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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■サタンが入る / 板倉邦雄

2017年11月07日 | Weblog
2017/10/03放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は「サタン(悪魔)が入る」という題でお話ししましょう。
 私たち人間はサタン(悪魔)ではありません。しかし、サタンが私たちの心に入って、サタンに利用されることがあるのです。

 さて、神殿で管理運営する祭司長や旧約聖書の専門家であった律法学者たちはどうにかしてイエスを殺そうと計画していましたが、民衆を恐れて手を出すことができませんでした。その頃、イエス様は民衆にとってスーパースターだったからです。

 ところが十二弟子の一人で、イスカリオテ村出身のユダは良からぬ考えを抱いていました。そしてその時、サタン(悪魔)がユダの心に入ったのです。彼の理性と感性と自由意志という心の中に入りました。別の聖書の箇所には、ユダはイエス様の一行の会計財務担当をしていましたが、使い込んでいたようです。その穴埋めをしようと思っていました。使い込みという横領の時からサタンの誘惑にはまっていたようですね。決定的になったのは過ぎ越し祭りが近づいていた時でした。

 イスカリオテのユダは祭司長たちや神殿管理長の所に行ったのです。そしてどうやってイエスを彼らに引き渡すか、その方法について協議しました。彼らはまさに渡りに舟とばかりに喜んで、ユダに金を与えること約束しました。金の使い込みの穴埋めのために自分の師匠であるイエス様を売り渡すとは筋違いでした。

 しかし私たちはこのような本末転倒をお金のために犯してしまうのです。家のローンを払えずに一家で心中したりすることがあります。家と土地を売り払って家族揃って安いアパートに住んで働いて借金をコツコツ穴埋めしてゆけばいいのです。これが神様の道筋ではないでしょうか。しかしサタンが入り、心が支配されますと、どんな人でも最も大切な人を悪魔に引き渡してしまうことがあるということです。

 聖書のことばです。
 「怒ることがあっても、罪を犯してはならない。
  憤ったままで、日が暮れるようであってはならない。
  また、悪魔に機会を与えてはいけない。
  盗んだ者は、今後、盗んではならない。

       エペソ人への手紙 4章26節から28節

   (PBA制作「世の光」2017.10.3放送でのお話より )

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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■人生の指針 / 岩井基雄

2017年11月06日 | Weblog
2017/1002放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。

 第一週の月曜日は詩篇から学んでいますが、今日は詩篇の104篇の後半から、人生の指針について考えてみましょう。

 あなたはどのような人生の指針また価値感を持っていらっしゃいますか? また、一つのことを神様に願うとしたら何を願われるでしょうか。今日の詩篇の作者は何を求めているのでしょうねえ。早速お読みします。

私は生きているかぎり、主に歌い、
   いのちのあるかぎり、私の神にほめ歌を歌いましょう。
  私の心の思いが神のみこころにかないますように。
   私自身は、主を喜びましょう。

          旧約聖書詩篇104篇33節、34節

 この詩篇の作者は、いのちのある限り神に向かって賛美をささげげたい、と願います。神を賛美する大切さは今までも学んできました。すべてを創造された神様を心から賛美する時、私たちは神の愛に生かされ、自分の存在の意味を知り、苦難を乗り越えていく喜びが与えられていくのです。

 この詩篇には更に深い求めが歌われています。「私の心の思いが神のみこころにかないますように。私自身は、主を喜びましょう。」というのです。私たちはともすれば自分の願いが叶えられることを求め、もし叶えられるならば喜ぶというのが私たちですが、この作者は物事ではなく神御自身の喜び、自分の心が神の御心と一つになることを求めているのです。自分中心の人生をあとにして、神を中心にし、神の真実や愛に沿うよう自分が変えられること求めているのですね。自分は変わらずに周りの人や状況を変えて欲しいと求める心とは真逆ですね。自分を後にし、神と周りの人々を優先し、真理と愛に誠実に生きる人生は他の方からも信頼され喜ばれます。自分を中心にせず神を中心にする生き方こそ本物の喜びと輝きを受けていくことができるのです。

 この詩篇の最後に、作者はこう歌っています。
 「わがたましいよ。主をほめたたえよ。ハレルヤ。

 神の御心を求める神中心の人生は、喜びと祝福に満ちた人生へと変わるのです。あなたも神の愛と真実に人生の指針を定めて歩み始めて行きませんか?

