♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■十戒 - 自由への励まし 38 / 大嶋重徳

2018年01月18日 | Weblog
2017/11/23放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。

 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒の第四戒の「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。」(出エジプト記 20章8節)と語られた神様は休まれた神様でもありました。

 第四戒は、神様が休みをとられた神であって、私たち人間も安息日を守り、きちんと休みを取るように、と語ります。

 では安息日を私たちはどのように守ればよいのでしょうか。十戒第四戒はこう語ります。「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。

 ここには安息日を「あなたはどんな仕事もしてはならない。」と語り、聖なる日として過ごすようにと語ります。安息日を覚えて休むことは何もしないことではなく、「聖とする」という行為を取るということです。この「聖とする」とは、「分離する」「取り分ける」という意味があります。

 では「聖なる日とする」とはどういう過ごし方のことなのでしょうか。神様は「七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。」(創世記 2章2節)とあるこの「休む」ということばは「止める」「離れる」という意味があります。後に安息日を意味するようになったシャバットということばです。詩篇の作者は、「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。」(詩篇 46篇10節)と語り、神であることを知れ、と神様との交わりの中で過ごすためには「やめる」べきものがある、と語ります。

 安息日を守り聖なる日とするということは、自分の中で取り分けた場所や時間を持つということです。すなわち神様のことばが聞こえて来る場所を私たちの時間の中で取り分けるのです。私たちは何かで一杯埋められている所に、もうこれ以上何も入れることはできません。本当に必要な何かを入れるためには何かを捨てるないといけないのです。

 あなたが神様に「やめよ」と言われている何かとは一体何でしょうか。スマホをずうっと触ってる時間でしょうか。気になるメールやラインの返信でしょうか。私たちは今日中にやらなければならないと思い込んでいることが多すぎるのではないかと思います。そして神様を自分の大切な場所から追い出してしまっている。そしていつの間にか、もっと息苦しくもっと追い詰められ、そして身体を壊してしまうということもあるように思います。十戒第四戒の、「あなたはどんな仕事もしてはならない。」という行為を通じて、あなたの中に聖なる日が生まれます。そこには本当の安息、平安が生まれて来るのです。

   ( PBA制作「世の光」2017.11.23放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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