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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■最善の判断(2)

2010年05月08日 | Weblog
2010/5/8放送

 世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 山中直義です。

 どんな時でも神様を信頼する。 それこそが最善の判断だ、ということを先週は学びました。 しかし現実にはなかなかそうは思えないこともあります。 創世記13章でアプラムもそんな体験をしました。

 彼は甥のロトと一緒に遊牧の旅を続けていましたが、大きな問題に直面することになりました。 アブラムとロト、それぞれの群れが大きくなり、これ以上一緒に住むことが出来なくなって決断が迫られたのです。

 遊牧民であった彼らにとって、どこに住むかということは死活問題とも言える大切な問題でした。 しかしアブラムはこの時、神様を信頼して、次のようにロトに言いました。 
 「もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう。」(創世記 13章9節)
 最善の判断とは神様を信頼すること。 そのことを学ばされていたアブラムは、年長者の権利を主張することもなく、ロトに判断を委ねたのです。

 しかし一方のロトはアブラムの優しさをよそに、目に見えるものに心を奪われてしまいます。 ロトは最も良く潤っているように見える地を選び、アブラムを残して離れて行きました。 

 この時アブラムは一体どんな思いでいたのでしょうか。 思いやりや優しさは踏みにじられ、信仰による決断には何の意味もなかった。・・・そんな寂しさや空しさ、敗北感があったのではないかと思います。 

 しかし、一見、最善には見えなかったアブラムのこの判断が実はとても賢く良いものであった、ということが後になって分かりました。

 ロトが選んだ豊かな地は、この後大きな戦争に巻き込まれ、ロトはすべての財産を奪われることになったのです。 一方のアブラムは争いから逃れられたばかりか、神様から更に豊かな祝福を受けることになりました。 

 目に見えるもの、見えないもの全てを統べ治めておられる全知全能の神様を信頼する。 やはりそれこそが最善の判断だ、と聖書は教えています。 

 聖書のことば 
 「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」 コリント人への手紙第二 4章18節

       (PBA制作「世の光」2010.5.8放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblical.jp 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


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  お問い合わせは、
  電話 052-762-2196 東海福音放送協力会へ
            (自由ケ丘キリスト教会内)

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■上の恵みの尊さ

2010年05月07日 | Weblog
2010/5/7放送

世の光の時間です。 お変わりありませんか? 岩井基雄です。

 この金曜日の放送は時々、詩篇からの学びをさせていただいています。 今月もこの旧約聖書に記された詩篇、人の心の痛みや思いを深みから表現する詩篇を味わってみたいと思います。 今日の詩篇は36篇です。 7節をお読みします。 
 「神よ。あなたの恵みは、なんと尊いことでしょう。人の子らは御翼の陰に身を避けます。」 

 この詩篇の作者はイスラエルの王ダビデでした。 しかし彼は自らを「神のしもべ」と表現しています。 どんなにこの地上における権力と富を所有し、人々を動かせるような立場にいようとも、その王も神のしもべでしかありません。 そしてこの王ダビデは「あなたの恵みは、なんと尊いことでしょう。」と語っています。 「恵み」という表現は聖書によく出てきますが、それは受けるに値しない人間が神から特別な憐れみと祝福を受けることを意味しています。

 王ダビデは大きな罪を犯しました。 ある女性を自分のものとするためにその夫を殺し、女性を自分のものとしたからです。 彼は殺人者でした。 当時の多くの王は平気でそのようなことを行っていました。 しかし神を知るダビデは異なっていました。 自分の罪を知らされた時、彼はその罪を心から悔い改めたのです。 

 この詩篇36篇の最初の部分でダビデは自分の罪深さを表現しています。 そして罪の告白に伴う罪の赦しを経験し、神の御翼の陰に身を避ける平安を味わいました。 それは受けるに値しない特別な憐れみでした。 だからこそ「神よ。あなたの恵みは、なんと尊いことでしょう。」とダビデは詠っています。

 そして続けてこう詠います。 「私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです。」(9節) ダビデは神の光のうちに自分の人生の光を見出したのです。

 あなたも、この神の光のうちにあなたの人生の光を見ることができます。 神は大いなる恵みを用意して、あなたが罪を悔い改めるのを待っておられるからです。 

 それではまた聞いてください。

   (PBA制作「世の光」2010.5.7放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■人々を思いやる

