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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■罪を犯す者は、罪の奴隷である / 板倉邦雄

2025年06月17日 | Weblog

2025/3/18放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は、「罪を犯す者は、罪の奴隷である」という題でお話ししましょう。

 聖書は、「罪」と言う場合、三つの罪について言っています。
 一つは法律を犯す罪、二つ目は道徳的罪です。人を憎んだりする罪ですね。そして三つ目は宗教的罪があります。いわゆる偶像崇拝の罪です。ヨハネの福音書 8章33節からです。
 
 さて、イエス様は自分を信じたユダヤ人たちにこう言いました。

「よくよくあなたがたに言っておく。すべて罪を犯す者は罪の奴隷である。」

 私たち人間は、聖書が言うところの三つの罪を犯す者です。法律を犯し、道徳や倫理に外れ、そして偶像に走るのです。そのような罪を犯すとき、私たちは心の底から喜んでしている訳ではないのですが、欲望に負けて嫌々ながらすることもあります。それは罪という主人の奴隷になっているからでしょう。

 伝道者パウロはこうした罪の奴隷である私たち人間の悲惨さを次のように語りました。

 「わたしは自分のしていることが、わからない。なぜなら、わたしは自分の欲する事は行わず、かえって自分の憎む事をしているからである。 ・・・ そこで、この事をしているのは、もはやわたしではなく、わたしの内に宿っている罪である。」(ローマ人への手紙 7章15節、17節) 

 そしてイエス様は続けてユダヤ人に向かってこう言いました。

 「そして、奴隷はいつまでも家にいる者ではない。しかし、子はいつまでもいる。だから、もし子があなたがたに自由を得させるならば、あなたがたは、ほんとうに自由な者となるのである。」 (ヨハネ 8章35節、36節 )

 
 三つの罪の奴隷から私たちは自由にされます。

 ここでイエス様が言いたいことは何でしょうか。
 奴隷はしばらくの間、雇われているだけであって家の相続人ではない。家の相続人は息子です。イエス様は自分を神の子としているのです。そして、神の子だけが罪の奴隷である私たちを罪から自由にすることができるのです。
 なぜなら、罪も咎もない神の子イエス・キリストが私たちの罪の身代わりとなって十字架の上で死んでくださったからです。
 ここに罪からの解放と言いますか、ここに罪の奴隷からの贖(あがな)い(※買い戻し)、すなわち解放と自由があるのです。


 ( PBA制作「世の光」 2025.3.18放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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