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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■神の知恵と祝福 / 岩井基雄

2018年01月08日 | Weblog
2017/11/13放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。月の第二週の月曜日は旧約聖書に登場するヨセフの人生について学んでいます。

 エジプトの王パロ(ファラオ)の前に立ち、パロの夢を解き明かし、その通りに危機への備えを実行したヨセフはエジプトを治める者として才能や賜物を十分に生かします。神は彼に豊かな知恵を与え、エジプトにあって豊かに用いてくださったのです。 ヨセフは自分に与えられ誕生した二人の子に、マナセ、エフライムと名づけます。それはそれぞれ、「忘れる」「実る」という意味をもっていました。それは神が豊かな実りの時をヨセフに与え、これまでの苦しみや憎しみを忘れさせてくださったという恵みの証しでした。ヨセフは自分の高慢さのゆえの苦難をも味わいました。しかしその苦難の中で取り扱われ、忍耐が養われ、神の恵みと愛に生かされ、実を結ぶものとさせいただいたのです。

 私たちをも愛しておられる神様は私たちの人生を取り扱ってくださり、様々な苦悩を通して恵みを与え、その苦悩を祝福に変えてくださるのです。実を結ぶ人生は苦難を通して与えられることを忘れてはなりません。私たちを愛してくださる神様は私たちに敢えて苦難を与え、それに勝る祝福をも豊かに注いでくださるのです。

 7年間の大豊作の時に豊かに備えたヨセフでしたが、いよいよ夢の解き明かしの通りに大飢饉が始まりました。そしてヨセフはその恵みを周りの国々に豊かに注いでいくのです。聖書はこう語っています。
 「ききんが全世界に及んだ。ききんがエジプトの国でひどくなったとき、ヨセフはすべての穀物倉をあけて、エジプトに売った。 また、ききんが全世界にひどくなったので、世界中が穀物を買うために、エジプトのヨセフのところに来た。」 旧約聖書 創世記41章56節、57節。

 地域諸国にも飢饉が及んだ時、ヨセフはすべての穀物蔵を開け、恵みを他の国へも施しました。神様の祝福は人への癒しとなり、その知恵は世界への愛の証となります。世界の貧困や飢えを神は見過ごしになさいません。私たちも苦難の中で神に愛と知恵を求め、この社会や世界の悲しみに神の愛と祝福を届けさせていただきたいと願います。

 PBA制作「世の光」2017.11.13放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■礼拝を中心に生きる / 羽鳥頼和

2018年01月06日 | Weblog
2017/11/11放送

 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。
今日は先週に引き続き旧約聖書のエゼキエル書からお話しします。
エゼキエル書にはユダの国がバビロンに攻められていた頃、バビロンに強制的に連れていかれてしまったエゼキエルに与えられた神のことばが記されています。今日はそのエゼキエル書の45章で語られていることをお話しします。

 祖国の回復を約束された神はここで相続地の割り当てについて語られました。相続地とはイスラエルの部族ごとに神が与えられる土地のことです。人々が安心して生活することのできる所を神が与えてくださるのです。神は相続地を分けるのに先立って、まずその地の聖なる区域を神に捧げる奉納地とすることを命じられました。そしてそこに聖所を置くように命じられました。更に聖所を置く神の奉納地に神に仕える祭司の住む所を定められました。次に祭司の働きを助けるレビ人の住む土地を定められました。そして奉納地に沿ってイスラエルの全体の土地を定められたのです。

 これらの命令は人々が祖国に戻った時にまず行うべきこととして命じられました。神の奉納地にある聖所とは神を礼拝する所です。神は新しい祖国での人々の新しい生活が神を礼拝することを中心とするように望んでおられるのです。また奉納地はイスラエルの国の中心に置かれました。このことは神がご自分の民の中心にいてくださることを教えています。

 この預言が語られた後に、神の約束の通り、人々は解放され祖国に戻ることができました。そしてエルサレムに聖所すなわち神殿が再建されたのです。そしてそこで礼拝が捧げられました。

