世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日も一日、さわやかに過ごしていきたいですね。
イエス・キリストは、まあある時、御自分を羊飼いに例えてお語りになったことがありました。ま、羊飼いというと何だかのんびりしたイメージがありますよね。 でもこれはなかなか大変な仕事だそうです。
パレスチナ地方においては岩のごつごつした荒れ地が続いています。 羊がそこに迷い込んで行方不明になったら大変危険です。 また野生の動物や羊泥棒が羊を狙っていましたから、ま、常に敵に備えて見張りをし、襲われた時には羊を守って闘わなければなりませんでした。 また緑の牧草地がいつもいつも広がっている訳ではありませんから、牧草地を見つけるのも一苦労だそうです。 羊というものは、もし羊飼いがいなければ歴史上はるか昔に絶滅していただろうと言われています。
イエス・キリストは御自分を羊飼いに例え、そしてその羊というのは私たち人間そのものなのですよ、とイエス・キリストは教えられました。 そしてイエス様はこう語ったんですねえ。
「わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」(ヨハネの福音書 10章11節)
イエス・キリストという羊飼いはあなたのために命を捨ててまであなたを愛し、あなたを導いてくださるお方だ、と語っているんです。
しかしこれはちょっと不思議なことばですよね。 もし私たちが命を捨てたらもうそれでおしまいです。 でもイエス・キリストはこうも語りました。
「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」(ヨハネの福音書 10章10節)
イエス・キリストという羊飼いは私たち一人ひとりのために命を捨ててくださる方だ。 しかし、そのことによって私たちが命を得、豊かに持つことができる、と約束されたんです。 いったいどういうことでしょう。
イエス・キリストが命を捨てるとは具体的に何を指すのでしょう。 新約聖書を読むとそれは、あの惨(むご)たらしい十字架を表していることが分かります。 良き羊飼いは、私たち弱い罪だらけの羊のために身代わりとなって、私たちの罪を背負って十字架で命を捨ててくださり、しかしそれだけではなくて三日目によみがえってくださったお方として聖書はこの羊飼いを紹介しているんです。
死は決して終わりではない、豊かな命がある、ということを教えているだけではなく、イエス・キリストを信じる一人ひとりにはこの豊かな命が与えられるのだ、ということを教えているのです。
この羊飼いは羊のために命を捨ててくださる程あなたを愛している羊飼いなんですね。 この羊飼いに導かれながら人生を歩んでいきませんか?
(PBA制作「世の光」2009.5.19放送でのお話しより)
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