2010年05月06日 | Weblog
2010/5/6放送

 世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。 今日のバイブルメッセージは「人々を思いやる」です。 それでは聖書の中のヘブル人への手紙13章3節から読んでみましょう。

 今日のバイブルメッセージは、人々を思いやるです。 それでは、ヘブル人への手紙13章3節から読んでみましょう。 
 「牢につながれている人々を、自分も牢にいる気持ちで思いやり、また、自分も肉体を持っているのですから、苦しめられている人々を思いやりなさい。

 先日、子供の英語の勉強に付き合いました。 ちょうどマザー・テレサの物語を読んでいました。 マザー・テレサは初めはシスター・テレサと呼ばれていたようですが、母親のような愛情をもって貧しい人たちにかかわったことからマザー・テレサと呼ばれるようになった、など簡潔に彼女の生涯が描かれていました。 

 彼女があのような偉大な事業に取り組んだきっかけは、修道院に通う道すがら見かけた貧しい人の姿であったようです。 貧しい人を見て何とかできないか、と思ったことからだと言うのです。

 愛というのは人に関心を向けることである、人のために時間を与えることである、と語った人がいます。 ヘブルの著者も、私たちに「苦しめられている人々を思いやりなさい。」と語り、自らのうちに他者に対する関心を掘り起こすべきことを語っています。

 しかし私たちの現実は、愛のない者、いつでも自分中心で自分のことだけを考えているような者かもしれません。 例えば、田舎を出てしばらく田舎の両親にごぶさたしていることはないですか? あるいは伴侶や子どもが普段何をしているのかも分からず、仕事に没頭しすぎていることはないでしょうか。 また世界には無実でありながら政治的な理由で投獄され、抑圧されている人たちもいますし、災害で痛めつけられ苦しんでいる人もたくさんいますが、そういう人に対する関心は微塵もない、ということはないでしょうか。

 私たちの無関心・無感動な心に、人に対する思いやりを掘り起こしたいものです。 実際、キリスト教信仰を持つということは神の愛を知り、神の愛に生きるようになることです。 自分を愛する人から他人を愛する人に変えられていくことです。 苦しめられている人々に関心を向け、思いやり、時間を与えていくように勧めるヘブルの著者は、私たちに大切な信仰実践を教えています。

 今日、電話をかけるべき人はいませんか? 手紙を書くべき人、声をかけるべき人はいませんか? 思いやりの心を持ちましょう。 

  ( PBA制作「世の光」2010.5.6放送でのお話より )

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■祈りの生涯

2010年05月05日 | Weblog
2010/5/5放送

 世の光の時間です。 いかがお過ごしですか。 板倉邦雄です。 旧約聖書ネヘミヤ記は今日で終了します。 

 「ネヘミヤ」と聞きますと、エルサレム城壁の再建と宗教改革に取り組んだ人、という印象ですが、実はネヘミヤは祈りの人として生涯を過ごした人ではなかったでしょうか。 というのも、ネヘミヤ記はネヘミヤの祈りをもって始まり、祈りをもって終わっているからです。

 ネヘミヤ記の最後の節はネヘミヤの祈りのことばで終わっています。
 「神様、どうか私をあわれみ、心にお留めください。」 ネヘミヤ記13章31節(リビング・バイブル訳)

 ネヘミヤ記の1章は、ふるさとエルサレムの荒廃を聞いたネヘミヤが涙を流し、幾日も天の神様への祈りで過ごした、と書いてありました。
神様、・・・私の訴えに耳を傾けてください。 夜も昼もイスラエル国民のために祈っている私に、目をとめてください。」(1章6節 リビング・バイブル訳) そして数々の反対と困難の中でエルサレムの城壁を再建しました。 そして国民のために神殿礼拝と福祉を成し遂げたネヘミヤの最後の祈りがこのような祈りでした。
神様、どうか私をあわれみ、心にお留めください。