 今も神は私たちが神を礼拝することを望んでおられます。礼拝は神を誉めたたえる時であり、神に仕える時です。神はこのような礼拝を生活の中心とするように求めておられます。私たちが礼拝を捧げることを神は喜んでくださいます。

 明日は日曜日です。神に礼拝を捧げるためにお近くのキリスト教会にいらしてください。

(PBA制作「世の光」 2017.11.11放送でのお話より )
 
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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■暗闇の中で語る主 / 関根弘興

2018年01月05日 | Weblog
2017/11/10放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 今日は最初に聖書のことばを紹介しましょう。新約聖書マタイの福音書10章27節
 「 わたしが暗やみであなたがたに話すことを明るみで言いなさい。また、あなたがたが耳もとで聞くことを屋上で言い広めなさい。

 これはイエス・キリストがお語りになったことばです。私はこのことばにいつも励まされているんですね。私たちは人生にたくさんの暗闇と思われるような苦しみや困難に襲われることがあります。それは長いトンネルのように思えたり、もう出口が無いのではないか、と思うような辛い経験もありますね。それは私たちを恐れの中に引き込む辛い経験となることもあります。また自分の無力さをこれでもかというほど味わう経験となることもあります。しかしイエス・キリストは「わたしが暗闇であなたがたに話すことばがあるよ。あなたの耳元で聞くことばがあるのだ。」と言われたのです。つまり、苦しみや困難の中だからこそ聞くことのできるキリストのことばがあるというのですね。そしてその暗闇で、耳元で語られたことばは、後になって明るみで屋上で言うことのできるものとなり、他の人々に励ましのことばとなって分ち合われる大切なことばとなるのだと語られたんです。私たちの人生で大切なことを学ぶときは順風満帆の時ではなく、暗闇の中にいるような試練や困難を通してなのかもしれませんねえ。

 私の母はもう23年も前に天国へ旅立ちました。66歳の生涯でした。母は天に召される1月ほど前ですが、母の日記に聖書の詩篇23篇4節のことばが記されていました。こんなことばです。
 「 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
 死の影の谷を歩く経験は誰もが持ちます。それは人生で最も困難な暗闇のように思えるかもしれません。しかしその約束はたとえ死の陰の谷を歩くことがあってもわたしはあなたと共に歩むのだ、わたしはあなたに語る、と約束してくださるんですね。

 イエス・キリストのことば
 「 わたしが暗やみであなたがたに話すことを明るみで言いなさい。また、あなたがたが耳もとで聞くことを屋上で言い広めなさい。
           (新約聖書マタイの福音書10章27節)

  (PBA制作「世の光」2017.11.10放送でのお話しより)



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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■十戒 -自由への励まし 36 / 大嶋重徳

2018年01月04日 | Weblog
2017/11/9放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。

 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒の第四戒の「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。」(出エジプト記 20章8節)と語られた神様は休みをとられる前に働かれた神様でもありました。

 この世界を造り働かれた神様は、「生めよ増えよ地に満ちよ、地を従えよ、そして園を耕せ。」(参照 創世記 1章28節) 人間に神の国をつくる使命をお与えになりました。しかし人間は神様との約束を破り罪を犯した結果、生きる意味、神様に造られた目的を見失ってしまったのです。

 そんな世界のただ中に神の子であるイエス様が地上に人間として来られました。人の子として生まれたイエス様は、父親のヨセフもしていた大工の仕事をされました。早くに父親ヨセフを亡くしたと言われる家族の長男として家族を養い、大工として仕事を続け、イエス様は三十歳まで働き続けられました。そして福音を伝え始められた時にイエス様がおっしゃったのが、「見よ、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ。」(参照 マルコ 1章15節)と神の国ということばを語られたのです。つまりイエス様が世界中の人に伝えたかったのは、もう一度人間が造られた目的・生きる意味である神の国に生きる福音の知らせだったのです。イエス様もきちんと家族のために世界のただ中で働かれたことを忘れてはいけません。

