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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■食事をもてなすヨセフ / 羽鳥頼和

2018年05月19日 | Weblog
2018/4/14放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
 今日は創世記43章で語られているヨセフとその兄弟たちの再会についてお話しします。ヨセフは波乱万丈の人生を送っていました。ヨセフは17才の時、兄たちによって奴隷としてエジプトに売られてしまいました。ところがヨセフはエジプトで出世してエジプトの王の信頼を得て、何とエジプト全土を治めることになったのです。

 7年間の大きな飢饉が起こりました。しかしエジプトには十分に食料がありました。ヨセフは飢饉の前の7年間の豊作の時に食糧を備蓄して飢饉に備えていたのです。世界中から人々が食糧を求めてエジプトのヨセフの所にやってきました。その中にヨセフの兄たちがいました。ヨセフは兄たちに気づきましたが、兄たちはそれがヨセフであるとは全く気づきませんでした。兄たちは地に伏してヨセフを拝みました。ヨセフは兄たちに十分な食料を与えました。そして兄たちが支払った代金はこっそり兄たちの食料の中に返しました。

 さて長く続く飢饉の中で、再び兄たちがヨセフの所にやってきました。彼らは戻されていた食料の代金を持ってきていました。そして今回はヨセフのすぐ下の弟、ベニヤミンも連れてきました。ヨセフは弟懐かしさに胸が熱くなり、奥の部屋に入り隠れてそこで泣きました。そのあとヨセフはたくさんの食事を出して彼らをもてなしました。食事は最高の交わりです。ヨセフは兄たちを赦し、兄弟の関係を回復しようとしているのです。食事は信頼関係を表す最も良い機会でした。聖書には神が私たちのために食事を備えてくださるという事が語られています。「私の敵をよそにあなたは私の前に食卓を整え頭に香油を注いでくださいます。私の杯はあふれています。」詩篇23篇5節

 神は人と良い関係を築きたい、交わりを持ちたい、と思っておられます。礼拝は神との最高の交わりです。神は私たちを礼拝に招いておられます。

 明日は日曜日です。神に礼拝をささげるために、ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

(PBA制作「世の光」 2018.4.14放送でのお話より )
 
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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。。携帯からもこのURLでどうぞ。

***

東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■心の貧しい者は幸いです / 関根弘興

2018年05月18日 | Weblog
2018/4/13放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 新約聖書のマタイの福音書の中に、イエス・キリストがガリラヤ湖を見渡す小高い丘の上で人々にお語りになった山上の説教と呼ばれているものがあります。その中でイエス様は、本当に幸いな人とはどのような人かということを教えてくださいました。イエス様はまず最初に、「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」(マタイの福音書5章3節 新改訳2017)と語り始めたんです。
 
 私たちはこのことばを聞くと驚きますね。なぜなら日頃、「どんなに貧しくなっても心だけは貧しくなってはいけません」ということばを耳にしているからです。「心が貧しい人」ということばの中には、心が卑しいとか不平不満の多い人とかひがみやすい人などのイメージがあるからです。ですから、そんな人がどうして幸いなのかと思ってしまうわけですね。しかしイエス様はそういう意味でこのことばを使われたのではありません。

 ここで「心が貧しい」という意味は、心に何もなくて無力な状態、つまり心が貧しい者とは自分が全く無力であることを自覚し、希望も進むべき道も見失ってついには神様により頼むことしかできないような状態、そんな中にある人のことだと教えるんです。

 人間は高慢になりやすいですね。神を信じるのは弱い人間だけだ。私は神に頼らなくても自分の力で生きていける。そういう風に思ったり、困った時だけ神様に頼ってあとは自分の好きなように生きていけばいい、そういう風に思ってしまうことがありますね。そしてせっかく神様が与えようとなさっている恵みや祝福を受け取ることを拒否してしまうことがあるんです。

