2021/10/14放送
世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井誠です。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日は、創世記18章14節から「主にとって不可能なことがあるだろうか」と題してメッセージをお伝えいたします。
ヘブロンから西へ2.5キロほど行った所に「アブラハムの樫の木」と呼ばれる一本の老木があります。聖書が言う「マムレの樫の木」とされているものです。この日、アブラハムはマムレの樫の木のそば、天幕の入り口に座っていて、妻サラは天幕にいました。
そこに三人の人が現れました。一般に、この三人の人は神と二人の天使であったのではないかと説明されているところです。聖書の神は行動される神ですね。一昨日は、社会に埋もれて消え去っていくハガルを見つけ出す神について教えられましたが、今日の箇所では再び、人を訪ねる神について語られています。
さて、アブラハムは三人の人に気付くと、当時のもてなしの風習に従って、足を洗う水を用意し、木の下で休むように勧めています。そして、パン、子牛、凝乳の料理を旅人たちに差し出しました。
するとこの訪問者はもてなしてくれた妻サラに、子どもが授けられる約束を告げるのです。しかし既に老齢となってしまったサラには、それが何ともおかしく思われたのでしょう、思わず心の中で笑ってしまうんです。すると神は言います。「主にとって不可能なことがあるだろうか。」
昨日もお話ししましたように、聖書の神は全能の神です。そして信じられない思いを抱えながらも神の全能性に寄りすがって生きていくのが信仰です。神が約束されたことは不可能と思われる事であっても実現すると神に信頼し続けることですね。
もちろん不可能なことがすべて神の御力によって可能になるわけではないでしょう。神は貪欲な人間の欲望にお付き合いなさるお方ではありません。けれども、神は約束されたことを途中で投げ出すようなお方でもありません。大切なことは、自己中心ではない正しい願いを神にささげることですね。
では、今日も良き一日となるように祈ります。
( PBA制作「世の光」 2021.10.14放送でのお話しより )
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