 救われてクリスチャンになるというのは、魂が天国に行ける、心が平安になるという心の内面や霊的な魂の次元のことだけではないのです。天国への片道切符を手に入れてあとはその切符を落とさないように落とさないようにとハラハラしながら自分の救いを握り占めて生きたり、たまに、信じる?とその天国への切符を人に見せるためだけにクリスチャンになるのではありません。私たちが救われてクリスチャンになるということは、神様に出会い、今いちど創造の使命である神の国の建設に参与するためなのです。

 「安息日を覚えて聖なる日とせよ。」と私たちが安息日を覚え主の日の礼拝を守ることは、私たちが何のために生きて何のために働くのかを再確認させてくれることとなります。そしてイエス様だったらどうやって私の職場に、どんな笑顔で働かれるだろうか、と考えながら私たちは月曜からまた働きに出るのです。

   ( PBA制作「世の光」2017.11.9放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■あなたこそ神の子です / 福井 誠

2018年01月03日 | Weblog
2017/11/8放送


世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「あなたこそ神の子です」です。マルコの福音書3章11節を読んでみましょう。

 「また、汚れた霊どもが、イエスを見ると、みもとにひれ伏し、「あなたこそ神の子です。」と叫ぶのであった。

 マルコの福音書は全部で16章からなっています。通読してみると、実は8章9章が全体の山場となって、前半後半それぞれに、イエス様の関心と強調点がありますねえ。

 例えば前半では、イエス様は自分の正体について口止めをすることに熱心です。イエス様の素晴らしい御わざを見て人々が、メシアだ、救い主だと口にすると、イエス様がその度に、誰にも何も言わないように、と口止めをし、自分のしたことを秘密にするのです。イエス様は人々の脚光を浴びることをことさら避けていますね。と言うのも、イエス様に当時の人々はユダの国をローマ帝国の圧制から救い出す政治的な解放者になってくれるという期待を寄せていたからです。イエス様の考えておられることは全く別のことでした。
 ですから8章9章でイエス様は弟子たちに、自分の正体をどう考えているのかと確認し、弟子のペテロが「あなたは救い主キリストです。」と告白すると、そこからそのことばの意味を理解させようと熱心に教え始められます。救い主キリストというのは政治的な解放者ではなく罪の赦しを与える霊的な救い主であると。そしてご自分が受ける苦難について繰り返し語りかけます。イエスは確かに神の子キリストと言われる人でした。しかしそれは人々に罪の赦しを与える救い主であり、そのために身代わりとなって嘲りを受け、鞭打たれ、十字架で苦しみ、死に至るのだ、と言うのです。

 当時イエス様のこの考えを理解できる人は殆どいませんでしたが、現代の私たちも同じかもしれませんね。イエス様については殆ど何も分からずに生きている。無縁に生きている人は多いと思います。しかし聖書は、この方はまことの神の子であった、と語っています。

 イエスはあなたの魂を救うことのできるあなたの救い主であり、そのために十字架で苦しまれたのです。ぜひ聖書を読んで、その真理を知っていただきたいと思います。

(PBA制作「世の光」2017.11.8放送でのお話より )

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■誰が一番偉いか / 板倉邦雄

2018年01月02日 | Weblog
2017/11/7放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は「誰が一番偉いか」という題でお話ししましょう。
 
 人よりも偉くなりたい、人よりも上に立ちたい、とは私たちの生まれつきの欲求でしょうね。イエス様の十二弟子たちも例外ではありませんでした。

 さて、最後の晩餐の食卓です。自分たちの中で誰が一番偉いだろうか、論争が始まってしまいました。イエス様との最後の夕食の時です。この世での最後の別れとなる時です。弟子の一人がイエス様を裏切ろうとしている時です。弟子たちの頭の中は自分たちの中で誰が一番偉いのかということで一杯でした。そのために激しい争いに発展していったのです。「師の心、弟子知らず」ではなかったでしょうか。

