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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■良き羊飼い

2009年05月19日 | Weblog


世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日も一日、さわやかに過ごしていきたいですね。 

 イエス・キリストは、まあある時、御自分を羊飼いに例えてお語りになったことがありました。ま、羊飼いというと何だかのんびりしたイメージがありますよね。 でもこれはなかなか大変な仕事だそうです。 

 パレスチナ地方においては岩のごつごつした荒れ地が続いています。 羊がそこに迷い込んで行方不明になったら大変危険です。 また野生の動物や羊泥棒が羊を狙っていましたから、ま、常に敵に備えて見張りをし、襲われた時には羊を守って闘わなければなりませんでした。 また緑の牧草地がいつもいつも広がっている訳ではありませんから、牧草地を見つけるのも一苦労だそうです。 羊というものは、もし羊飼いがいなければ歴史上はるか昔に絶滅していただろうと言われています。 

 イエス・キリストは御自分を羊飼いに例え、そしてその羊というのは私たち人間そのものなのですよ、とイエス・キリストは教えられました。 そしてイエス様はこう語ったんですねえ。 
 「わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」(ヨハネの福音書 10章11節)
 イエス・キリストという羊飼いはあなたのために命を捨ててまであなたを愛し、あなたを導いてくださるお方だ、と語っているんです。 

 しかしこれはちょっと不思議なことばですよね。 もし私たちが命を捨てたらもうそれでおしまいです。 でもイエス・キリストはこうも語りました。
 「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」(ヨハネの福音書 10章10節)
 イエス・キリストという羊飼いは私たち一人ひとりのために命を捨ててくださる方だ。 しかし、そのことによって私たちが命を得、豊かに持つことができる、と約束されたんです。 いったいどういうことでしょう。

 イエス・キリストが命を捨てるとは具体的に何を指すのでしょう。 新約聖書を読むとそれは、あの惨(むご)たらしい十字架を表していることが分かります。 良き羊飼いは、私たち弱い罪だらけの羊のために身代わりとなって、私たちの罪を背負って十字架で命を捨ててくださり、しかしそれだけではなくて三日目によみがえってくださったお方として聖書はこの羊飼いを紹介しているんです。 

 死は決して終わりではない、豊かな命がある、ということを教えているだけではなく、イエス・キリストを信じる一人ひとりにはこの豊かな命が与えられるのだ、ということを教えているのです。 

 この羊飼いは羊のために命を捨ててくださる程あなたを愛している羊飼いなんですね。 この羊飼いに導かれながら人生を歩んでいきませんか?

 (PBA制作「世の光」2009.5.19放送でのお話しより)

******

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

***

このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblical.jp 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。



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■言葉と心のキャッチボール

2009年05月18日 | Weblog

世の光の時間です。 お元気でしょうか? 村上宣道です。 

 えー、PBAの番組でアナウンサーをしております四本さんという方はあるボランティア活動をしていらっしゃるんですねえ。 で、それはどういうのかというと、その町で図書館とが提携してNPOのブックスタート(※0歳児に絵本を手渡すブックスタート運動)というのをやっているんだそうですが、そこで保健所で行われる赤ちゃんの10ケ月検診の中でこのボランティアをするんだそうですけれども、具体的には保護者の方に赤ちゃんへのやさしい語りかけの大切さをお話しするんだそうですねえ。 これはあの方にほんとに相応しい仕事だなあというふうに思うんですけれども。

 えー、10ケ月くらいの頃、まだことばはしゃべれない訳ですけれども、でもお母さんや保護者の方が語りかけることばを溜めてですね、突然のように話し出すということがあったりする訳ですよね。 

 で、ある本で読んだんですけれども、一人の昔ねえ王様が、人間というのはある程度年月が来ると自然にことばをしゃべるようになるというふうに思い込んでいて、それを実験したらしいんですね。 で、赤ちゃんたちを何人か養育する、その時にもう食べ物やなんかを十分に与えて環境はもちろんよくして、だけど一切ことばをかけてはいけない、というそういうことで育てたそうなんですよ。

