めを求め、神のことばに飢え渇いていたのです。彼は悩みのときの真の慰めは神の仰せ、神のおきて、すなわち神のみことばだと告白し、神のことばこそ自分自身を生かすものだと告白しているのです。

 白血病を患ったある女性水泳選手が自分のブログの中で、「神は耐えられない試練を人に与えない」とのことばに励まされ慰められたことを記していました。そのことばが新約聖書のあることばだとは知らなかったかもしれませんが、彼女はその神のことばから慰めと力を受け、諦めることなく努力を重ね、素晴らしい復活を遂げているのです。

 神のことばは痛みを通る人々に真の慰めと励ましを与え、生きる力と命を豊かに与えるのです。

 先の詩篇の作者は続く54節でこう祈ります。

 「あなたのおきては 私の旅の家で 私の歌となりました。」

 人生の旅を歩む中で神のことば、神の掟が私の歌となる、この作者は心から神に信頼し、力と慰めを得て歩む人生の祝福を歌っています。

 あなたも真の慰めと力を神のことばから受けて、力ある人生を歩んで行きませんか?

   (PBA制作「世の光」 2021.10.4放送でのお話より ) 


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■救われる人がすべきこと / 羽鳥頼和

2022年04月09日 | Weblog

2021.10.2放送

 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。今週の世の光は、神によって義と認められることの素晴らしさについてお話ししています。

 ここで振り返ってみましょう。神が義と認めてくださることによって人が受ける第一の恵みは、自分の罪が赦されることです。そして第二に、神との平和を与えられます。さらに第三に、罪の支配から解放されて新しいいのちを与えられて生きることができるのです。

 新約聖書のローマ人への手紙は、このような神に義と認められることの素晴らしさは言い換えると、罪を犯しているために神の栄光を受けることができなかった者が神の栄光を受けて神の栄光に輝く者とされることであると教えてくれています。

 ローマ人への手紙は、このように神の救いは神の恵みであると教えた後で、救われる人がするべきことを教えています。

 当時も今もそうですが、キリスト教会ではイエス・キリストを信じた人はバプテスマ・洗礼を受けます。これは信仰告白をした人が水に全身を沈めるという儀式です。このバプテスマは、その人が十字架で死なれたキリストと同じように死んで、よみがえられたキリストと同じようによみがえったことを表しています。

 聖書は、救われる人がするべきこととしてまず自分が受けたこのバプテスマのことを覚えて、自分は罪に対して死んだ者であり、神に対して生きている者であるという自覚を持ちなさいと教えています。そして、罪に対して死んで、神に対して生きている者としての生き方をするように教えているのです。

 その生き方とは、罪から離れてキリストと共に生きることです。聖書は、キリストのように自分自身を神に献げて神の義を行う者となりなさいと教えています。キリストと共に生きる者はキリストのように神の栄光を輝かせる者となれるのです。キリストを信じ、義と認められて、キリストと共に生きる人生を歩みましょう。

   (PBA制作「世の光」2021.10.2放送でのお話より)
 
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■死の支配からの解放 / 羽鳥頼和

2022年04月08日 | Weblog

2021.10.1放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。今週は、神が義と認めてくださることの素晴らしさを新約聖書のローマ人への手紙からお話ししています。これまで神が義と認めてくださることの素晴らしさとして、神が罪を赦してくださること、そして神との平和を持つことができることをお話ししました。今日は、ローマ人への手紙が教えている神が義と認めてくださることの素晴らしさの三つ目のことをお話しします。

 それは死に関わることです。人は必ず死にます。では人はどうして死ぬのでしょう。この大きな疑問に聖書は答えてくれます。

 聖書は「ちょうど一人の人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして、すべての人が罪を犯したので、死がすべての人に広がった」(ローマ5:12)と教えています。

 この「一人の人」とは、神が造られた最初の人アダムのことです。アダムは神の命令に従わず、神が食べてはならないと言われていた善悪の知識の木の実をとって食べてしまいました。

 神は「善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」(創世記2:17)とはっきりと「死ぬ」と警告されていました。こうしてすべての人がアダムと同じように罪を犯しているので、人は必ず死ぬようになったのです。

 聖書は今も死が支配していると教えています。

 そしてさらに、神が死の支配からの解放を与えてくださることを教えています。

 聖書はこう語っています。「一人の義の行為によってすべての人が義と認められ、いのちを与えられます。」(ローマ5:18)

 ここでの「一人」の人はアダムのことではなくイエスのことです。イエスの十字架のことを義の行為として、これによってすべての人が神に義と認められたのです。そして、義と認められることによって、いのちが与えられると教えています。このいのちは新しいいのちであり、永遠のいのちです。死に支配されている私たちはイエスの十字架によって義と認められ、永遠いのちを与えられて、生きることができるのです。

   (PBA制作「世の光」2021.10.1放送でのお話より)
 
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