 しかし自分の無力さを認め、いつも神様に力と助けを求めていくときに、神様の恵みと祝福を十分に受け取ってことができるんです。ですから、心の貧しい者こそ幸いなのだよ、神様に助けを呼び求めることのできる人は本当に幸いなんだよ、イエス様は言われるんですね。

 そしてイエス様は、「天の御国はその人たちのものだからです。」と言われました。これはいつか天国に入れますよという意味ではありません。天の御国とは神様の支配を表すことばです。つまり心の貧しい人々は神様の愛と恵みの支配を実際の中で具体的に体験することができるんですよ、だから幸いなのですよ、と教えられたんです。
               
  (PBA制作「世の光」2018.4.13放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■十戒 -自由への励まし 54 / 大嶋重徳

2018年05月17日 | Weblog
2018/4/12放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。
 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒を始めとした聖書のことばは人間を縛りつけるものではなく、自由へと導くためのことばなのです。十戒の第五戒には、「あなたの父と母を敬え。」(出エジプト記20章12節 新改訳2017)とあります。これまでにも私たちは両親をはじめとした人間関係に傷つけられ、その痛みから人間関係を恐れてしまうことがあります。しかし十戒第五戒は、それでもなお私たちに「 あなたの父と母を敬え。」と語るのです。

 これを不可能な教えなのでしょうか。そうでありません。信仰者の共同体が、キリスト教会が、神の家族と言われることにこそ私たちには大いなる希望があるのです。私たちは主にある兄弟姉妹の交わりの中で癒しを得ていくことができます。家族を味わうことができなかった者にも教会の中では父なる神という父が与えられ、同じ信仰を持った兄や弟、姉や妹が与えられます。自分の魂をキリストのもとに導いてくれた母のような存在も教会にいてくれます。神様は神の子とされるという特権を私たちに与えてくださいました。そして今、十戒第五戒を守ることができるように神の子とされることを教会共同体の中で経験していけるようにと神様は助けてくださっています。

 もちろん教会にも自分の苦手なタイプの人がいます。今までの人生で話したことも付き合った事のないようなタイプの人が教会にはいます。激しく傷ついて失望することも教会にはあります。教会は決して心地よいだけの快適な空間ではありません。

 しかしこの神の家族は父なる神様のことばを聞く時に悔い改めることできる関係です。イエス様の姿を見ると自分から「ごめんなさい」と謝ることができる存在の集まりです。今まであなたの家族があなたを傷つけても、あなたに謝ってくれることのない家族であったとしても、教会の交わりはあなたにきちんと謝ってくれます。またあなたが今まで家族を傷つけて家族に謝ることもせず、家族なんだから私が謝らずとも赦すべきだ、と平気で言ってしまったとしても、あなたも父なる神様にきちんと叱られて悔い改めが求められ、神の家族に謝ることを経験していくのです。

 神の子とされた私たちは、教会の中で共に主の前に出ていき、共に赦しを求めていることを経験します。そうする時、あなたを子としてくださった父なる神様は、叱ったあと赦しと愛でもう一度やり直していける教会をあなたに味わせてくださいます。

 
   ( PBA制作「世の光」2018.4.12放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■聖徒たちと来られるときに / 福井 誠

2018年05月16日 | Weblog
2018/4/11放送


世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「聖徒たちと来られるときに」です。 テサロニケ人への手紙第一3章13節から読んでみましょう。
そして、あなたがたの心を強めて、私たちの主イエスがご自分のすべての聖徒たちとともに来られるときに、私たちの父である神の御前で、聖であり、責められるところのない者としてくださいますように。アーメン。」 (新改訳2017)

 おおよそ紀元50年の初め頃、パウロは今で言えばギリシアに位置するピリピやテサロニケという町で伝道しました。しかしパウロの宣教活動に反対し邪魔する者が多かったので、パウロはピリピにしてもテサロニケにしても、わずか数週間滞在するだけでさこを去らねばなりませんでした。ただそのような状況であってもパウロの宣教のことばに導かれてキリストを信じる人々は少なくありませんでした。パウロはわずかなキリスト者で始まった生まれたばかりの教会について心配し、何度も戻っては教えたい、フォローアップしたいと願ったようですね。しかしその機会はなかなか与えられません。そこでパウロはそれらの教会がどのような状態にあるのかを少しでも知ろうと、弟子のテモテをアテネから遣わすのです。やがてテモテは帰ってきて、テサロニケの信者が迫害の苦難の中にありながらも素晴らしい信仰と生き方を保っていることを報告しました。