 ところがその赤ちゃんのうちですね、それこそ九割の赤ちゃんは生きることができなくなってしまった、というようなこと。 ですから、どんなに食べ物をあげても、そして環境を良くしてやってもことばがかけられないということは、そこには愛情が伝わらない、コミュニケーションができない、そういう中では生きられないのだというのですねえ。 

 で聖書の中に、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。」(マタイの福音書 4章4節)というふうにありますけれども、パンだけで人間は生きられるものてはない。 やっぱりことばが必要なんだということですね。 その愛情に満ちたことばの語りかけ、それを受けとめながら愛を感じ、そしてその人の内側の人格が形造られていくということですね。 

 考えますならば、私たちはこの地上でその肉体的な欲求を満たすだけで生きられるものではない。 神様からの語りかけのこのことばを受けとめることによって初めて人間は人間らしく生きることができる。 その神のことばは聖書を通して神様は私たちにも語ってくださっている。 ぜひあなたもこの声を聞いていただきたいと思うんですね。

 ( PBA制作「世の光」2009.5.18放送でのお話しより)

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 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-
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■神様の悲しみ 神様の喜び

2009年05月16日 | Weblog

世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。山中直義(なおよし)です。

 今日は聖書に登場する一人の母親に目を留めながら、神様の喜び・神様の悲しみということについて共に考えたいと思います。

 新約聖書のルカの福音書7章には一人息子を失ったあるやもめが登場します。 死んでしまった最愛の息子の棺を前にした彼女は、まさに絶望の闇の中、ただただ嘆き悲しんでいました。

 そんな時、イエス様がそこにおいでになり、彼女に目を留め、彼女をかわいそうに思われた、と聖書は言います(7章13節参照)。 そしてイエス様はこの母親に「泣かなくてもよい。」と言われると、棺に近寄って手をかけ、「青年よ。あなたに言う、起きなさい。」(14節)と言われました。

 すると大勢の人が見守るその中でこの息子は生き返り、母親は再びこの息子と共に生きることができるようになった、交わりを取り戻した、というのです。

 愛する者を失った悲しみがイエス様の哀れみと力によって大いなる喜びに変えられた。聖書はそう伝えています。愛する者との交わりを失うことは悲しみであり、愛する者との交わりを取り戻すことは喜びである、ということを思わされます。 

 さて、実は神様についても同じことが言えます。 神様に深く愛されている私たちが神様との交わりを失うとき、神様は心を痛め深く悲しまれる、と聖書は教えています。 そして実は私たちはあの死んでしまった青年のように神様との交わりを失っている、と聖書は言うのです。

 しかしもし私たちがそんな神様との交わりを取り戻し神様と共に生きるようになるなら、神様の喜びは満ち溢れ、その喜びはことばに尽しがたいほどだ、と聖書は教えています。

 あの青年に再びいのちを与えたものは何だったでしょうか。 それはイエス様のおことば、イエス様からの語りかけでした。 神様はあなたを深く愛しておられ、あなたとの交わりを待ち望んでおられます。 そしてあなたが神様と共に生きることができるようにとイエス様は今もあなたに語りかけておられます。どうぞ聖書のことばをお読みください。

  ( PBA制作「世の光」2009.5.16放送でのお話しより )

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■傷つくまで愛する愛

2009年05月15日 | Weblog

世の光の時間です。 お元気ですか? 岩井基雄です。 

 インドのカルカッタで死を待つ人の家を創設し、人々から見放され見捨てられた人々に心からの愛をもって仕えられたマザー・テレサさんを御存知の方も多いでしょう。 彼女は生前、こういうことばを遺しています。 

 「苦しんでいる孤独な人すべてに、いつでも喜びに溢れた笑顔を向けなさい。 世話をするだけでなく、あなたの心を与えなさい。 肝心なのは愛すること、傷つくまで与え尽くすこと。 どれだけのことをしたかではなく、あなたの行いにどれだけ愛を込めたか、なのです。」

