♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して66年の
「世の光」を文字で 

■永遠に変わらぬキリスト

2010年05月20日 | Weblog
2010/5/20放送

 世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。 今日のバイブルメッセージは「永遠に変わらぬキリスト」です。 それでは聖書の中のヘブル人への手紙13章8節から読んでみましょう。
 
 「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。

 ヘブルの著者はこのことばの直前に「神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい。」(7節)と語っています。 

 立派に神の務めを果たした人々を思い起こして従いなさい、という訳です。 人は死後もなお語り続けるということがあるものですねえ。 そういう意味では、私にとっては祖母もまたそういう指導者の一人であるように思うことがあります。

 祖母は52歳で癌で亡くなりましたが、良く祈る人で知られていました。 それほど熱心な信仰者でありながら、祖母の子どもたちは誰も神様を信じていませんでした。 しかしいつも神に期待し、神に病の床の中で祈り続けたと言います。 祖母が死んで16年経ってから祖母の長女つまり私の母が救われました。 祖母が生きていたらどんなに嬉しかったことか、と思います。 母は人生に迷った時に祖母の祈りの姿を思い出し教会の門を叩いた、といいます。 実に母の救いは祖母の祈りの実であったのです。 祖母は死後もなお子どもたちに語り続けていたのですねえ。 

 私はクリスチャンになってから、その祖母がもっと長生きをしていて、いろいろと信仰のことをあれこれ話すことができたら、教えてもらえたら良かったのになあ、と思ったことがありました。 

 人はどんな立派な人でもやがて死んでいきます。 神のもとに迎えられます。 彼らは死後もなお語り続けますが、もはやかつてのように親しく相談に乗ったり、思慮深い導きを与えたりすることはできません。 残念なことですが人には終わりがあるのです。

 しかし聖書は言います。
 「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。
 あなたがイエスに聞きたいと思ったら、祈りを通してイエスに聞くことができます。 私たちはイエスを見ることができませんが、永遠に変わることがなく、そばにいて私たちの助け、力、導きとなってくださるのです。 「きのうもきょうも、いつまでも、同じ」イエスを信じましょう。

  ( PBA制作「世の光」2010.5.20放送でのお話より )

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そり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大
抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なし
でもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹
介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■悲しんでいる者は幸いだ

2010年05月19日 | Weblog
2010/5/19放送

 世の光の時間です。 いかがお過ごしですか。 板倉邦雄です。 今日は「悲しんでいる者は幸いだ」という題でお話ししましょう。

 イエス・キリストはこのように言われました。 「悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。」 マタイの福音書5章4節 (口語訳聖書)

 悲しみ嘆いている人がどうして幸せなんだ、不幸じゃないか。 むしろ笑う人生が幸福、と思いますよね。 ところが聖書は、悲しむ人が幸いだという理由をいくつかあげています。 
 
 まず、「悲しみは笑いにまさる。顔に憂いをもつことによって、心は良くなる」(口語訳聖書)と旧約聖書の伝道者の書7章3節にあります。 

 確か、武田鉄矢という人が『贈ることば』という歌を歌っています。 その一節に、「人は悲しみが多いほど人には優しくできるのだから」とあります。 優しさの漢字は人偏に憂いと書きます。 心に優しい人というのは多くの悲しみと嘆きを心の内に秘めている人かもしれません。 

 次にイエス・キリストが言われています「悲しんでいる人は幸福だ。 その人は慰められるからです。」 笑い転げている人は慰められる必要はありません。 むしろこれからは悲しみや嘆きが待っているでしょう。 しかし悲しみ嘆いている人は慰めと励ましが待っているのです。 

 ではどこから慰めを受けるのでしょうか。 私たちにとって本当の慰めと励ましは主イエス・キリストから来るのです。 

 主イエスについてこのように聖書は語っています。 
 「まことに彼(イエス・キリスト)はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。」(イザヤ書 53章4節)と。 まさに主イエス・キリストは「悲しみの人」(イザヤ書 53章3節)であったのです。 病むことの苦しみや痛み、辛さを味わいました。 ですから主イエス・キリストは優しいお方です。 弱さを思い遣ることができます。 十字架への悲しみと苦難の道を歩いてくださいました。 ですから主イエス・キリストを信じ従う人は、この主イエス・キリストから豊かな慰めと励ましを受けることができます。 何と幸いな人でしょう。 

