世の光の時間です。 お元気でしょうか? 村上宣道です。
今日5月4日は「緑の日」になっているんですねえ。 どうしてこの日が緑の日なのか良く分かりませんけれども、でもいいなあと思いますねえ。 緑というのは何か私たちに和(なご)みを与えてくれる色ですよねえ。 そして活き活きとした生命力って言いましょうか、そんなものを感じますねえ。
紅葉はとっても綺麗なんですけれども、それが緑が紅い色に変わっていくから綺麗なので、あれがずうっとその葉っぱが赤いままだったらどうなんだろうかなあと思ったりすることがありますけれども、本当に緑というのは私たちの心を和ませてくれる、そのようなフレッシュな思いを与えてくれる。 まさに森林浴なんかをしますとね、ほんとにフレッシュな活き活きとしたいのちを貰うようなそんな感じがしますですねえ。
あのう、クリスマスの色っていうのは赤と緑というふうにまあ決まってますねえ。 ま、それはその赤は言うまでもなくイエス・キリストがおいでくださったのは私たちの罪のために十字架にかかって血を流して罪の救いをしてくださるためだ、というので、あの赤はキリストの十字架の血の色を意味している訳ですね。 それは救いを意味し、そして神様の愛を意味している。
と同時に緑がそこで配されているということは、緑っていうのは、私たちにただ罪の赦しを与えてくださっただけでなくってイエス・キリストは私たちに永遠のいのちを与えてくださるためにおいでになったのだ、ということを表すのですね。 キリストの永遠性をそれは表しているというふうにも言うことができる訳なんですね。
で、緑の日にあたってですね、私たちは美しい緑をこう見ながら、で緑に囲まれてフレッシュな活き活きとしたいのち・生命力を感じながら、同時に聖書の中に、(神は)「私たちの心に永遠への思いを与えてくださった」(伝道者の書 3章11節参照)ということがあるんですね。 永遠に想いを向けるということが大切ではないかなあというふうに思うんですねえ。 この地上だけで終わるのではない。 私たちは永遠に対する思いが与えられている。
そしてその永遠の思いだけでなくって、永遠に生きることができることのためにイエス・キリストの十字架があり、イエス・キリストの復活があるということ。 イエス・キリストは「わたしは、よみがえりであり、いのちである。」(ヨハネの福音書11章25節参照)とおっしゃった。 そして「わたしを信じる者は、死んでも生きる」(ヨハネの福音書11章25節)と。 これは、永遠に生きるという意味なんですね。
そういう意味でどうでしょうねえ、私たちはこの緑の日にちなんでですねえ、そうだ永遠という世界があるのだ、そしてキリストによって永遠のいのちが与えられるのだ、ということを知っていただけたらなと思うんです。
( PBA制作「世の光」2009.5.4放送でのお話しより)
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