   PBA制作「世の光」2017.10.2放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■その恵みはとこしえまで / 羽鳥頼和

2017年11月04日 | Weblog
2017/9/30放送

 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。
 今日は旧約聖書の詩篇136篇からお話しします。

 この詩篇では、「その恵みはとこしえまで」というフレーズが26回も繰り返されています。最初の三節を呼んでみましょう。

 主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。
 神の神であられる方に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。
 主の主であられる方に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。


 この詩篇は礼拝で最初の部分と繰り返されるフレーズを別々の人々が賛美したのだと思われます。つまり誰かが「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。」と賛美すると、他の人がそれに応えて「その恵みはとこしえまで。」と賛美するのです。

 続いてこの賛美は、神の御わざつまり神のなさったことを思い出し、「その恵みはとこしえまで。」と歌います。神のなされたこととはこのようなことでした。神は全ての者をご自身の優れた知恵をもって造られた。神はイスラエルの民をエジプトから救い出された。神は荒野の四十年の旅の間、イスラエルの民を守り導かれた。神は民を約束の地に導きそこを相続地として与えてくださった。

 そして続いてこのように歌います。
 主は私たちが卑しめられたとき、私たちを御心に留められた。その恵みはとこしえまで。(23節)
 主は私たちを敵から救い出された。その恵みはとこしえまで。(24節)

 これはイスラエルの国がバビロンによって滅ぼされたことと、神によって国が復興できたことを歌っています。

 そして最後に、
 天の神に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。(26節)
 と神に感謝しています。

 この詩篇は、「その恵みはとこしえまで」と神を賛美して、天地万物を創造した神の御わざも人を救う神の御わざもとこしえであると歌います。神は私たちにも恵みを与えてくださいます。

 明日は日曜日です。ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

(PBA制作「世の光」 2017.9.30放送でのお話より )
 
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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
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■イエス様がなさったことの意味 / 関根弘興

2017年11月03日 | Weblog
2017/9/29放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
  番組にこんな質問が寄せられました。「キリストがしたことは人々に向けどんな意味を持っているのか詳しく知りたいです。」こんな質問です。

 イエス・キリストの生涯は新約聖書の福音書に書かれています。イエス・キリストはたくさんの力ある奇跡を行い、たくさんのことを人々に教えられました。たとえば、「人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。」(マルコ 8章36節、参照マタイ16章26節、参照ルカ 9章25節)と言われ、人は愛されるべき存在であり、いのちの価値は全世界を天秤に懸けても重いのだよ、と語られたんですね。しかしイエス・キリストが来てくださったことの最大の目的は、人がどうしても解決することもできない二つのことにすべてを賭けて取り組まれたのです。それは人間の罪と死という事の問題なんです。

 どうでしょうねえ、自分の心を除くなら、罪があると感じことがありませんか? 悪いものが、汚れたものが、正しくないものが、利己的なものを、人は心を見たら感じるものですよね。聖書は「罪から来る報酬は死です。」(ローマ 6章23節)と書いてあるんです。罪というものは死をもたらすのだと教えているんですねえ。イエス様は、私たちのこの二つの問題の解決のために来られたんです。つまり罪に対しては赦しを、死に対しては尽きることのないいのちを与えるという事のために来てくださいました。

 私の目の前には今マイクがあります。このマイクを私が壊したとしましょう。「ごめん、ごめん、壊しちゃった。」 誤ったなら自動的にこのマイクは元通りになるでしょうか。決してなりませんね。あとで修理をしたり交換したりする訳です。幾らかの代価が払われなければ元通りにはなりません。

 私たちの罪が許されるということは私たちの罪を代りに引き受け、その罪がもたらす死をも引き受ける存在がいなければ本当の赦しは成立しないんです。聖書には、「神は、罪を知らない方を、---つまりイエス・キリストを---- 私たちの代わりに罪とされました。」(2コリント5章21節)と書かれています。イエス様は私たちの罪を背負ってその罪の罰を引き受けて、身代わりとなって死んでくださいました。イエス様は私たちが神様の御前で罪が赦される道をご自分のいのちを懸けて十字架で完成してくださったんです。そしてイエス・キリストは三日目に復活され、死を打ち破り、この肉体が死んでも尽きることのない永遠のいのちがあることを教え、信じる一人ひとりに与える、と約束なさいました。これこそがイエス様の来られた目的なんですねえ。

 (PBA制作「世の光」2017.9.29放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■十戒 -自由への励まし 30 / 大嶋重徳

2017年11月02日 | Weblog
2017/9/28放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。

 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒を始めとした聖書のことばは人間を縛りつけるものではなく、自由へと導くためのことばなのです。十戒第三戒は「主の御名を、みだりに唱えてはならない。」(出エジプト記20章7節、申命記 5章11節)と命じていて、神様には名前があり、私たちはその神様の名前を呼ぶふさわしい呼び方があるのだと教えています。