 イエス・キリストのことばです。 
 「あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」 ヨハネによる福音書 16章 33節 (口語訳聖書)

  ( PBA制作「世の光」2010.5.19放送でのお話より )

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■聖書が示す品性

2010年05月18日 | Weblog
2010/5/18放送

 世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日も一日爽やかに過ごしていきたいですね。 

 先日アメリカのロサンジェルスで保険代理店の副社長をされている長田(おさだ)さんという方とお話をする機会がありました。 この方は最近、『人生を立て直すバイブルの品性』(著者:長田パンピガル和子 、イーグレープ出版、定価1,575円 ISBN978-4-903748-29-0)というタイトルの本を書かれ、まあその出版記念のために日本に来られていたんですね。 その中にですね、聖書が示す九つの品性、ということで新約聖書のガラテヤ人への手紙の5章22節からのことばが解説されていました。 このように聖書は記しています。 

 「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」 

 まあ私たちの人生で実をつけるとしたら、どんな実をあなたは望みますか? 争いや妬み、憤り、憎しみ、そんな実ばかりがたくさん実ってしまうというのでは少し悲しいですよね。 やはり聖書が示すように愛の実が、喜びの実が、平安の実が段々だんだん大きくなってくることを願いますよね。 

 イエス・キリストはこんな喩えを話されました(マタイ13章24節以下、マルコ 4章3節以下、ルカ 8章5節以下参照)。 ある時、種を蒔く人が種蒔をしました。 かごに入った種をですねえ畑に蒔くと、ある種は道端に落ちてしまうんです。 すると鳥がやってきて食べちゃったんですねえ。 ある種は土の薄い岩地に落ちました。 芽は出るのですけれども太陽が昇るとすぐに焼けて根が枯れてしまったというんです。 またある種はいばらの中に落ちました。 するといばらが伸びてこの種の芽をふさいでしまったんです。 しかし別の種は良い地に落ちました。 すると良い地に落ちた種は三十倍、六十倍、百倍の実を結んだ、っていうんです。 実を結ぶか結ばないかはどこに種が落ちたかによって変わる、というんですねえ。

 この種が蒔かれた場所、これがですね、私たちの心を表わしているとも言えるんです。 でも考えみると私たちの心は決して良い土地とは言えませんよね。 いろんな岩がごつごつ出ているような心かもしれません。 雑草だらけの罪だらけの心だなあ、なんて思うこともあります。 こんな心にイエス様の約束の聖書のことばが蒔かれても実など結ばない、って思うかもしれませんね。 まあそうなんですね。 私たちは自分の努力には限界があって、愛を持とうとしても寛容を示そうとしても限界にぶちあたってしまう弱い存在なんだ、ということ。 実はそのことをまず認めることが大切なんです。
 そして私のごつごつした岩だらけのような心をイエス様が耕し、やわらかくし、良い土地に改良し、実りを与えてくださるようにしてくださることを信頼し生きることが信仰なんです。 人生に豊かな品性の実りがもたらされることを願いながら、イエス様の助けを得ながら信頼し、歩んでいきましょう。 

 (PBA制作「世の光」2010.5.18放送でのお話しより)

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■決してあなたを忘れない

2010年05月17日 | Weblog
2010/5/17放送

 世の光の時間です。 お元気でしょうか? 村上宣道です。 

 えー、もう40年も前になるんですけれども、山内修一さんという方がシンガーソングライターとしてデビューしてですね、随分たくさんの歌を作りましたけれども、この方の作った歌の中で、『忘れないで』っていう歌がありますねえ。 今も森 祐理(ゆり)さんが歌ってくれたりしていますけども。 で、この歌が作られたその背景にはですね、山内さんが松本少年刑務所に慰問に行った時の経験から生まれたというふうに言われてるんですね。

