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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■特権が与えられる / 大嶋重徳

2017年12月22日 | Weblog
2017/12/21放送

 世の光の時間です。クリスマスおめでとうございます。みなさん、いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。

 先週は、いのちのことば、光のことばなるイエス様のことばが私たちの間に住んでくださるクリスマスのお話をしました。

 しかしそのように準備万端整え、満を持して私たちの所に来てくださったイエス様に対して、「この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。」(ヨハネの福音書 1章11節)と聖書は語ります。

 私たち人間がイエス様にとった態度は、一言で言えば拒絶ということでした。私たちを愛してくださる神の愛の語りかけを、私たちは受け入れず拒んだ。これが人間の罪なのです。罪とは言いかえれば、神の愛に対する恩知らずとも言えるでしょう。愛されたのにその愛をいとも簡単に忘れること、愛されて当然だと居直ること、愛されているのにその愛を認めず私は愛されていないと絶えず愛に満足できないこと、私たちは自らの心の内を覗きこむとき、そのような心があるのではないかと思います。

 ところがそのような御知らずの私たちの罪の現実にもかかわらず、聖書はこう語ります。「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」(ヨハネの福音書 1章12節)
 イエス様こそ私たちの救い主だと信じた人々には神の子どもとされる特権が与えられると御言葉(みことば)は語ります。特権とは特別な身分という意味です。神を知らず受け入れもしなかった恩知らずな私たちを、信じる者としてくださり救い出してくださった。そしてそれだけではなく、神の子どもという特権が与えられたです。神の子どもとされたということは、神様との関係が、もはや奴隷のような、主人の顔色をうかがいながら生きることをしなくてもよいのです。いつ捨てられるか、いつ不必要とされるか、そういう恐れの中を生きる必要が無いのです。子どもの特権とは、親の愛を信じて疑わず、安心して生きられることです。自分が受け入れられ尊ばれ喜ばれ、その愛を疑わずに生きられる。それが神の子どもたちに与えられた幸いなのです。

 クリスマスに私たちは教会でも食卓を囲みます。その食卓で私たちは父なる神様の子とされた特権に与かっていることをお祝いするのです。一番上のお兄ちゃんはイエス様です。このイエス様からいのちのことば、光のことばのスピーチを聞くのです。この事がたまらなく嬉しい、たまらなく誇らしい、このクリスマスの恵みをぜひ拒絶することなく受け取っていただきたいと思います

   ( PBA制作「世の光」2017.12.21放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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このサイトは URL名として  http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


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