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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■アンテオケ教会 / 板倉邦雄

2019年09月24日 | Weblog
2019/8/20放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は異邦人の教会第一号となったシリヤの「アンテオケ教会」の話しをします。
 新しい訳ではアンティオキヤになっています。使徒の働き11章です。

 さて、エルサレム教会の執事ステパノのことで起こった教会への迫害のために散らされた人々は様々な地方へ散っていきました。しかし彼らはユダヤ人以外の者には神のことばを語りませんでした。ところが散らされていった人々の中にギリシャ語を離すキプロス出身者とアフリカ東部出身のクレネ人がいました。彼らはシリヤのアンテオケに行ってからギリシャ人に呼びかけ、イエス・キリストを宣べ伝えたのです。そして主の御手が彼らと共にあったため、イエスを信じて主なる神に帰依する人たちの数が多くなりました。ここに異邦人第一号のアンテオケ教会が誕生したのです。

 異邦人教会の誕生の噂はエルサレム教会へ伝わりました。そこでエルサレム教会は「慰めの子」バルナバをアンテオケ教会へ遣わしました。バルナバは聖霊と信仰とに満ちた立派な人でしたねえ。こうして主イエス・キリストにくっつく人々が大勢になりました。このアンテオケでキリストの信徒たちが「クリスチャン」とあだ名で呼ばれるようになったのです。いつでも舟虫のようにキリストにくっついているからです。口を開けば「キリスト」、人に会えば「キリスト」、どこに行っても「キリスト」「キリスト」と言っていたからです。

 やがてアンテオケ教会が大勢になっていったので、バルナバ一人では大変になりました。そこでバルナバはサウロを探しにサウロの故郷タルソまで出掛けて行ったのです。そしてサウロを見つけると、バルナバはサウロをアンテオケ教会に連れて帰りました。そして二人は協力して丸一年、教会での集会を担当し、多くの人々に聖書を教えたのです。

 さて、異邦人のアンテオケ教会は三つの特徴がありました。まず第一に、困難の中で伝道する教会でした。第二に、信徒があだ名で呼ばれるほど証しの教会でした。そして第三に、バルナバとサウロの指導者たちによって聖書が教えられる教会だったのです。

  (PBA制作「世の光」2019.8.20放送でのお話より )

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