 で、当時ここは最も悪質な犯罪者のまあ収容施設だったそうなんですけれども、ホールに整列させられた少年たちの瞳は無邪気に澄んでいて白シャツに白ズボン、丸坊主で笑い合う少年たちの笑顔はとっても印象的だったって言うんですけれども、ただちょっと違ったのは両腕からはみ出している幾人かの刺青だったそうなんですねえ。 今は何かファッションで入れてる人もいるようなんですけれども、ちょっとドキンとしたような感じだったらしいですねえ。 

 あのう聖書の中にですねえ、ちょっと不思議なことばがありまして、それはイザヤ書の49章という所に
 「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。」で、そのあとに「見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。」(イザヤ書 49章15、16節)ということばがあるんですね。 

 たぶん羽鳥先生っていう方がおっしゃったと思うんですけれども、「神様はご自分の手のひらに刺青をしておられた」って(言って)、(それで私は)エッ?と思ったんですが、それは、あなたをちゃんと手のひらに刻んである、というこのことば(のこと)なんですね。 で、女が自分の乳飲み子を忘れるなんてことは考えられないという。 しかしたとえその女たちが忘れることがあってもこのわたしはあなたを忘れない。 その証拠にわたしの手のひらにはちゃんとあなたの名前が刻んである、というそういうことなんですね。 
 
 で、『忘れないで』っていうその歌ですけれども、私のことなんかとっくにあの人は忘れちゃったかなあとか、誰からも覚えられていないとか、ほんとにそういうふうであったならば非常に寂しい訳ですよね。 たとえ、しかし、誰が忘れてもわたしは決してあなたを忘れない、っていうふうにおっしゃってるお方がいる。 その方は手のひらに私の名前を刻んで、ちゃんと覚えてていてくださるんだという。 そのことを知りますならば、ほんとに私たちは愛されているんだということが実感できるのではないでしょうか。 

  ( PBA制作「世の光」2010.5.17放送でのお話しより)


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■赦しの秘訣

2010年05月15日 | Weblog
2010/5/15放送

 世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 山中直義です。

 自分を傷つけた人を赦すことは決して簡単なことではありません。 しかし、もし相手を思い遣り、心から赦すことができたとしたら、それはどれほど素晴しいことでしょうか。 創世記14章アブラムの物語から赦しの秘訣について教えられたいと思います。

 ある日、アブラムのもとに一つの知らせが飛び込んできました。 彼の甥のロトが戦争に巻き込まれ、虜にされて連れ去られた、というのです。 このロトはアブラムを傷つけた人物でした。 土地に関わる問題で目に見える豊さに心を奪われ、アブラムの思い遣りを踏みにじって豊かな地に移り住んでいった人物です。 そのロトがその地で戦争に巻き込まれ虜にされた、というのです。 自業自得と言って見捨てることもできたでしょう。 しかしアブラムはこの知らせを聞くやいなやロトを救い出すべく敵を追跡し始めた、といいます。 相手はその地方を制圧した強大な連合軍。 勝ち目などない戦いであった、と言えます。 しかしそれでもアブラムは知恵と力を尽くし戦いを展開して、とうとうロトとその財産とを取り戻してやったと言います。 

 一体アブラムはなぜ自分を傷つけたロトを赦し、命がけになってまで彼を救い出そうとすることができたのでしょうか。 それはアブラムが神様の愛、神様の赦しを知っていたからです。 アブラムもかつてはロトと同じ生き方をしていました。 神様を無視し、自分の知恵や力や目に見えるものだけを信じて歩んでいたのです。 そしてその結果、自業自得としか言いようがないような悲惨な状況に陥ってしまったのでした。 しかしそんなアブラムを神様は見捨てませんでした。 あざ笑うどころか、むしろ愛し、赦し、救い出してくださったのです。 神様の深い愛、神様の深い赦しを知らされた者としてアブラムはロトを赦すことができたのでした。 神様の深い愛と赦しを深く知るそのとき、私たちの心にも赦しの愛が満ちてくるのです。 

 聖書のことばです。 
 「神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。
  エペソ人への手紙 4章32節

