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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■食事を準備された復活の主 / 羽鳥頼和

2017年11月18日 | Weblog
2017/10/14放送

 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。

 今日は新約聖書ヨハネの福音書21章で語られている復活されたイエスと弟子たちのことについてお話します。イエスは十字架につけられ死なれました。そして預言の通り三日目に復活されました。イエスはまずエルサレムで弟子たちの前に現れて、ご自分が復活されたことを教えられました。そして弟子たちに、「ガリラヤへ行きなさい」と言われました(参照マルコ 16章7節)。弟子たちはイエスに言われた通りにガリラヤに行きました。

 漁師だった弟子たちは食事のために湖に漁に出かけました。夜通し漁をしましたが一匹も獲れませんでした。夜明けになって彼らは岸に戻ろうとしました。夜が明け染めた時、イエスが岸辺に立たれました。弟子たちにはそれがイエスであることが分りませんでした。イエスは彼らに言われました。「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。」(ヨハネ 21章6節) そこで彼らは網を降ろしました。すると網を引き揚げることができないほどのたくさんの魚が獲れました。その時、一人の弟子がその人が復活されたイエスであることに気づきました。彼が「主です。」(7節)と言ったので、他の弟子たちもその人がイエスであることが分りました。弟子たちは魚で一杯の網を引いて岸にやってきました。彼らが陸地に上がると、そこに炭火とその上に載せた魚とパンがありました。イエスが食事を整えてくださっていたのです。弟子たちはそこでイエスと食事をしました(12節)。

 私はここを読んで旧約聖書の詩篇23篇のことばを思い出しました。そこには主は「私のために食事をととのえ」てくださるとあります(5節)。詩篇23篇は、「主は私の羊飼い」(1節)であると語っています。「主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。」(2節、3節) イエスは羊飼いのように私たちを守り導き養ってくださいます。羊は羊飼いの言うことを聞きます。私たちも羊飼いであるイエス・キリストのみことばを聞きたいと思います。ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。
 
(PBA制作「世の光」 2017.10.14放送でのお話より )
 
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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。。携帯からもこのURLでどうぞ。

***

東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■恵みのゆえに / 関根弘興

2017年11月17日 | Weblog
2017/10/13放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
  
イエス・キリストがエリコという町に行かれた時のことでした。その町外れにバルテマイという目の不自由な人が道に座っていました。イエス様がそこを通られようとしていた時でした。バルテマイは大声で、「イエスさま。私をあわれんでください。」(マルコ 10章47節)と叫び続けたんです。するとイエス様はバルテマイに「あなたの信仰があなたを救ったのです。」(マルコ 10章52節)と言われると、何とたちまち彼は見えるようになったんですねえ。これはマルコの福音書10章に記されている出来事です。

 でもこういう箇所を読むと時々誤解される方がいます。イエス様は「あなたの信仰があなたを救ったのです。」と言われましたねえ。それで、ああ、私の信仰次第で救われるかどうか決まるのだとか、ああ私は信仰が弱いから救われないのではないか、と思ってしまう方がいるんです。そして問題が解決しなかったり、病気がなかなか回復しないなどという時に、ああ私の信仰が弱いからだと落ち込んだり、もっと強い信仰を持たなくてはならないと思って頑張って自分に鞭打ちような生活をする方もいるんです。

 しかし、イエス様が「あなたの信仰があなたを救ったのです。」と言われたのはそういう意味ではありません。私たち救われ癒され問題を解決していただくのは、私たちの信仰の強さや深さや手柄やまた自分の功績によるのではありません。ただ主イエス様の愛とあわれみによるんです。

 それではイエス様が、「あなたの信仰があなたを救ったのです。」と言われたのはどういう意味なんでしょうか。新約聖書のエペソの手紙2章8節には、「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」 こう書かれています。

 ここで、「恵みのゆえに、信仰によって救われた」とありますね。信仰とは信頼と同じです。聖書の約束を認めるということではなくて、心からの信頼をもって愛なる神様の約束を受け取り叫び求める時に、神様はあなたを救いに導いてくださると教えているんですねえ。受け取る私たちは、ただ、ありがとうございます、と感謝をもってそれを受けとるのです。信仰に生きることは「神様ありがとうございます。」と感謝をもって生きることへ導いていくんですね。

 (PBA制作「世の光」2017.10.13放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■十戒 -自由への励まし 32 / 大嶋重徳

2017年11月16日 | Weblog
2017/10/12放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。

