2021.10.19放送
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。
イエス様は、十字架につけられたあと、3日目に復活なさいました。その日の夕方、イエス様は、弟子たちの前にご自分の姿を現されたのです。そして、失意と恐れの中にいた弟子たちに「平安があるように」と語りかけてくださいました。
イエス様が「平安があなたがたにあるように」と言われたとき、イエス様はご自分の手と脇腹を示されました。イエス様の手は十字架に打ち付けられたときの釘の跡が、そして、脇腹には兵士の槍で突き刺された傷が残っていました。イエス様はご自分が十字架にかかり血を流されたことを弟子たちに改めて示されたのです。そして弟子たちは復活されたイエス様が確かに十字架につけられ血を流された方であるということをはっきりと知ることができたのです。
イエス様が十字架上で流された血は私たちの罪の赦しのためでした。新約聖書のヘブル人への手紙9章22節には「血を流すことがなければ、罪の赦しはありません。」と書かれています。また、ヨハネの手紙第一1章7節には「御子イエスの血がすべての罪からわたしたちをきよめてくださいます。」と記されています。ですから、イエス様が「平安があなたがたにあるように」と言われたことばの中には、「この手の跡を見なさい。脇腹を見なさい。あなたがたの罪が赦されるために、わたしは十字架で血を流した。だから、今、あなたがたの罪は赦されている。安心しなさい。」という大切なメッセージが込められているのです。
赦されていることを知ると平安が生まれます。イエス様の十字架によって完全な赦しが宣言されているのですから、私たちは安心して神様の前に出て、神様を「天のお父様」と呼び、親しい関係の中に生きていくことができるのです。
そしてイエス様は続けて「父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わします。」とお語りになりました。つまり、「わたしがあなたがたを遣わすのだから、これから安心して生きていきなさい。」ということですね。
弟子たちはユダヤ人を恐れ、戸を締め切り、自分の人生はおしまいだと考えていました。しかし、イエス様は「あなたがたには、使命がある。目的がある。」と語りかけてくださったのです。そしてあなたにも、「わたしの恵みと愛を運ぶ器として生きていきなさい」と声をかけられているのですね。
(PBA制作「世の光」2021.10.19放送でのお話しより)
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