 そこでパウロは喜びを持ってテサロニケの人々を励まし、さらなる教会の成長を支援しようと、この手紙を書き送るのです。

 確かに人生には痛みが多いことがあっても、くじけずに道を踏み外さず、さらに主のしもべとして輝く人生を歩むように、と勧めていくのですね。というのも、人の人生はこの世の出来事だけでは終わらないものだからです。

 パウロは言います。「私たちの主イエスがご自分のすべての聖徒たちとともに来られるときに、」と。つまり、聖書はやがて復活の主イエスが戻ってこられる時が来るのだ。その時にはすべての不正は正されて帳尻が合わせられます。その日を思えばこそ、ただ迫害に耐えるのではない、信仰の成熟を目指して日々歩むことが大事になるのですね。

 ぜひ聖書を読み続けて、正しい人生観、世界観を持って人生を歩ませていただきたいものです。

(PBA制作「世の光」2018.4.11放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■愚かな話し / 板倉邦雄

2018年05月15日 | Weblog
2018/4/10放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「愚かな話し」という題でお話ししましょう。  ある人が、キリスト信徒たちのことを「愚者の楽園」と言ったことがありました。あり得ない死人の復活や天国を信じて生きているからです。

 さて、イエス様の埋葬された墓で三人の女性たちは輝いた衣を着た二人の者からイエス様がよみがえったことを知らされました。そして生前イエス様が言っていたことを思い出します。「人の子は必ず罪人たちの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえる」(24章7節 新改訳2017)という内容でした。そのイエス様のことばを思い出した三人の女性たちは嬉しくなってきました。そしてイエス様の墓であったことを一切、弟子たちや信徒の人たちに報告したのです。

 ところが弟子たちはイエス・キリストのよみがえりが愚かな話のように思われて女性たちの報告を信じなかったのです。三年間もイエス様のそばにいて寝食を共にしていました。イエス様の教えを聞いていました。その弟子たちがイエス様の復活を愚かで信じられないとしたら、私たちにはとても無理なことではないでしょうか。死人がよみがえるなどということはおとぎ話にしか聞こえて来ないのです。

 私もこのイエス・キリストの復活を高校2年生の秋に聞いた時、とても受け入れることはできませんでした。「どうしてあなたは信じられるのですか」とクリスチャンの高校生に質問しました。するとその人は答えました。「聖書を読み、神様とイエス・キリストを知ったからですよ。」

 ところで、弟子の内のペテロだけは三人の女性たちの報告を聞くと、立ち上がってイエスの墓へ走って行きました。屈んで墓の中を覗くと、遺体を安置した石の上にイエス様の遺体をくるんだ亜麻布だけが残っているだけでした。ペテロはことの次第を不思議に思いながら帰っていったのです。誰かが盗んだのならわざわざ亜麻布を脱がせて運ぶ事はしないでしょう。イエス様が息を吹き返したのだ、と主張する人もいますが、それも無理です。信徒たちがイエス様の亡霊を見たのだという人もいますが、あなたはイエスのよみがえりの出来事を愚かな話と受け取りますか。

  (PBA制作「世の光」2018.4.10放送でのお話より )

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■闇と死の陰から助けられる神 / 岩井基雄

2018年05月14日 | Weblog
2018/4/9放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 今日は第二月曜日ですが詩篇からご一緒に考えてみましょう。

 先週は死に打ち勝たれたキリストの勝利イースターについて学びました。キリストにあって私たちはまことの希望に生かされることができるのですね。それでも私たちは人生の闇や死の影のような苦悩を経験します。それは神の民も同じでした。全能の神が共におられるという彼らも苦悩を経験したのです。しかし彼らは神様に叫び祈ることを知っていました。今日の詩篇をお読みします。