 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十回の第四戒は「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。」(出エジプト記 20章8節)と語り、神様が休まれた神様であり、その神に似せられた私たち人間も休みを取らないといけない、と記されています。

 しかし私たち日本人は休むことが下手です。そもそも日本には江戸時代の以前、週の休日という概念自体が存在しませんでした。休みと言えばお盆やお正月の日などだけでした。休みを取る文化が歴史が浅いんですね。実は最近のある統計では日本人の有給休暇取得率は47%にとどまるそうです。今なお50%以上の人が休む権利を放棄してしまっている現実があります。それに対して有給休暇平均取得日数第一位のフランスは年間34日の有給休暇を平均的に取っています。二位以下のスペインも28日、デンマークも26日と続く中、日本人はわずか9日です。ここに欧米諸国とかけ離れた休む文化がない日本の現状が映し出されています。

 日本人の有給休暇に対する意識調査によると、有給休暇を取ると周りに迷惑がかかるので休めない。休みを100%、有給休暇を100%消化していると昇給や昇進に響きそうなので休みない。仕事の成果があがっていないので休みを取りにくい。自分がいなくても滞りなく仕事が回ってしまうと自分の存在価値がなくなるから休めない。という声が上がっているようです。

 しかし私たちは自分が休むことと仲間の休みの日を守るということはこの世界を神様が支配されていると信じている証しの日ともなるはずです。つまり神様がこの世界を創造されながらも休まれたという事実は、神様が休まれていても神様の治めておられる世界は存在し続け、動き続ける世界を神様は創造されたということです。この神様のみわざを深く信じることができる私たちは、この世界の労働を一人で背負いこみその重圧に押しつぶされる必要はありません。つまり、神様が休まれたように自分が休んでもまた世界は存在し続けることを信じて、大胆に休みを丸一日とるべきです。そしてむしろ私たちは安息日から始まる一週間をより良く生き、より良く働くことができるようになるのです。

 今日は木曜日です。今週末はきちんとお休みを取りたいと思います。
 
  ( PBA制作「世の光」2017.10.12放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■悔い改めにふさわしい実 / 福井 誠

2017年11月15日 | Weblog
2017/10/11放送


世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「悔い改めにふさわしい実」です。マタイの福音書3章8節を読んでみましょう。
それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。

 ヘロデ王は一国の支配者でした。しかしその支配者の運命も神の道に握られているとされているように、全ての人は神の支配の中に生きています。しかしそんな事実を意識して生きている人は少ないものですね。「神様」と口にすることはあっても、実際の人生は神様とは全く無縁、神様とは全く関係なしに生きていることが多いのです。

 この福音書を書いたマタイはイエスのことばを引用して言いました。
 「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」(マタイ 3章2節)

 神にお会いするその時がいよいよ近づいているのだから、これまで神を認めないで生きてきた人がいるならその心を変えて神を認め、神の御心を覚えて歩むようにしなさい、と言います。悔い改めの勧めは神を覚えた生活をしていく。神を意識した考え方、行動をしていことを意味していますね。

 当時のユダヤ人は「われわれの父はアブラハムだ」(マタイ 3章9節)とアブラハムの子孫であることを誇りにして生きていました。けれどもそんな民族意識でごまかしてはいけません、と言います。今日で言えば、有名な教会のメンバーである、大きな教会に通っている、あるいはクリスチャンの家庭に生まれている、そんな考え方でごまかしてはいけませんということですね。しっかり個人的に神様の存在を認めて神様の御心に従う、神様に結びついた歩みをしなさい、という訳です。

 神を信じるというのは教会に所属する、いやキリスト信者になる以上のことです。それはまさに神のいのちと神の力に生きることです。

 これまで話してきた旧約の預言者たちも、まさに人生には神の力が働く事を語ってきていましたね。イザヤは神の霊が注がれるときに、「荒野が果樹園となり、果樹園が森とみなされる」(イザヤ書 32章15節)ようになると語っています。エゼキエルは率直に、神は「新しい心を与え、・・・新しい霊を授ける。」(エゼキエル書 36章26節) 「すべての汚れから救」(エゼキエル書 36章29節)う、と語ります。
 
 神は私たちの人生に素晴らしい力と祝福を与えてくださるお方です。しっかりと神を認め、神のいのち、そしてみ教えに従う歩みをさせていただきたいものですね。
 
(PBA制作「世の光」2017.10.11放送でのお話より )