 祈りの変化に気づきましたか? ペルシャの宮殿に仕えていた時の祈りは「夜も昼もイスラエル国民のために祈っている私に、目をとめてください。」でした。 しかし、ふるさとへ帰ってからユダヤ地方の知事として困難な中での城壁の再建、そして宗教改革を成し遂げたあとの祈りはどうでしたか? 「神様、どうか私を憐れみ、心にとめてください。」 「人々のために祈っているこの私に目をとめてください。」という祈りから「この私を憐れみ、いつくしんで、あなたの目ではなく心にとめてください。」(へと。)

 素晴らしい仕事を成し遂げ、人々のために尽くしながら、ますます天の神様に対し心を低くする姿ではないでしょうか。 とにもかくにも人間として最も美しい姿と言われる祈りの生涯へあなたも歩み出しませんか? 旧約聖書の詩篇の119篇の祈りを紹介しましょう。

 「私は滅びる羊のように、迷い出ました。 (主よ、神よ、) どうかあなたのしもべを捜し求めてください。 私はあなたの仰せを忘れません。」 詩篇119篇176節

  ( PBA制作「世の光」2010.5.5放送でのお話より )

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■生活の中に溶け込むために

2010年05月04日 | Weblog
2010/5/4放送

 世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日も一日爽やかに過ごしていきたいですね。 

 聖書のことばを紹介しましょう。 第一ヨハネの手紙3章1節。
 「私たちが神の子どもと呼ばれるために、----事実、いま私たちは神の子どもです。----御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。

 ま、こうして聖書のことばを毎回紹介していますけれども、時々聖書のことばを聞いてもピンと来ない、何だか他人事(ひとごと)に聞こえる、ということがあるかもしれませんね。

 聖書のことばがお互いの生活の中で具体的に適応されていくためには、やはり幾つかの段階が必要だと思うんです。 それはまず、そのことを理解するということから始まるんですね。 理解したことをそして受け入れるのです。 そして受け入れるとそのことが自覚され、そして自覚されることによって具体的な生活の中にそのことが溶け込んでいくんですね。 

 例えば結婚ということについて考えてみましょう。 結婚するとどちらかの名前が変わりますよね。 誰もが知っていることですが、そのことを理解し受け入れる訳です。 結婚したその日から名前が変わる訳ですから、最初は名前を呼ばれても、えーっ?、誰のこと?、と思うかもしれません。 でもそれが毎日のように積み重なっていきますと、いつのまにか新しい苗字が自分の生活の中に溶け込んでしまいますね。 そして旧姓で呼ばれると、逆にとまどったりする訳です。

 このようにある物事が具体化され日常の中に溶け込むためには、理解され、受け入れられ、自覚がもたらされていく。 そこで生活の中に溶け込んでいくんですね。 

 これは聖書の約束のことばを受け入れて歩むことも同じなんですね。 最初は聖書が語っていることを理解し、受け入れることから始まります。 もちろん全部分からなくてもいいんです。

 聖書はあなたにこう語っています。 「神様はあなたを愛しています。 そしてあなたのためにイエス・キリストを遣わし、イエス・キリストはあなたのきたない心の罪のために身代わりとなって十字架でいのちを捨てるほどの大きな愛であなたを愛している。 そればかりか、十字架で死なれ、三日目によみがえられたイエス・キリストは、あなたと一緒に歩もうと招いてくださっている。」 このように語っているんです。 あなたはそう聞いても何だかピンと来ないかもしれませんね。 でも、いのちをかけてまで愛してくださる方がいて、共に歩もうと招いてくださる方がいるということは何と嬉しいことでしょう。 そして何と大きな励ましであり、勇気づけられることでしょう。

 まず聖書の約束を自分に語られた約束として理解し、受け入れるのです。 するとそこに新しい体験が生まれ、それが積み重なり、ヨハネが記したように、「神様はどんなに素晴らしい愛を与えてくださったことでしょう。」と、自分の人生を通して少しずつ味わいながら歩むことができるようになっていくんです。 

 (PBA制作「世の光」2010.5.4放送でのお話しより)

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■ゴールデンルール

2010年05月03日 | Weblog
2010/5/3放送

 世の光の時間です。 お元気でしょうか? 村上宣道です。 

 えー、大型連休ゴールデンウィークの最中ですが、今日5月3日、えー今日は何の日だっけ?、って思われる方もいらっしゃるでしょうか。 憲法記念日ですよねえ。 今から63年前、1947年に施行されたそれを記念する日になる訳ですけどねえ。