 みかねたイエス様は論争する弟子たちに言われました。「異邦人の王様たちはその国民の上に君臨したがります。また権力をふるっている者たちはしばしば恩人と呼ばれています。しかしあなたがたはそうであってはならない。かえってあなたがたの中で一番偉い人は、一番歳が若い者のように自分を低くしなさい。また指導する人は仕える者のようになるべきである。」

 神様の前で本当に偉い人とは、自分を低くする謙遜な人、自分を雑巾にして人に仕える人だ、とイエス様はおっしゃっているのです。

 その理由についてイエス様は次のように言われました。「食卓に着く人と給仕する者とどちらが偉いでしょう。もちろん食卓に着く人の方です。しかし私はあなたがたの中で給仕する者のようにしています。」(参照 ルカ22章27節)

 神の子であるイエス様が弟子たちの間で自分を僕のようにして仕えたのです。最後の晩餐の時は、弟子たちの汚(けが)れた足を洗いました。まさに雑巾のようになられ、そして雑巾のように人々に捨てられたのです。イエス様はその生涯を通して、本当に偉い人は誰か、ということを私たちに示してくださいました。

 ある人が、古代のキリスト教会で有名な指導者アウグスチヌスという人に質問しました。「先生、キリスト教徒にとって最大の徳目は何ですか。」 彼は答えました。「謙遜ですよ。」「では二番目は何ですか。」「謙遜です。」「では三番目の徳目は?」「それも謙遜です。」という話は有名です。

   (PBA制作「世の光」2017.11.7放送でのお話より )

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■恵みの契約に生かされる / 岩井基雄

2018年01月01日 | Weblog
2017/11/6放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。
 第一週の月曜日は詩篇から学んでいますが、今日は詩篇105篇から、「恵みの契約に生かされる」と題してご一緒に考えてみましょう。

 早速お読みします。
 「主は、ご自分の契約をとこしえに覚えておられる。お命じになったみことばは千代にも及ぶ。その契約はアブラハムと結んだもの、イサクへの誓い。主はヤコブのためにそれをおきてとして立て、イスラエルに対する永遠の契約とされた。
            旧約聖書 詩篇105篇8節から10節

 ここに登場するアブラハムもイサクも、旧約聖書の時代を弱さを抱えながら神への信仰を歩んだ人です。後のヤコブは兄や父をだまし、神の祝福を奪おうとした人でした。高慢で計算高い彼をも神は愛し、御手の中で取り扱い、整えてくださったのです。そして神は「押しのける」という意味のヤコブではなく、「神が戦われる」という意味のイスラエルという新しい名前を彼に与えられました。それは神の民全体を表す恵みの名前としても用いられていきます。それらのすべてが神と民との恵みの契約によるのです。

 契約とは通常は結ぶ双方に責任があり、どちらかが破るとその契約は反古にされます。しかし聖書が語る神と神の民との契約は神の主権の中で結ばれたものであり、神が一方的にその契約を守ってくださるという恵みに満ちたものなのです。実際に神の民イスラエルも幾度も神を裏切り、神の愛を踏みにじったのですが、神はご自身の真実さと誠実さの故に契約を守り、神の民を約束の地へと導かれたのです。「わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施す」(出エジプト記 20章6節、申命記 5章10節)と約束された神は、愚かな者でも御子イエス・キリストにあってご自分の契約をとこしえに覚えておられ、誠実を尽くしてくださるのです。

 聖書のことば
 「わたしの恵みを彼のために永遠に保とう。わたしの契約は彼に対して真実である。
  わたしは彼の子孫をいつまでも、彼の王座を天の日数のように、続かせよう。

                  旧約聖書 詩篇89篇28節29節

 主の主権を認め、神とキリストの前にへりくだる人生、神を愛する者とされ続ける人生は、平安と喜びに満ちたものへと変わり続けるのです。

 PBA制作「世の光」2017.11.6放送でのお話しより)

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