更に今、十戒が与えられ、十戒を守り行おうとする者たちにはキリスト者、クリスチャンという名前がついています。クリスチャンという名前は自分から、私はクリスチャンです、と名乗り始めた訳ではありません。周りの人からクリスチャンと呼ばれるようになったのです。

 クリスチャンと呼ばれ始めた新約聖書の書かれた頃、ヘロデ王のことを支持している人のことをヘロディアンと言い、ローマ皇帝カイザルのことを支持している人のことをカイザリアンと言いました。クリスチャンと呼ばれた人たちは日常でいつもいつもキリスト、キリストと口にしている人たちで、あの人たちはクリスチャンだな、と言われるようになったのです。そしてその事をクリスチャンたちは嬉しく思って自分でも、キリスト者、クリスチャンと名乗るようになったのです。

 キリスト者、クリスチャンということばによって私たちはイエス・キリストの御名が刻まれた者となりました。イエス様の名前にふさわしい生き方をしたいと願うようになりました。この世界のどこにおいてでも全生活、全領域を通してイエス様のことを証しする人生へと踏み出す者となったのです。

 十戒第三戒の主の御名をふさわしく呼ぶ生き方とはイエス・キリストのことを宣べ伝える生き方となるのです。あの人はなぜあのように浮気をせず妻だけを愛して生きるんだろうか。ああ彼はクリスチャンだからか。あの人はあれほどの悲しみの中にあって神を誉めたたえ祈ることができるんだろうか。ああ彼女はクリスチャンだからか。・・・クリスチャンを通してイエス・キリストの人生が今映し出されているのです。

 この世の光というラジオ番組もまたそうです。ラジオをお聴きの皆さんにふさわしい神の名の呼び方があることを知っていただきたいと願って、この番組は続けられています。そしてこの番組を通してたくさんの方がイエス・キリスト信じ受け入れ、クリスチャンとなっていかれました。そしてクリスチャンになった方がまたこの番組を他の人に知らせてくださり、クリスチャンになっていく人が次から次へと起こされてきたのです。

 神様の愛によって満たされた私たちは、今はこの神の愛を広げて行こうという生き方が生まれていくのです。

 次回からは十戒第四戒についてお話して行きます。

  ( PBA制作「世の光」2017.9.28放送でのお話しより )

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■互いに誠実を尽くし / 福井 誠

2017年11月01日 | Weblog
2017/9/27放送

今日のバイブル・メッセージは「互いに誠実を尽くし」です。ゼカリヤ書7章9節、10節を読んでみましょう。

 万軍の主はこう仰せられる。
 「正しいさばきを行ない、互いに誠実を尽くし、あわれみ合え。
  やもめ、みなしご、在留異国人、貧しい者をしいたげるな。
  互いに心の中で悪をたくらむな。」


 ゼカリヤは先週読んだハガイと同じ時代を生きた預言者です。ちょうど紀元前536年に始まった神殿の再建が、近隣の諸民族によって妨害されて中断し、エルサレムに帰ってきたユダヤ人たちが無気力の最中に置かれていた時のことですね。

 神はそんなユダヤ人に預言者ハガイとゼカリヤを興して慰めと励ましを与え、困難と妨害の中て神殿再建を再開するように導かれるのです。更に、今日の聖書箇所ではバビロンから代表団がやってきて信仰的なことで神の導きを求めていますね。つまり、エルサレムが再建されようとしている今、かつてのエルサレム破壊を覚えるために始めた断食 ---食事を断つ宗教的な行為--- を続けて守る必要があるのかどうか、相談にやってきているのです。ユダヤ人はバビロンの地でエルサレムが陥落した日からもう60年以上もその敗戦記念日と言うべきものを断食すべき聖なる日と定めて守ってきました。

 神様のお答えは、何のために断食をするのかよく考えるように。断食の基本姿勢を問うものでした。そしてユダヤ人は断食という儀式を守ってきたかもしれませんが、それは一人よがりな自己満足的なものだったのではないか、と指摘しています。断食は深い悔い改めをもって神の前に謙り、新しい人生に神の力を求めるために行われるものです。失ったものを悔やんで過ごすことではなく、なぜ失ったのかを覚えてその反省のもとに新しい歩みをするために行われるのですから。断食から新しい人生が生まれてこなければならないのです。

 信仰は宗教儀式を守ることが中心なのではなくて、私たちの日々の一瞬いっしゅんの生活が変わっていくことこそ重要です。キリストにある新しいいのちが私たちの中で育って、人生が新しくされていくことをこそ求めて歩みたいものです。

(PBA制作「世の光」2017.9.27放送でのお話より )

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