 「この苦しみのときに彼らが主に向かって叫ぶと主は彼らを苦悩から救われた。
主は彼らを闇と死の陰から導き出し彼らのかせを打ち砕かれた。
 主に感謝せよ。その恵みのゆえに。人の子らへの奇しいみわざのゆえに。
 まことに主は青銅の扉を打ち砕き鉄のかんぬきをへし折られた。

 旧約聖書詩篇107篇13節から16節

この詩篇の背景には神の民が経験したバビロン捕囚がありました。自分たちの罪のゆえとはいえ、神の民が他国の捕虜として曳いていかれ、国を奪われたのです。その苦悩の中で彼らは神に叫び求めました。そして神は祈りに応え、彼らの枷を打ち砕き、闇と死の陰から救いだされたのです。神に背き罪を犯した民をも神は見捨てず導かれました。それは神の一方的な憐れみでした。彼らはその恵みを苦難の中で思い起こし、感謝をささげます。

 「主に感謝せよ。その恵みのゆえに。人の子らへの奇しいみわざのゆえに。」(21節)との祈りには私たちの人生を変える人生の秘訣があります。どんな苦難の中でも神の恵みと憐れみを心に刻み、感謝へと向かうという秘訣です。あなたの心の闇をも全てご存知の神はなおあなたを愛し、憐れみ、あなたの救いのために御子イエス・キリストを遣わしたからです。このキリストにあって主は青銅の扉を打ち砕き、鉄のかんぬきをへし折られたのです。あなたが今どのような苦悩や死の陰の中を歩んでおられても、神の御子キリストにある勝利と助けを受け取り、神に感謝をささげる歩みを始めて行きませんか? 

聖書のことば

 「たとえ死の陰の谷を歩むとしても私はわざわいを恐れません。あなたがともにおられますから。
 旧約聖書 詩篇23篇4節

       PBA制作「世の光」2018.4.9放送でのお話しより)

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■ヨセフの人生と復活の希望 / 羽鳥頼和

2018年05月12日 | Weblog
2018/4/7放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。

今週の世の光はキリストの復活を覚えてメッセージをしています。今日は旧約聖書の創世記に出て来るヨセフの人生とキリストの復活の希望についてお話しします。

 ヨセフは自分の兄弟たちに憎まれて奴隷としてエジプトに売られてしまいました。彼はエジプト人の奴隷となります。そこでヨセフは主人に認められ、家のすべてを任されるようになりました。ところがヨセフは無実の罪で監獄に入れられてしまいます。そこでもヨセフは監獄の長に認められ、何と監獄のことを任されることになりました。ヨセフは監獄の長の信頼を得たのです。

 ある日、ヨセフのいる監獄にエジプト王の献酌官と料理官が投獄されました。彼らはエジプト王に対して過ちを犯したのです。そんな二人が同じ夜に不思議な夢を見ました。その夢にはそれぞれに意味がありましたが、二人にはそれが分りませんでした。朝、夢のことが分からず顔色を悪くしている二人に気付いたヨセフは、困っている二人に言いました。「解き明かしは神のなさることではありませんか。さあ私に話してください。」 ヨセフは彼らの夢の意味を解き明かしました。そしてその解き明かした通りのことが起こったのです。

 このことを機会にヨセフは監獄を出てエジプトの王に仕えることとなり、何とエジプトのことを任されるようになったのです。

 どうしてヨセフは多くの苦難を受けながらも人の信頼を得て、いろいろなことを任されたのでしょう。聖書は繰り返し、主がヨセフと共におられた、と語っています。主がヨセフの人生を守り、成功へと導いてくださった、と教えています。主の守りと導きのある人生は何と素晴らしいことでしょう。私たちにも主が共にいてくださいます。キリストは「わたしはいつまでもあなたがたと共にいます。」(マタイ 28章20節参照)と約束されました。それは十字架で死なれたキリストが三日目に復活されたことによって確実なものとなりました。復活されたキリストは今も私たちと共にいて災いから守ってくださり、災いに遭っても本当の救いを与えてくださいます。