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■準備する前に準備 / 板倉邦雄

2017年11月14日 | Weblog
2017/10/10放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は「準備する前に準備」という題でお話ししましょう。
 私たちが準備する前に主なる神キリストが準備していてくださるということです。

 さて、過ぎ越しの子羊を屠る種無しパンの祭りの日がやってきました。イエス様は弟子のペテロとヨハネを使いに出すことにしました。「エルサレムの市内へ行って過ぎ越しの食事ができるように準備しなさい。」 彼らは言いました。「どこに準備したら良いのですか?」 するとイエス様は二人に言われました。「市内に入ったら水瓶を持っている男に出会うでしょう。」 水瓶を運ぶのは女性ですから男性が運んでいれば目立ちますねえ。「その人が入っていく家までついて行くんです。そしてその家の主人にこう言いなさい。『弟子たちと一緒に過ぎ越しの食事をする座敷はどこですか?と先生が言っておられます。』 するとその家の主人は席の整えられた、そして用意された二階の広間を見せてくれるはずです。そこに過ぎ越しの食事の用意をしてください。」

 ペテロとヨハネの弟子たちは市内へ行ってみると、イエス様が言われた通りてあったので、過ぎ越しの食事を用意したのです。彼らは準備しながら思ったことでしょう。そうだ、先生が一年前、部屋を用意し、すなわち予約してくださったのだ。使用人に水瓶を持たせて市内を歩かせることも合図のことばもそうなんだ。 

 さて、私たちが準備する人生の前に主なる神様が準備してくださる人生を私たちは、「選ぶ人生」ではなく「選ばれた人生」と呼んでいます。私たちは、親や兄弟を選ぶことはできません。時代や国を選ぶこともできません。気がついたら親がいて兄弟が用意されていたのです。私たちが生きて成長するためでした。そして私たちは死ぬ時も時と場所を選ぶことはできません。もしそうだとすれば、私たちの人生のすべては自分で選び準備しているようですが、実は主なる神様が用意し準備していたのではないでしょうか。

 イエス・キリストのことばです。
 「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであ・・・る。
         ヨハネ福音書の15章16節

   (PBA制作「世の光」2017.10.10放送でのお話より )

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■謙虚なリーダーとして / 岩井基雄

2017年11月13日 | Weblog
2017/1009放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。
 月の第二週の月曜日は旧約聖書に登場するヨセフの人生について学んでいます。奴隷に売られ、冤罪で投獄され、なお二年間も失望の中を耐え忍んできたヨセフの苦難の歳月を神様は備えの時としてくださいました。そしてついに、エジプトの王パロの前に立ち、他の人が誰もなし得なかったパロの夢を解き明かしたヨセフは、パロにも他の学者にも認められたのです。彼の、夢の解き明かしは、人々に神の存在を証しし、パロはヨセフを神の霊の宿っている人と認め、エジプト全土を支配させることになります。そしてその夢の解き明かしにあった七年間の大豊作の後に起こる七年間の大飢饉に備えて作物を蓄える任務をパロはヨセフに与えたのです。

 聖書はこう語っています。
 「あなたは私の家を治めてくれ。私の民はみな、あなたの命令に従おう。私があなたにまさっているのは王位だけだ。」
  パロはなおヨセフに言った。
 「さあ、私はあなたにエジプト全土を支配させよう。」

          旧約聖書 創世記41章40節、41節

 パロもヨセフが信じる神を恐れ、エジプトの民をヨセフに委ねます。下層階級の人々の悲しみや苦難を体験してきたヨセフがエジプト全土のリーダーになったということは、エジプトだけではなく他の国々の人々の大きな恵みと祝福につながっていきます。神の大いなる御手の下に謙ったヨセフは、その地域一帯の神の器とされるのです。パロやエジプト学者たちも認める神のわざを、神はヨセフという神の人を用いてなされました。すべての出来事の背後に、異国でも恵みを表わされる神の勝利があったのです。そして神は欠けの多い者をも整え、神の人として用いてくださるのですね。どんな状況の中でも私たちは自分にではなく神様に信頼を置き、神と人との前に謙り、神様が与えてくださる恵みと愛の知恵に拠り頼んでいきたいと願います。神に導かれる生涯は周りの方々にも恵みと祝福を与えていくのです。

 聖書のことば
 神と人との前に好意と聡明を得よ。
  心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。

     旧約聖書 箴言3章4節、5節

 神様はあなたの人生を祝福し豊かに用いてくださるのです。

   PBA制作「世の光」2017.10.9放送でのお話しより)

