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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■モーセの焦りと高慢 / 岩井基雄

2019年09月16日 | Weblog
2019/8/12放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。
 第二月曜日の今日は、旧約聖書のモーセ生涯から、「モーセの焦りと高慢」について学んでみましょう。

 エジプトの王は、増え広がるユダヤ人(イスラエル民族)を恐れ、男子の赤子を殺すように命じましたが、モーセは両親の知恵と神様の憐れみによって守られ、両親のもとで育てられました。それは神様への信仰と信頼を幼い時から学ぶ恵みとなりました。その後、王宮で成長したモーセでしたが、彼には神の民としての自覚があったのです。

 ある時モーセはユダヤ人たちの苦役を見、ユダヤの一人をエジプト人が打っている所を目撃します。心を痛め、周りに人がいないことを確認すると、エジプト人を打ち殺し埋めたのです。いつかユダヤ人たちを助けたい、自分の力と立場でできることは何か、とモーセは求めていたのでしょうか。しかし後日、二人のユダヤ人たちが争っている所に出会い、それをも収めようと悪い方を諌めた時に彼から思いがけないことばが返ってきました。聖書はこう語っています。
 彼は言った。「だれがおまえを、指導者やさばき人として私たちの上に任命したのか。おまえは、あのエジプト人を殺したように、私も殺そうというのか。」そこでモーセは恐れて、きっとあのことが知られたのだと思った。ファラオはこのことを聞いて、モーセを殺そうと捜した。しかし、モーセはファラオのもとから逃れ、ミディアンの地に着き、井戸の傍らに座った。
   旧約聖書 出エジプト記 2章14節、15節

 モーセは良かれと思ったでしょうか。しかし人のいのちを軽んじるだけではなく、自らの手でユダヤ人を救おうとした思いの背後には、モーセの焦りと高慢が隠れていました。すべてのことを御存知の神様の前に隠すことのできるものは何もありません。人に知られる以上に神様に知られていることを心に留めるべきでした。そして神様の御心を求めて行動するべきだったのです。すべてを知ったエジプトの王はモーセを殺そうと探します。しかし神である主はモーセがエジプトから逃れることを許し、彼を守るのです。

 私たちも自らの内側にある高慢や傲慢と向き合い、自分の罪を認め、神様の憐れみと赦しの中を歩ませていただきたいと願います。神様はあなたを愛し、あなたの罪を赦そうと待っていらっしゃるからです。
 
(PBA制作「世の光」 2019.8.12放送でのお話より )
 
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