 誰かを愛することは私たちが傷つくことも意味します。 しかし私たちにはそのような愛はありません。 本来私たちは自分が傷つかない範囲や自分が守られている範囲でしか他の人に愛を表せないのです。 しかし私たちも誰かに愛されて育ってきました。 家族や周りの人の愛に守られてきたのです。 もちろん親の愛には限界があります。 しかし私たちの親もまたその親も、すべての人が神様の愛に守られて成長してきたのです。 それは私たちが神様を知らなかったとしてもです。

 神様は私たちを愛するゆえに、独り子なるイエス・キリストを与え尽くされました。 イエス・キリストは人々に見捨てられ裏切られる中で私たちを愛し、十字架の上で私たちの罪の身代わりとなってくださり、あなたへの愛を表してくださったのです。 ぜひあなたにもこの傷つくまであなたを愛されたイエス・キリストを知っていただきたいのです。

 聖書はこう語っています。 
 「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。」 ヨハネ第一の手紙 4章10節、11節

 神様は限界のある私たちを豊かな愛で生かし、そして他の人のために喜んで傷つくことのできる者、愛に生きる者としてくださいます。 あなたもこの神様の愛を豊かに受け取るために教会にいらっしゃいませんか? 教会では、この本当の神様の愛を知ることができるのです。 どうぞあなたもこの神様の愛を知ってください。

   (PBA制作「世の光」2009.5.15放送でのお話しより)

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■永遠のいのちを得る

2009年05月14日 | Weblog

世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 福井 誠です。 今日のバイブル・メッセージは「永遠のいのちを得る」です。 

 それでは聖書の中のヨハネの福音書17章3節から読んでみましょう。 
 「その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。
 
 「永遠のいのち」ということばに皆さんはどんなことを考えるでしょうか。 永遠のいのちとは何でしょう。 それは長い命ではないか、と考える人もいるでしょう。 この世だけではない、あの世でも生きられる命だ、という訳ですねえ。 皆さんはそんな命が欲しいと思いますか、どうでしょう? 欲しいと思う人がいる一方で、いや、ただ長く生きられるだけの命なんて欲しくないと思う人もいるのではないでしょうか。 確かに自分の弱さや欠点を引きずったまま長く生きるというのは大変なことですねえ。 
 ところで聖書は「永遠のいのち」ということばを使いますが、それはただ長い命について言っている訳ではありません。「永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。」とあります。
 神様を知ることそしてイエス・キリストを知ることが永遠のいのちだ、というのです。 

 実際にイエス・キリストに出会うことがなければ、私は自分の人生の中で神様という存在について深く突っ込んで考えることはなかったと思います。 しかし聖書を読んでイエス・キリストに出会って、この世には唯一のまことの神がおられるということを知るようになりました。 そしてその神はこの宇宙をお造りになり、人や地上のすべてを造られた力あるお方、天地万物のすべてを支配しておられるお方なのだ、と分かるようになりました。 しかもその神は天の高い所から人間の営みをただ眺めておられるお方ではありません。 この私を愛し、私の生活に深く関わり、私のために最善を為してくださるお方であることを味わ知るようになりました。 生ける神の力がそして支配が、私の生活に現わされているのです。

 神を知ることは私たちの人生を大きく変え、私たちの人生を想像以上に豊かにします。 この世のいのちが力を失う時、永遠のいのちは私たちに希望を与え、力を与えてくれます。 

 ぜひ聖書を読み、お近くの教会へ行って、この人生を豊かにするいのちを見い出していただきたいと思います。

   (PBA制作「世の光」2009.5.14放送でのお話しより)

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■能力を用いる(1)

2009年05月13日 | Weblog
 
世の光の時間です。 いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。 今日は「能力を用いる」という題でお話ししましょう。

 「宝の持ち腐れ」ということわざがあります。 宝を持っているだけでは何の用もなさない。 自分の能力や技能などもそれを活かそうとしなければ何もならない、という意味ですね。 ダニエルは神様から夢や幻の意味を知る特別な能力が与えられていました。 旧約聖書のダニエル書の続きです。 