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■成就するイエスのことば / 羽鳥頼和

2017年11月11日 | Weblog
2017/10/7放送

 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。
 新約聖書ヨハネの福音書18章32節をお読みします。
これは、ご自分がどのような死に方をされるのかを示して話されたイエスのことばが成就するためであった。」(参照 ヨハネ 12章33節)

 このことばは、ある出来事によってイエスが言っておられたことが実現することになったことを教えています。イエスの言っておられることとは、自分がすべての人を救うために殺されなければならない、ということでした。

 イエスが殺されることになった状況とはこのようなことでした。ユダヤ人の指導者たちがイエスを殺そうと考えました。多くの人々がイエスの所に集まるのを見て、彼らはイエスを妬み、殺そうとしたのです。

 その当時、ユダヤはローマ帝国に支配されていて、ユダヤ人に人を死刑にする権限は与えられていませんでした。ですから彼らは自分たちの一存でイエスを殺すことはできなかったのです。そこで彼らはローマの総督ピラトにイエスを告訴しました。ピラトはイエスが無実であり死刑にあたるようなことは何もしていないと判断し、イエスを釈放しようとしました。ところがユダヤ人指導者たちはピラトの言うことを聞かず、イエスを死刑にするように強引に要求し続けます。人の思惑が交差しながらも、理不尽で邪悪な考えが実現しようとしていました。

 しかし聖書はそのような状況で、「 これは、ご自分がどのような死に方をされるのかを示して話されたイエスのことばが成就するためであった。」と教えているのです。

 人々は自分の考えで行動しました。神のことなど考えていません。そして悪意が実現して行きます。悪が勝ち誇っている状況の中で驚くべきことに、イエス・キリストの十字架による神の救いが成し遂げられる、と聖書は教えています。キリストはすべての人を救うためにすべての罪を負って身代わりとなって十字架で死なれたのです。イエス・キリストの十字架こそ私たちの救いです。

 明日は日曜日です。イエス・キリストの十字架による救いを受けるために、お近くのキリスト教会にぜひいらしてください。
 
(PBA制作「世の光」 2017.10.7放送でのお話より )
 
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■呼び求めよう / 関根弘興

2017年11月10日 | Weblog
2017/10/6放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
  
私たちの人生が豊かになるために必要なものは衣食住の他に少なくとも三つあると言われます。

 一つは愛情です。人は誰からも愛されていないと感じたら生きて行くことは辛くなってしまいますね。人は愛されることによって安心し、愛することによって満足するんです。
 二つ目に必要なのは所属です。自分がどこに属しているかということですねえ。もっとくだいて言うならば、自分の居場所があるかということです。人は自分の存在を認めてもらえないとやはり生きて行くことは辛いですね。

 三つ目に必要なのは自己尊敬ということです。これは自分がしたことで相手が喜んでいる姿を見るとどうでしょう。嬉しくなりますよね。人の心の中には誰かの役に立ちたいという思いがあるからなんです。人は自分の存在が何かの役に立っているという自己尊敬をもって生きていきたいって言う願いがあるんですね。

 さて、新約聖書の中に、バルテマイという人が紹介されています。彼は目が不自由で、町外れに追いやられてしまっていました。彼は自分が愛されず、自分の居場所などないと感じていた人でした。そんなバルテマイの前をイエス様がお通りになった時のことでした。バルテマイは大声で周りの制止を振り切って、こう叫んだんです。「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください。」(マルコ 10章47節) 彼は叫び続けました。 この「ダビデの子」という呼び方は救い主を表すことばなんですね。彼は、「救い主イエス様。私を憐れんでください。」と叫んだんです。するとイエス様は、「わたしに何をしてほしいのか。」(マルコ 10章51節)と尋ねたんです。バルテマイは「目を見えるようにしてください。」と答えました。するとイエス様は「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」(マルコ 10章52節)と言われたんです。すると彼は見えるようになり、イエス様と共に歩む者となっていきました。

 このバルテマイが叫んだ「あわれんでください」とは、「救ってください」という心からの叫びだったんです。イエス・キリストはあなたを決して無視されるお方ではありません。心から叫び、求める者を助け、あなたの歩むべき道を導いてくださるお方です。

 聖書のことばをお聴きください。これは旧約聖書のことばです。

 ヨエル書2章32節
 「主の名を呼ぶ者はみな救われる。

 どうでしょう。単純にイエス・キリストの御名を呼び求めてみてはいかがでしょうか。

 (PBA制作「世の光」2017.10.6放送でのお話しより)

