♪ラジオ放送・文字版「世の光」

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「世の光」を文字で 

■己のごとく人を愛した永井隆 -2 / 岩井基雄

2019年09月02日 | Weblog
2019/7/29放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。
 最終月曜日の今日も「己のごとく人を愛した永井隆」について学びましょう。

 明治41年、島根県松江市で医者の家庭に生まれた永井隆は高校時代に恩師から初めてキリストの福音を聞きました。軍医として従軍した後、大学病院に勤務する中、永井はキリストへの信仰を告白し、洗礼を受け、クリスチャンホームを築きます。永井は使命として放射線医学を研究し、一日に何百枚ものレントゲン写真を撮る中、自らが白血病になりますが、そのあとも病気の身体を押して治療と研究を続けて行きます。

 しかし彼の人生を大きく揺り動かす事件が起こります。昭和20年8月9日、長崎に原子爆弾が投下され、爆心地から700メートルの長崎医大の診療室で永井は被爆したのです。右側頭動脈切断という重症を負いつつ永井は布を頭に巻くのみで他の負傷者たちの救護活動に当たったのです。投下された爆弾が原子爆弾であると知ったのは翌日でした。浴び過ぎた放射線で白血病を患っていた上に、原爆の後遺症が永井の病を更に重くします。それでも永井は被爆者の救護のため命を削って診療を行い、神の愛に基づいた医療を続け、多くの書物を書き残したのです。痛みを知るゆえの慰めが多くの人々に届きました。昭和26年5月1日に永井は地上の使命を終え、神のもとへと戻りました。告別式は長崎の浦上天主堂で長崎市民2万人が参列して執り行われ、弔電は当時の吉田総理をはじめ300通あり、出棺の際には天主堂の鐘に合わせて長崎中の教会、寺院の鐘、工場、波止場のサイレンが永井の死を悼んで一斉に鳴らされたのです。神の愛に生きた永井隆の生涯は多くの人々の心に深く刻まれたのです。

 聖書のことば
 「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちが神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることができます。
    新約聖書 コリント人の手紙第二 1章4節

(PBA制作「世の光」 2019.7.29放送でのお話より )
 
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