       (PBA制作「世の光」2010.5.15放送でのお話しより )

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  お問い合わせは、
  電話 052-762-2196 東海福音放送協力会へ
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■誠実を味わう

2010年05月14日 | Weblog
2010/5/14放送

 世の光の時間です。 お元気ですか? 岩井基雄です。 今日も詩篇を味わいたいと思います。 今日は37篇です。 お読みします。 

 「悪を行なう者に対して腹を立てるな。不正を行なう者に対してねたみを起こすな。 彼らは草のようにたちまちしおれ、青草のように枯れるのだ。」 詩篇 37篇1節、2節

 私たちは時に、この地上における人々の歩みに不条理さを覚えます。 悪人が栄え、善人が馬鹿を見ているように思うことが世の中には少なくないからです。  そして「やはり神はいないのだ。 こんな不公平さを放置している。」と嘆くことがあります。 あなたはいかがでしょうか。

 この詩篇にはそのような心の痛みに対して答えがあります。 そしてあなたに語ります。  「悪を行なう者に対して腹を立てるな。不正を行なう者に対してねたみを起こすな。 彼らは草のようにたちまちしおれ、青草のように枯れるのだ。

 神は侮られるような方ではありません(ガラテヤ 6章7参照)。すべてを見ておられます。 人の目に隠せる悪事も神の前にはすべてが明らかです。 そしてそのすべてを見通す神の目はあなたにも注がれています。 この神の目を知るとき私たちは、人が見ていようが見ていまいが、真に誠実さを求め、真実に生きることができます。 そして神は、隠された所にあるあなたの良い行いにも、いつも目をとめていてくださるのです。

 ですからこの詩篇はこう続いています。 「主に信頼して善を行なえ。地に住み、誠実を養え。主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。」 37篇3節、4節

  どんな時にもすべてをご存知の神に信頼して善を行い、どんな困難の中にもそのただ中に住み、誠実な歩みを進めていくことを私たちは選ぶことができるのです。 なぜなら私たちには信頼できるお方が共にいてくださるからです。 神はあなたの人生と人の目に隠れているようなあなたの歩みに目をとめ、本当の喜びへとあなたを導いてくださいます。 あなたにこの神様の豊かな平安がありますように心からお祈りさせていただきます。 

 それではまた聴いてください。

   (PBA制作「世の光」2010.5.14放送でのお話しより)

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■金銭を愛する生活ではなく

2010年05月13日 | Weblog
2010/5/13放送

 世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。 今日のバイブルメッセージは「金銭を愛する生活ではなく」です。 それでは(聖書の中の)ヘブル人への手紙13章5節から読んでみましょう。

 金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」

 ある噺家(はなしか)が教えてくれたことですが、誰もが一発で興味を示すお噺(はなし)はお金の話だそうです。 確かにお金は人を捉えますねえ。 そして人はお金を愛しすぎてしまうことがあります。 夫よりも妻よりも友人よりも愛してしまうことがあります。 なぜでしょうか。 それはお金というのは手にしている限り裏切らないからではないでしょうか。 人は簡単に裏切ることがあります。 本当にこの人とは心底分かり合えていたはずだったのに裏切られた、と思うことはあるものですねえ。 ですから人は人を信用せず、確実な感触を求めて金銭を愛する生活にはまっていくのではないでしょうか。 しかし本当はお金など不確かなものです。 

 イエスはこんな例えをされたことがあります。 あるお金持ちが倉を建ててさんざん財産を蓄えこんで、さあこれで安心。 食べて飲んで楽しもうと考えました。 しかしこれを見た神様は金持ちに言います。 「愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。」(ルカ福音書 12章20節) 

 お金は確かに見えるかもしれません。 しかし私たちの人生を確かに守ってくれるのは神様です。 聖書は「金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。」と言います。 そして何よりも、人生を守られる神がおられることを覚えなさい、と勧めます。 「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」 そのように言ってくださる神様がいるのです。 祈り一つで何千人という孤児を養ったというジョージ・ミュラーはこのことば、「主は決してあなたを離れずあなたを捨てない。」を愛唱していたと言います。 人でもなくお金でもなく
 、本当に私たちの生活を守ってくださる神様に拠り頼んで歩んでまいりましょう。 神様は決して裏切りません。 神様はあなたを愛してくださっています。 

