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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■主によっていよいよ喜び/福井 誠

2015年07月16日 | Weblog
2015/7/16放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「主によっていよいよ喜び」です。それではイザヤ書29章19節からお読みしましょう。
 「へりくだる者は主によっていよいよ喜び、貧しい人はイスラエルの聖なる方によって楽しむ。

 29章に出て来る「アリエル」ということばそれ自体の意味は不明ですが、聖都エルサレムのことを指しているようですね(※1節「ああ。アリエル、アリエル。ダビデが陣を敷いた都よ。」)。イザヤはこの放蕩と軽薄、偶像礼拝と世の策に溺れる都が神の裁きを受けるのだと預言し嘆いています。そしてこの裁きは神から出たものなのでエルサレムを攻めた巨大勢力はまた神の手によって裁かれ滅ぼされると言います。

 つまりすべては神の主権の元で起こっているのであって、この世の中にはただ単に弱肉強食の世界が広がっているのではないのですね。しかし、今もそうかもしれませんが、このメッセージは当時の人々には理解しにくいものでした。どう考えても、ただ強い者が弱い者を飲み込んでしまう、歴史はその繰り返しだと見るだけで、その背後にすべてを支配しておられる神を認めることはなかなかできなかった訳です。

 イザヤは霊的な目で物事を見ようとしないからそうなるのだと言います。確かに使徒パウロも「生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。」(1コリント 2章14節)と語っています。

 「神様ですか? いるんでしょう、知ってますよ。」というのではなくて、心から神様を恐れ、神様を信頼していくのでなければ、決してこの世界が神の支配の元で動いているとは分からない事でしょうね。人はどうしても目に見えるこの世の秩序・流れの中で物事を考えやすいものです。勝ち組の流れに乗っかることが自分の救いであり得策であると考えやすいものですね。それ自体、やはりこの世界のすべてを支配しておられる目に見えない神を認めていないことです。まことの神を認め、神の前にへりくだり神に従っていくならば、人が恥を見ることはない、顔色を失うこともない、とイザヤは言います。神を信じて歩ませていただきたいものですね。

(PBA制作「世の光」2015.7.16放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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