♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■十字架と復活をめぐる人々 <二人の強盗>

2010年03月30日 | Weblog
2010/3/30放送

 世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 イエス・キリストが十字架につけられた時、そこには三本の十字架が立てられていました。 真ん中にイエス・キリストがつけられ、その両脇には犯罪を犯し処刑された者たちがいたんです。

 その犯罪人の一人は苦しみの中でイエス様にこう叫びました。 「イエスよ、お前はキリストではないか。 救い主ではないか。 自分と俺たちを救え。」(ルカの福音書 23章39節参照) こうわめき散らしたんです。

 しかし、もう一人の犯罪人は(その)一人をたしなめてこう言いました。 「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」(ルカの福音書 23章40-41節)「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」(42節)こう言ったのです。

 この犯罪人は今まで神様を恐れることなどなかったでしょう。 犯罪に手を染め、結果、今十字架につけられ、絶望の淵に立たされているのです。 しかしその時、自分の隣で十字架につけられていたイエス様の姿を見たのです。

 イエス様はローマ兵から罵声を浴びせかけられていました。 罵(ののし)られていました。 しかしイエス様は彼らに対して呪いのことばを語る訳でもなく、社会が悪いローマが悪い、と言って責任転嫁する訳でもありませんでした。 それどころか、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカの福音書 23章34節)と、赦しを祈っているのです。

 イエス様の隣にいた犯罪人は、そのイエス様の姿をじいっと見つめていたのでしょう。 ああ自分は何と罪深い者か、でもこの方は罪のない方だ、この方は御国の(王の)位につくお方だ、まことの救い主だ、ということが分ったのです。

 彼の人生に残されているのは死ぬことだけです。 何の良い行いも人々のために奉仕することもできません。 しかしこの犯罪人はイエス様の約束を聞いたんです。 「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」(43節) このような約束を聞いたんですねえ。

 絶望の淵に立たされたこの犯罪人にとってこの約束はどれほど大きな励ましとなり、喜びとなったでしょう。 自分の犯した罪のゆえに死刑に処せられ、もはや何の希望も彼には残されていませんでした。 しかしイエス様は「ともにパラダイスにいるのだ」と、天国の約束を与えられたのです。

 私たちは何も立派なことはできないかもしれません。 時には絶望の淵に立たされることもあるでしょう。 しかしイエス様が求めているのは、あなたの立派な行いではなく、あなたが自分の罪を認め、イエス様を救い主として告白し、生きることなんです。 その人生にイエス様は天国の約束を与え、永遠のいのちを与えてくださるんです。 

 (PBA制作「世の光」2010.3.30放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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