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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■罪がないと言う人に

2010年03月02日 | Weblog
2010/3/2放送

 世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。 

 今日は最初に聖書のことばを紹介しましょう。 新約聖書第一ヨハネの手紙1章8節から。 
 「もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(8-9節)

 まあ聖書は、私たち一人ひとりの心の中に罪があるのだと教えるんですねえ。 ま、でもこの罪というこばほど誤解されることばはないかもしれません。 英語で罪とはスィンと言います。 スペル(つづり)がですねえエス・アイ・エヌ SIN と書くんですね。 ある人がこう言いました。 罪とはいつもその真ん中に アイ I 、 アイ・アムのアイですね、「自分」がいることだ、とこういうふうに言いました。 自分さえ良ければ良い。 自分がいつも中心で悪いのはいつも他人。 自分のことしか考えない。 罪とは自分をいつも中心に持っていくことだ。 これが罪だ、と説明を受けたことがありました。

 ま、誰も自己中心的な人を好きにはなりませんよね。 でも、誰の心にも自己中心的な姿があるのだ、と聖書は教えているんです。

 時々、説教の中で、あなたには罪があります、と言うと反発される方がいます。 「いや自分がこうなったのは環境のせいです、親のせいです、学校のせいです。」と、いつも責任をまあ他に押し付けるんです。 そして「自分は罪がない」と言うんですねえ。 またある人は「罪?、それがどうしたんですか? 自分には何の関係もありません。 罪があろうとなかろうと自分は何の害も受けないですよ。 たとえ私が何か間違いを犯したとしても私が全部責任とればいいんでしょ? 罪なんて関係ありませんよ。」と、いばり散らす人もいます。 でも、こうした言い訳はそれをし続けるほど疲れていくと思いませんか? いつも自己弁護のために力を費やさなければならないんですからね。 

 ヨハネは当時、「自分には罪がない」と言っている人たちに対して、その姿は自分を欺いているだけで決して正直な生き方でもないし、そんな欺きの人生の中には真理などないんですよ、と語るんです。 人生に大切なことは何でしょう。 それは自分の姿を正直に見つめ、確かに自分の心には自己中心がもたらすたくさんの罪がある。 自分ではその罪を取り去ることも消し去ることもできない、と認めることなんです。 そして聖書の約束を信じ生きるんです。 聖書にはこう書いてあるからです。 「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。

 (PBA制作「世の光」2010.3.2放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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