♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■十戒 -自由への励まし 41 / 大嶋重徳

2017年12月28日 | Weblog
2017/12/28放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。

 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒をはじめとした聖書のことばは自由へと導くためのことばなのです。十戒の第四戒の「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。」(出エジプト記 20章8節)と語られた神様は世界を創造された七日めにすべてのわざを休むと、休みをとられる神様でもありました。そこから日曜日に私たちは休みを取ることとなったのです。

 しかし日曜日に休みを取れば私たちは元気を回復するのでしょうか。実は休日に幾ら寝たとしても回復することのできない疲れがあります。映画を見て気分転換をしたとしてもおしゃれなカフェでお茶をしたとしても、私たちには取ることのできない疲れがあります。それは生きていることで生み出され続ける人間の罪がもたらす疲れです。生きていることに疲れる。これは神様の前から離れてしまった人間の持つ罪からの疲れなのです。

 この罪から来る疲れは神の御前にある安息に入ることによってのみとることができるものです。イエス様はこうおっしゃいました。
 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ 11章28節) 
 このイエス・キリストのそばにこそ真の休息、安息の場所があるのです。だからこそ日曜日、私たちは神様の前に休みに来るために礼拝に出かけていくのです。

 かつて私が子どもの頃、日曜日の朝早くクリスチャンの母親に叩き起こされ、教会に連れていかれ、自分のしたいことを我慢し、長い説教が終わるまで待っていないといけない。これはまさに苦痛の時間でした。礼拝の時間さえ終わればようやく外に走って出ていける。その時間にこそ自由があるかのように感じていたのです。

 しかし今、自分の親を含め多くの大人たちが一週間働き通しの疲れ切った体のまま教会に行き、説教のことばを一言も聞き漏らさないようにしていたあの姿の意味がよく分ります。あの礼拝には罪の奴隷の中で疲れていた所から自由とされた喜びがみなぎっていたのです。あそこには礼拝でしか得られない魂の安息があったからです。

 今年もそろそろ1年を終える時期となりました。あなたの魂はこの一年、どれだけ疲れていることでしょうか。ぜひ次の日曜日、31日、教会に来ていただきたいと思います。礼拝の中で神様が、よくやった、と私たちの一年の頑張りを誉めてくださいます。そして十字架を見上げ、罪赦されて、ほっとしてこの一年を終えていただきたいと思います。

   ( PBA制作「世の光」2017.12.28放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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