2021.10.20放送
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。
イエス・キリストは十字架につけられたあと、3日目に復活なさいました。その日の夕方、イエス様は弟子たちの前にご自分の姿を現されたのです。
ところがその時、弟子の一人であったトマスだけはその場にいませんでした。トマスは「私はこの目でイエス様の手や脇腹の傷を見、この手でその傷に触らなければ決して信じない。」 こういう風に言ったのです。
しかしその8日目のことでした。イエス様はこのトマスにも現れてくださったのです。イエス様はトマスに、ヨハネの福音書20章29節で「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。」と言われたのです。
実はこのイエス様のことばはよく誤解されます。「トマスのように疑い深い態度では良くない。見なくても信じる素直な人にならなくてはならない。」という意味だと考える人が多いのですねえ。
イエス様はここで、見て信じる者と見ずに信じる者を比較して、見ずに信じる者の方は幸いと言っておられるのではないんです。確かにトマスは仲間のことばを信じようとしない頑なさがありました。でも、どうでしょうか。他の弟子たちも、実際に自分たちの目でイエス様を見るまでは信じることはできなかったのです。トマスだけが特に疑い深かったわけではありませんでした。弟子たちは見たから信じたのです。
実は弟子たちがイエス様を実際に見ることはイエス様の復活を証明するためにどうしても必要なことでした。彼らはイエス様と共に生活をしてきたわけですから、復活されたイエス様にお会いしたとき、すぐにこの方がイエス様だと分かりました。そして、はっきりと証言することができたのです。そして、弟子たちはイエス様の復活の目撃証言者となって世界中の人々に宣べ伝えていきました。
しかしイエス様の弟子たちは、今は皆、天に召されていますよね。しかし、イエス様が復活された目撃証言は、聖書を通してはっきりと知ることができるのです。ですから、実際の目でイエス様を見なくても弟子たちの証言を聞いて、イエス様が復活された真の救い主であると信じることができるんですね。見ずに信じる者の幸いは、私たち一人ひとりに差し出されている幸いなのです。
(PBA制作「世の光」2021.10.20放送でのお話しより)
***
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。