 さて、大変な事件が起こっていましたね。 突然ダニエルと三人の仲間に死刑執行人がやってきたからです。 死刑執行の責任者アリヨクが姿を現わした時、ダニエルは知恵の限りを尽して話し合いました。 「なぜ陛下はそんな御立腹なのですか? 一体、何があったのですか?」 そこでアリヨクは、王様は恐ろしい悪夢を見てうなされ震えおののいていること、有識者や占星学者を呼んで夢と夢の解き明かしを求めたが誰一人解き明かせる人はいないので王様はかんかんに腹を立ててバビロンの知者すべてに死刑を命じたことを話しました。

 するとダニエルは王様にお目通りを願い出て申しました。 「陛下、しばらくの御猶予をください。 陛下が御覧になった夢とその意味をお教え致しましょう。」

 ダニエルは家に帰り、早速仲間のシャデラク、メシャク、アベデ・ネゴに事の成りゆきを話しました。 彼ら四人はバビロンの知者たちと一緒に殺されなくて済むように、この夢の秘密を明らかにしてくださり哀れみを示してくださるよう、ひたすら天の神様に祈りました。 

 するとその晩、幻の中で神様はダニエルに王様が見た夢を示してくださったのです。 ダニエルは天の神様に感謝し、神様を誉め称えました。

 さて、能力を用いる、と言いましても能力が自動販売機のようにポンと出てくるものではありませんね。 ダニエル青年はどうしましたか? まず問題の中で知恵の限りを尽して話し合いました。 仲間の友人たちと問題を分かち合いましたね。 そして何よりもこの問題を神様にゆだねました。 王様もバビロンの知者たちもそして私たち四人も神様が哀れんでくださるように、と祈りましたね。 

 聖書のことばです。 
 「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」 ローマ人への手紙8章28節 (口語訳聖書)

 ( PBA制作「世の光」2009.5.13放送でのお話しより )

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■神のわざが現れるために

2009年05月12日 | Weblog

世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日も一日、さわやかに過ごしていきたいですね。 

 ヨハネの福音書の9章に、生まれつきの目の不自由な人のことが出てきます。 彼は物乞いをしながら生活していました。 家族から突き放され、何でこんな苦しみに遭わければいけないのか、そんな思いを持っていました。 そんな男にイエス・キリストは、「この人が盲目に生まれついたのは過去の罪のせいではなく、神のわざがこの人に現れるためです」とお答えになったんですねえ。 人間にとって不幸と見えるそのことすらもイエス・キリストは神の栄光を現わすものとされるのだと語られたんです。

 私のおじは、ちょうど十年ほど前に亡くなりました。 おじは幼少の頃、水頭症という、まあ頭に水が溜まって頭が大きくなってしまう、そんな病気を患いました。 十分な治療を受けることができませんでした。 知能的にはやや劣っているおじであり、また医者からは、長く生きられないだろう、と言われたおじでした。 でも六十三歳の生涯を閉じたんですね。 

 二十歳の頃、私の父の影響で教会に行くようになりました。 そしてイエス・キリストを信じ、クリスチャンになりました。 その後、教会に行くことそして大きな声で讃美歌を歌うことが人生の大きな楽しみとなりました。 おぼつかない足で毎週、そうですねえ一時間ぐらいかけて教会にまで通っていました。 恐らく幼少の時は、いじめられ、無視され、馬鹿にされたこともあったでしょう。 しかしおじはイエス様との出会いによって大きな慰めと安心を得ていました。 おじには能力的には優れた所はこれといってありませんでした。 でも笑顔がありました。 金銭的にも決して恵まれていませんでした。 でも笑顔がありました。 話すことも歌うことも得意ではありませんでした。 でも素敵な笑顔がありました。 教会に行っても、そこにいるということ以外はあまり役に立たなかったかもしれません。 でもそこに笑顔がありました。 人を騙すことや嘘をつくことはしませんでした。 人を恨むこともしませんでした。 恥ずかしがり屋で照れ屋でもありました。 いつもいつもそこに笑顔があったんです。 