 明日は日曜日です。復活の主を礼拝するために、お近くのキリスト教会にいらしてください。

(PBA制作「世の光」 2018.4.7放送でのお話より )
 
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■復活による3つの保証 / 関根弘興

2018年05月11日 | Weblog
2018/4/6放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 
イエス・キリストは何の罪も犯した訳でもないのに十字架につけられました。イエス・キリストが十字架につけられた時、その両脇には犯罪人たちも十字架につけられていました。その犯罪人の一人は苦しみの中で「イエスよ、おまえはキリストではないか。自分とおれたちを救え」(ルカ福音書23章39節 新改訳2017) とわめき散らしました。

 「聖書はすごく良いことが書かれているんだけど、でもイエス・キリストが復活したという話は信じられない!」 このようにおっしゃる方は時々いますね。それではイエス・キリストは復活されたということは、なぜそんなに重要なことなんでしょう。それはイエスをが復活されたという事実によって私たちに三つのことが保証されているということなんです。

 一つは、復活の事実はイエス様の語られたことばの確かさを保証するということなんですね。人の真実さや誠実さはその人のことばと行動を調べればよく分ります。イエス・キリストは何度も、「わたしを信じる者は決して滅びことが無い。」と言われました。そしてイエス様は「わたしは殺されるが三日目によみがえる。」とも語っておられました。ですからもし復活が無いなら、「なあんだ、イエスは生前立派なことを語ったけど、何一つ実現していないではないか!」で終わってしまうわけですね。ですからイエス様が復活された事実によって、イエス様の語られた約束のことば全てが確かであるという事の保証となっているんです。

 二番目は、復活の事実は朽ちることのないいのちを保証するということです。イエス様は「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」(ヨハネの福音書11章25節 新改訳2017)と語られました。イエス・キリストは死を打ち破るいのち、死を超えていく復活のいのちがあるのだと言われたんですねえ。

 私は牧師をしているので時々臨終に立ち会うことがあります。この世の別れは辛いものです。悲しみをもたらします。しかし死は全ての終わりではないという事を復活の事実を通して知ることができるんです。

 そして三番目、復活の事実はイエス・キリストが今も生きているということを保証するということです。聖書の黙示録という所には、「見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(黙示録3章20節 新改訳2017)とキリストのことばが語られています。復活されたイエス・キリストは今も生きておられて、私たち一人ひとりの心の扉をノックしてくださっているというんですねえ。死を打ち破られた生けるまことのキリストは、今もここにいてくださいます。ですからもし復活を否定してしまうなら、聖書自体が語る約束は単なるたわごとになってしまうんです。信仰はむなしいものになってしまうんです。(1コリント 15章14節、19節参照)

 ですから復活は信仰の中心ですし、復活を信じる信仰こそ聖書が求める信仰なんです。               
  (PBA制作「世の光」2018.4.6放送でのお話しより)

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■イエスの言葉を思い起こせ / 大嶋重徳

2018年05月10日 | Weblog
2018/4/5放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。
イースターとはイエス・キリストの復活を祝う日のことです。キリスト教信仰の核心である主イエス・キリストの復活の出来事を通して私たちに与えられている信仰の希望について共に教えられたいと願います。

 さて復活されたイエス様の葬りの準備に来た女性たちに、主の使いが彼女たちに命じたのは、「まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。」(ルカ福音書 24章6節 新改訳三版)ということでした。

 ガリラヤにおられたころにお話にあったこととは、エルサレムに向かう直前に語られたイエス様のことばです。「人の子は、必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、そして三日目によみがえらねばならないのです。」(ルカ 9章22 節 新改訳2017)

 主の使いは、このイエス様の約束のことばを思い出せ、思い起こせ、と促すのです。そうだ、確かにイエス様は語っておられた。ご自分がよみがえるという事を。しかも必ずという強いことばを持って約束しておられたのです。