  ( PBA制作「世の光」2010.5.13放送でのお話より )

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■心の貧しい者は幸いだ

2010年05月12日 | Weblog
2010/5/12放送

 世の光の時間です。 いかがお過ごしですか。 板倉邦雄です。 今日からイエス・キリストの語られました八つの幸福を一つずつお話しします。 一般に八福と呼ばれています。 そこで今日は八福の一です。
 
 「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。」 マタイ福音書の5章3節

 ギリシャ語の原語ですと、「幸いである」が最初に来ています。 むしろ「幸せだよ!」「幸せだなあ!」という感動的な言い方です。 ですから「幸せだなあ! 心の貧しい人たちは。」となります。

 加山雄三という俳優で歌手の人がいます。 その人が歌う「君といつまでも」という曲があります。 その中の台詞に「幸せだなあ。 (ぼかあ)君といる時が一番幸せなんだ。」というくだりがありますねえ。 愛する者と共にいる時、愛してくれる人と共にいる時、私たちにとって至福の時です。 しかしながら私たち人間どうしの幸福は私たちの心変わりであるいは環境の変化で変わっていきます。

 しかしイエス・キリストが語られました「幸せな人」とは、神の子であるイエス・キリストが保証をしてくださる幸せなのです。 私の気持ちや感情、まわりの環境によって変化するものではありません。 イエス・キリストが「幸福な人」と断言してくださる人は「心の貧しい人」です。 
 
 心の豊かな人こそ幸せで幸福な人ではないでしょうか。 それとは全く逆の人、「心の貧乏な人」こそがイエス様には「幸いな人」と映ります。 心とは、知性と感性と意志の領域で構成されていると言われています。 「知性と知恵の乏しさ、感性の貧しさ、意志の弱さを自覚する人」、そのような人は幸いです。 豊かな知性と知恵を持ち、豊かな感性に溢れ、意志の自由を持つ、主なる神様やイエス・キリストを求めるからです。 すなわち天国はそのような心の貧しい人たちのものとなります。 主なる神様の世界、主なるイエス・キリストの世界と支配が、そのような心の貧しい人に注がれるようになるからです。 

 聖書のことばです。 
 「愛する兄弟たちよ。よく聞きなさい。神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富ませ、神を愛する者たちに約束された御国の相続者とされたではないか。」ヤコブの手紙 2章 5節

  ( PBA制作「世の光」2010.5.12放送でのお話より )

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■神の子供として歩む

2010年05月11日 | Weblog
2010/5/11放送

 世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日も一日爽やかに過ごしていきたいですね。 

 聖書のことばを最初に紹介しましょう。 ヨハネの福音書1章12節。 
しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
 イエス・キリストを受け入れ信じた人々は神の子どもとされる、と聖書は語っているんですね。