 神のわざが現わされるために、とイエス・キリストは言われましたが、おじの生涯を振り返る時、まさにイエス・キリストの約束は、あの目の不自由な人の生涯だけでなく、おじの生涯においても神のわざを現わしてださったと確信するんです。 不幸と思われる現実の中にも神のみわざが現われる。 今この瞬間も起こることなんですねえ。 あなたの生涯に神のみわざは現わされていくのです。 勇気を持ってください。

 (PBA制作「世の光」2009.5.12放送でのお話しより)

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■母がその子を慰めるように

2009年05月11日 | Weblog

世の光の時間です。 お元気でしょうか? 村上宣道です。 

 えー、昨日は母の日でしたねえ。お母さんありがとう、の気持ちを表すことができたでしょうか。もちろんお母さんがもう既にね、この地上にいらっしゃらないという方々もたくさんいらっしゃると思うんですけど、私の母ももう8年前に天に召されていきましたけれども。

 私は母の思い出はたくさんあるんですが、やっぱり母は本当に私に神様の愛っていうのは素晴らしいということを示してくれたっていう意味でですねえ、ありがたかったなあと思うんですねえ。 

 私は牧師の子どもで育って、母の祈り、父の祈りの中で育ってきたはずなのに、ある時期反抗しましてねえ、神様からも離れてそして親にも反抗してですねえ、ある時期に家に帰らないというふうなことがあったんです。 

 で、夜中の12時過ぎても1時過ぎても帰らないでいたんですが、母がずうっと玄関の前に立ってですねえ私の帰りを待ってる訳なんですよ。

 で、だんだん夜2時3時になっていくと、こう冷えてくるんですけれども、ねんねこ、ってあの綿入れのを着てですね、足を踏み鳴らしながら私の帰りをこう待っていて、はあーっ、このままでいったら風邪をひくからもう入ればいいのに、とか言ってですね、自分が帰れば一番いいんですけれども強情を張っていた訳ですが、とうとう朝の4時5時、母はそれまで立っていました。 そして5時半になった時に食事の支度をするためにでしょうか、家の中に入っていきました。

 おー、入ってった入ってった、っていうんで私も裏から行ってですね、そおっと戸を開けたら何とそこに母が立ってました。 こりゃあ、「どこへ行ったの!」って言われるかなあと思って下をうつむいておりましたら、私は母のそのねんねこにこうくるまっていたんですねえ。そして「寒かったろう、お前。こんなに冷たくなってえ」って言ったんです。ええっ!、って思った。そして「お前、ほんとは寂しかったんだねえ。お母さんの愛が足りなかったばっかりにごめんね宣道」って言って私をぐうーっと抱きしめたんですねえ。

 私はびっくりして「違うよお母さん! 違うよお母さん!」って言いながら、そして母はイエス様が十字架の上で父よ彼らを赦してやってください、彼らはそのなす所がわからないでいるのです、っておっしゃったその祈りは宣道のためでもあることを感謝します。そして愛のなかったこの私をも赦してください」 その時から本当に神様ってお方はどんなだめな者でもそのまま受け入れて赦して愛してくださる方なんだなあということを知ったんですねえ。

 聖書の中に「母がその子を慰めるように わたしはあなたたちを慰める。」(イザヤ書 66章13節 新共同訳)ってあることは本当だな、ということを経験したんですが、あなたはいかがでしょうか。

 ( PBA制作「世の光」2009.5.11放送でのお話しより)

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■あわれみはさばきに向かって勝ち誇る

2009年05月09日 | Weblog

世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか? 山中直義です。

 新約聖書のヤコブの手紙2章1節には「人をえこひいきしてはいけません。」という教えがあります。 ここでの「えこひいき」ということばは、うわべによって人を判断することを意味しています。 地位や名誉や財産、そんなうわべのことがらではなく内側にあるものによって人を判断することが大切だ、と言えます。