 で、まあ憲法って言いますと堅いイメージが拭えませんけれども国の中の大原則となる決まりな訳ですけれども、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重、この三つのことが根本となるのが日本国憲法だというふうに言われておりますねえ。

 あのう、ずうっと前ですけども最高裁長官であった横田喜三郎という方がですねえ、あらゆる国の憲法の根幹となっているものは旧約聖書に出てくるあのモーセの十戒というふうに知られておりますあの十戒だというふうに言われたことがあったのを記憶しております。 で、「殺すなかれ」とかですね、「姦淫するなかれ」、「偽りを言うなかれ」、「盗むなかれ」、そういうふうなことが入っている訳ですけれども。

 それをですねえ、イエス・キリストってお方はもっとこう生活に密着した形で敷衍(ふえん)してですねえお話された、それがマタイの福音書の5章から7章に書かれてありますいわゆる山上の垂訓(すいくん)ですねえ。 天国憲法というふうにも言うことができるかなあというふうに思うんですけれども。

 その中でですねえ中心となるものは「何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。」(マタイ 7章12節)というふうに言われたですね。 
 
 儒教の教えの中にもありますよねえ。 それは、自分がしてもらいたくないことは他人(ひと)にもするな、という、これはそうですよねえ。自分がしてもらいたくないことは他人(ひと)にもするな、という。 でもこれは、積極的な意味で自分にしてもらいたいことは他の人にもそのようにしなさい、というのがこのイエス様の教えでしたですね。 
 これをゴールデン・ルールというふうにも言われたりするんですけれども。 毎日の生活の中でですね、私たちは、自分にしてもらいたい、これしてもらえたらなあ、と思うこと。 それは同じように相手の人もきっとそう思っているに違いない。 それをして差し上げよう、そんな気持ちでですねえ過ごすことが出来たら素晴らしいなあ、とそう思いますね。 

  ( PBA制作「世の光」2010.5.3放送でのお話しより)

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■最善の判断

2010年05月01日 | Weblog
2010/5/1放送

 世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 山中直義です。

 最善の判断とは何でしょうか。 神様を信じて歩み始めたアブラムは大きな判断ミスをしてしまいました。 創世記12章10節から13節のことばです。 
 
 さて、この地にはききんがあったので、アブラムはエジプトのほうにしばらく滞在するために、下って行った。この地のききんは激しかったからである。彼はエジプトに近づき、そこにはいろうとするとき、妻のサライに言った。「聞いておくれ。あなたが見目麗しい女だということを私は知っている。エジプト人は、あなたを見るようになると、この女は彼の妻だと言って、私を殺すが、あなたは生かしておくだろう。どうか、私の妹だと言ってくれ。そうすれば、あなたのおかげで私にも良くしてくれ、あなたのおかげで私は生きのびるだろう。」

 飢饉に見舞われたアブラムは豊かなエジプトに難を逃れようとします。 そしてそこで起こるであろう問題を予測し、賢く手を打ちます。 生存本能とでも言えるでしょうか、私たちの目には賢い判断であったように思えます。 しかしこの時のアブラムは、神様に信頼する、という信仰をどこかに忘れていたようです。 これでは神様などいなくても同じです。 神様を信じ、神様に信頼して生きるという歩みを始めていながら実際には神様を信頼していない。 そんな姿がそこにはありました。 

 さてアブラムたちがエジプトに入ると、エジプトの王パロが妻サライを宮廷に召し入れました。 こうしてアブラムは妻を失い、子孫の繁栄という神様の祝福も失いかけることになりました。 神様を信頼しないで行動した結果、最善とは言いがたい結果になってしまったのです。 しかしそんなアブラムに想定外の恵みが与えられます。 神様がひどい災害でパロとその家を苦しめ、アブラムのもとに妻を返してくださったのです。 難を逃れたアブラムは、人間の知恵や力だけを頼っていると取り返しがつかないことになる、ということを学びました。 最善の判断、それは神様に信頼する、ということなんですね。 

 聖書のことば
 「静まって、わたしこそ神であることを知れ。」 詩篇 46篇10節 (口語訳聖書)

       (PBA制作「世の光」2010.5.1放送でのお話しより )

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