 しばらく前ですけれども、80歳になる御高齢の方で小さな町工場の社長さんをされていた方が教会に来られました。 小柄で柔和な方でした。 この方は小さい時、自分の母親と離ればなれとなり、家庭の温もりを知らずに、おまけに継母にはいじめられながら育ってこられたのだそうです。 社会に出て一所懸命に働いて小さな町工場を建て、生活をしてこられました。 しかしいつまでも思い出されるのは母親のことでした。 仕事が一段落をした60歳を過ぎた頃からその思いは更に強くなっていきました。 母親のことを少しでも知りたい。 休みになると以前住んでいた三重県の方にまで出かけ、その消息を少しずつ、少しずつ調べていったのです。 なかなか情報が集まりませんでした。 母親の墓の場所だけでも知り、お参りしたい、と願いながら年月は過ぎていったんです。
 そしてこの方が80歳になった時でした。 ついに母親の眠っているお墓の場所が分ったんです。 そして調べるうちに、何とこの方のお母さんが洗礼を受けていたということが分ったんですねえ。 お母さんが洗礼を受けていたということは、この方の心に、ああ私も教会に行ってみよう、という思いを起こさせました。 そしてクリスマスの日、初めて教会に来られたんです。
 それから毎週欠かさず日曜日になると礼拝に来られ、一緒に讃美歌を歌い、聖書を読み、しばらく経った時でした。 「関根先生、洗礼を受けたいのです。」と、この方は申し出られました。 私は、イエス様が救い主であり、信じる者には永遠のいのちを与えてくださることをお話ししました。 そして天においてもお母さんと再会できる希望を語ったんです。 そしてイエス様を信じる一人ひとりは神の子どもとなるのです、とお話しました。
 するとこの方は深々と頭を下げ、「ありがたいことです。 天皇陛下の家に生まれれば殿下と呼ばれます。 しかしイエス様を信じただけで天地を造られた神様の子どもと呼んでいただけるなど、もったいないほどありがたいです。」と、涙ぐみながら語り、その後洗礼を受けたんですね。 84歳でこの地上の生涯を閉じて天に帰られました。 

 イエス様を信じる一人ひとりはみんな神様の子どもです。 そしてその一人ひとりを神様は天の御国にまで引き挙げてくださるんです。


 (PBA制作「世の光」2010.5.11放送でのお話しより)

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■たとい母が忘れても

2010年05月10日 | Weblog
2010/5/10放送

 世の光の時間です。 お元気でしょうか? 村上宣道です。 

 昨日の日曜日は母の日でしたね。 お母さんに感謝の気持ちをそれぞれ表わされたり、また亡き母を偲んだり、というふうな時を過ごされたでしょうか。 

 星野富弘さんの詩をちょっと御紹介したいんですけれども、この方はご存知の方も多いと思いますが、口に絵筆をくわえてですね絵を書き、また詩を書かれる。 この方は体育の先生でとっても元気な先生だった訳ですけども、その時の事故で全身が利かなくなって、口に絵筆をくわえて書くということしか(できない)手足が利かないまったくそういう状態の中に今もいらっしゃる訳ですけれどもね。 その方が作った詩にこういうのがあります。 

   神様がたった一度だけ
   この腕を動かして下さるとしたら
   母の肩をたたかせてもらおう

   風に揺れるぺんぺん草の
   実を見ていたら
   そんな日が本当に
   来るような 気がした 

 身体の不自由なその富弘さんをお母さんはどんなにか暖かく労(いた)わりながら助けてくださったかというそのお母さんの肩を、まったく今は手足が動かない訳ですけど、---自分の手足はですね---、でお母さんの肩をたたかせてもらいたい、というその気持ちですねえ、ぺんぺん草を見ながら。 ですからぺんぺん草の絵とともにこの詩が書かれている訳なんですけれども。 

 ま、それぞれお母さんの暖かいそのような愛というものを感じていらっしゃる方が多いかなあと思いますよね。 でも、中には、私は母の愛を、不幸にしてあんまり良く知らずに育ってしまった、っていう方もいらっしゃると思いますよね。

 聖書の中にこんなことばがあります。 
 「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。 見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。」(イザヤ書 49章15、16節)ということばがあるんですね。 

 最近は母親でも子どもを捨てたりというふうなこともニュースになったりします。 「たといどんなことがあったとしても、でもわたしは決してあなたを見捨てない。あなたを忘れることはない。」というふうに書いてある。 

 私たちはお母さんの愛は本当にありがたいのですけれども、それよりもはるかに勝る暖かい愛をもって私たちを愛し続けておってくださるまことの神様を知っていただきたい。 そう思いますね。 

  ( PBA制作「世の光」2010.5.10放送でのお話しより)

※星野富弘さんのプロフィール
 http://www.tomihiro.jp/profile/
 http://www.tomihiro.jp/study/at_rep060604.htm
 「1970年6月、中学校の体育教師になって間もなくのこと。放課後のクラブ活動で空中回転の指導中、誤って頭部から落下。頸髄を損傷し、手足の自由を奪われる。」

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblical.jp 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-
2196 へ