 しかし人の内側に一体どれほど良いものがあると言えるでしょうか。 人からの評価はともかく、神様が私たちの内側を御覧になる時、そこに何か良いものがあると言えるでしょうか。 少なくとも私について言えば、神様から良い評価を引き出せるようなものが何もないことを思わされます。

 それにもかかわらず私は神様に愛され、本当に良くしていただいています。 なぜでしょうか。 なぜ神様の前に良い所を持たない私がこれほどまでに愛され、良くしていただいているのでしょうか。 

 それは神様の一方的なあわれみなのです。 怒りをもって裁くよりも愛をもって赦そうとしてくださる深いあわれみ、赦されないはずの罪を赦すため神のひとり子イエス様を十字架にまで差し出してくださった限りないあわれみ。 そんなあわれみのゆえに私は神様に愛されているのです。

 そしてあなたもまた同じ神様のあわれみを受け、神様に愛されているのです。 神様のあわれみを受け神様に愛されている。 だからこそ私たちも人にあわれみを示し、人を愛する必要があります。 

 聖書は言います。 「あわれみは、さばきに向かって勝ち誇るのです。」 (ヤコブ 2章13節)
 
 人を裁くことは簡単です。 ですが、それは何も生み出しません。 そればかりか、やがて自らの身にさばきを招くことになります。 しかし、あわれみは、さばきに向かって勝ち誇り、真に良いものを造り出します。 

 どうぞ神様の深いあわれみに目を留め、御自分が神様に愛されていることを知ってください。 その時、あなたも人にあわれみを示し、人を愛することができるようになります。 

  ( PBA制作「世の光」2009.5.9放送でのお話しより )

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■愛を届けることの幸い

2009年05月08日 | Weblog

世の光の時間です。お変わりありませんか?  岩井基雄です。 

 先日私は神奈川県の大磯駅前にある聖ステパノ学園に行ってきました。 そこは既に天に帰った沢田美喜さんが開いた孤児院と共にある小さな学校で、様々な背景を持つ子どもたちが生き生きと学んでいました。 その孤児院はエリザベス・サンダース・ホームと言います。 そのホームが誕生する背景はこうだったのです。

 第二次世界大戦が終わって間もない時、46歳の沢田美喜さんが汽車に乗っていると、突然網棚から風呂敷包みが落ちてきました。 何だろうと中を開けてみると、それは肌の黒い赤ちゃんの死体だったのです。 明らかにアメリカ人と日本人の間に生まれたそんな子どもの死体でした。 そして美喜さんはその母親に間違われてしまいました。

 誤解は晴れましたが美喜さんの心には次のような神様の声が響いてきたのです。 「もしお前がひと時でもその子どもの母とされたのなら、なぜ日本中のこういう子どもたちのために母になってやれないのか。」 当時、外国人と日本人の間に生まれた子どもたちは社会に受け入れられず、捨てられたり殺されたりしていたからです。

 そして彼女はエリザベス・サンダース・ホームという孤児院を開きました。 そして1400人以上の子どもたちを育てあげたのです。 それは想像を絶するような苦難の連続でした。 しかし彼女をママちゃまと呼んで慕う子どもたちの笑顔と神様への祈りが彼女を支え続けたのです。

 そして神様は彼女を用いて悲しみを背負う子どもたちに豊かなう愛を注ぎ続けてくださいました。

 イエス様はあなたにも語ります。 「世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょう。子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行ないと真実をもって愛そうではありませんか。」  ヨハネ 第一の手紙 3章17節、18節

 あなたも、あなたの近くにいて悲しみを背負っていらっしゃる方を具体的に助けてみませんか。 誰かに愛を届けようとするとき、私たちの方が神の愛を知り、その愛に生かされる者とされるのです。 愛なる神様はあなたを愛し、あなたを愛で生かし、あなたを通して愛を届けたいと願っていらっしゃるからです。

 それではままた聴いてください。 

(PBA制作「世の光」2009.5.8放送でのお話しより)

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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