 復活のイースターに主の使いが私たちにも命じるのは、イエス様の約束のことばを思い起こせ、ということなのです。そして彼女たちは思い出しました。そればかりではありません。彼女たちはその約束を理解し、確信し、信頼し、そしてその確信を携えて弟子たちは多くの人々のもとへと伝えるために走っていったのです。十字架を間のあたりにして悲しみに沈みかけていたその時、約束のことばを思い起こすことは彼女たちを深い悲しみの淵から再び立ち上がらせることとなったのです。

 今イエス様のなされた約束のことばを語り伝えているのが教会の説教です。女性の弟子たちを深い悲しみから立ち上がらせた約束のことばは他の弟子たちにも伝わりました。もちろんすべての弟子が理解して信じ確信したかというと、この時代の人たちの中にも当然理解できず信じられない人たちも出てきました。しかし、約束を思い起こせ、と主の使いが語ったことはキリストの弟子たちの人生にも働きかけ、神のことばの約束を思い出した者たちが全世界に伝えるため走り始めたのです。悲しみの淵から立ち上がる希望のことばだったからです。

 今朝もこの希望のことばは私たちに語りかけます。
 あなたの人生を必ず祝福する約束のことばを思い起こせ。あなたを罪の滅びの中から必ず救い出す十字架と復活の約束を思い起こせ。

 このイースター、この希望の約束のことばを聞きに、あなたも教会に行ってみませんか? そうするとき、あなたは新しく生かしてくれる希望に出会うことが必ずできるのです。
 
   ( PBA制作「世の光」2018.4.5放送でのお話しより )

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■死者の復活がないのなら / 福井 誠

2018年05月09日 | Weblog
2018/4/4放送


世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「死者の復活がないのなら」です。 コリント人への手紙第一15章32節から読みましょう。
もし死者がよみがえらないのなら、「食べたり飲んだりしようではないか。どうせ、明日は死ぬのだから」ということになります。(新改訳2017)

 ある高校の教師がいつものようにパチンコ屋の列に並んでいました。10時開店を待って、今日もパチンコで負けるか勝つか楽しみにしていたのです。そしてその日は日曜日。奥さんはいつものように教会へ出かけていました。待ち列に並びながら、ふと教会へ出かけた奥さんのことを思い出し、何をバカなことをしてんだか、真面目くさった人生を生きて実につまらん、と考えていました。ところがいつものようにパチンコ屋に入り、玉をはじいているうちに、ふと心の中にこれまで感じた事のない空しさを感じてきたのです。人生死んだら終わり、と生きている間に飲み食いして楽しい思いをして人生生きなければ損、と思っていたのが、ただ自分を楽しませるだけの人生を生きている自分に急に空しさと卑しさを感じてきたのでした。食っては寝て、食っては寝ての生活。出て来るものは糞だけ。俺はただの人糞製造機ではないかと思わされて、それから奥さんについて教会へ通うようになりました。そして信仰を持ったあとは定年退職前に退職をし、神学校へ入り、教会の働きをするようになったのです。

 確かに人間死んだら終わりと考えたら何よりも今ここの瞬間が大事なことになるはずです。しかし考えてみれば、人間のいのちはそんなに安っぽいものではないはずです。人間のいのちは地球よりも重く、永遠に価値あるものとして造られたのが本当でしょう。多くの人はそのような事実を感じていながら、聖書がそれを事実として語っていることを認めません。

 聖書ははっきりと、人間は高価で尊い者として神に造られ愛されていることを語っています。人間は死んで終わりではないのです。その魂はよみがえってこれをくださった神のもとに帰る(※その魂はこれをくださった神のもとに帰り、身体のよみがえりの時を待つ)というのが聖書の語ることです。ぜひ聖書を読んで、人間の人生に素晴らしい御計画をもっておられる神様を知っていただきたいと思います

(PBA制作「世の光」2018.4.4放送でのお話より )

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