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■十戒 -自由への励まし 31 / 大嶋重徳

2017年11月09日 | Weblog
2017/10/5放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。

 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。既にここまで第三戒で神様の名のふさわしい呼び方について考えてきました。ふさわしい神礼拝こそ私たちの日常をきちんと生きる指針となるということでした。

 それでは第四戒の「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。」(出エジプト記 20章8節)という安息日規定はいったい私たちの生活にどのような自由への光を放っているのでしょうか。

 「日曜日は教会に行きなさい。礼拝に出なさい。」という日曜礼拝絶対厳守の戒めだけに閉じ込められてはいません。「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。」という第四戒の根拠は旧約聖書の出エジプト記で「それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。」(出エジプト記 20章11節)とあります。つまり、安息日を守り安息日に休むことを命じている理由は、神様が休まれたことのゆえだと十戒第四戒は語るのです。そして非常に意味深いことは、私たちの信じる神様が休みをとられる神様だということです。そして人間は神の似姿に似せて作られたと記されている私たち人もまた神様のように休みを取る必要がある存在だと語っているのです。

 皆さんは神様が休みをとられる神様だと考えたことがあるでしょうか。まず考えておきたいのは、十戒第四戒の一です。十戒の内、第一戒から第四戒までは神様との関係を表した箇所だと言われます。そしてこの第四戒はその最後にあたります。そして第五戒から始まる箇所は具体的な日々の生活の指針、とりわけ人間関係に入っていくと言われ、その直前に第四戒は位置します。これは安息日を持つことが神様との関係をきちんと持ち、更にすべての人間関係を生かすことになる、という事を表しているのです。そしてそのためには、神様が休まれたようにきちんと休みなさい、と聖書は語るのです。

 今日ラジオをお聴きの皆さんは一週間毎のお休みをきちんと取っているでしょうか。休みを取ることもせず、毎日懸命に働い続けることは神様との関係を失わせ、人間関係をギスギスとしたものにしてしまいます。

 これから第四戒を学ぶことを通して、私たちが少し苦手な「休むこと」について学んでいきたいと思います。

  ( PBA制作「世の光」2017.10.5放送でのお話しより )

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■御名もただ一つになる / 福井 誠

2017年11月08日 | Weblog
2017/10/4放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「御名もただ一つになる」です。ゼカリヤ書14章9節を読んでみましょう。

 「主は地のすべての王となられる。
  その日には、主はただひとり、御名もただ一つとなる。


  ゼカリヤ書最後は、エルサレムに対する神の裁きが語られていますね。しかしどうもこの箇所を読んでいると、当時の時代には当てはまりにくい内容があるような気がします。それは当時の時代を越えた、私たちの時代にも関わるメッセージがあるからなのでしょう。つまりこの箇所は、世界の終わりという意味での終末的に、あるいは未来に起こることとして読んでいく必要もある箇所です。具体的にはエゼキエル書や黙示録など、同じように神を信じる者の未来について語っている箇所と合わせながら理解していくべきところですね。

 そこで、この箇所のメッセージを単純に要約すると、将来、神を信じる者たちは苦しめられることがあっても苦しみに捨ておかれることはない。神は常に私たちと共におられ、神の不思議な介入によりその苦難から救われる、というのです。

 世界の終わりが来る時には、いよいよ聖書の神の支配が明らかになって、神の栄光が現され、苦難の中にある信仰者に与えられる祝福は、更に地上のあらゆる人を祝福することになる、と言います。

 しばしば世界の終わりには怖いイメージがありますねえ。悲惨な破壊が起こり、すべてが無に帰すようなイメージがあります。しかし聖書はそんなイメージではなくて神の主権が認められること、ただ唯一まことの神だけが認められて、その神のもとに皆がひれ伏し、神の栄光をたたえる時が実現する。それはもはや敵も味方も無く、完全な一致と調和と平和が実現する時である、と明るい秩序あるイメージを描いています。

 大事な点ですね。世界の終わりは破壊ではなく、まことの神ただ御一人が明らかにされて、すべての民族国民が一つにされる祝福の時です。やがて人類はこの神の前に立ち、神がこの世のすべての帳尻を合わせられるその時を喜びます。その神の祝福を受ける時に向かって、ふさわしい歩みをさせていただきたいものです。
 
(PBA制作「世の光」2017.10.4放送でのお話より )

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