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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■神の子どもとして愛される

2009年05月07日 | Weblog

世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 福井 誠です。 今日のバイブル・メッセージは「神の子どもとして愛される」です。 

 それではヨハネの福音書16章32節から読んでみましょう。 
 「わたしはひとりではありません。父がわたしといっしょにおられるからです。

 イエス・キリストは自分を神の子とし、神を父と呼んでいました。 このイエス・キリストと父なる神との関係は、私たちと神との関係そのものです。

 イエスの弟子ヨハネは、その福音書の最初で次のように語りました。 
 「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」(ヨハネの福音書1章12節)

 つまり、イエスを信じる者は神の子どもとされる。 イエス・キリストと同じように神の子であり、神を「父」と呼ぶことが許されるのです。 実に神を信じるというのは、キリスト教会のメンバーになる以上の意味があります。 神は私たちをご自分の子どもとしてくださるからです。 

 子どもの日、鯉のぼりの飾っている家をよく見かけます。 鯉のぼりは男児の出世を願って飾られるものだそうですが、確かにどの親も子どもの成長と祝福をいつも願っているものでしょう。 子どもの幸せのためにはどんなことでもしよう。 できる限りの愛情を注ごうと思い関わっているものではないでしょうか。 

 神も私たちをそのように見ていてくださっていますし、私たちの人生に関わってくださっている、という訳です。 これは実に驚くべきことですねえ。 私たちは信仰によってもう一つの目に見えない家族愛の中に生かされているのです。 

 イエスは言いました。「わたしはひとりではありません。父がわたしといっしょにおられるからです。

 イエスが言ったように私たちも言うことができます。 「私はひとりではない。 父なる神が私と一緒におられる。」と。 

 実に私たちの心に平安を与える大きな励ましです。

 今この番組を聞いてくださっている皆さんの中に、自分はひとりだ、孤独だ、と感じておられる方はいませんか。 聖書はあなたのそばに父なる神がいてくださると言ってくださっています。 

 あなたもイエスを信じ、神の子どもとされ、希望を持って人生を歩んでみませんか?

   (PBA制作「世の光」2009.5.7放送でのお話しより)

******
 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblical.jp 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。



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■悪夢にうなされる

2009年05月06日 | Weblog
 
世の光の時間です。 いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。 今日は「悪夢にうなされる」という題でお話ししましょう。

 人は誰でも夢を見るでしょう。 楽しい夢ばかりでなく、悪い夢を見てうなされる時ってありますよねえ。 実は聖書のダニエル書には悪夢にうなされてかんかんに怒った王様の話があるのです。 旧約聖書のダニエル書の続きです。

 さてバビロンのネブカデネザル王様の治世第二年のある夜、王様は恐ろしい悪夢にうなされ、震え慄(おのの)きながら目を覚ましました。 王様は直ちに呪法師や占星学者を呼び寄せてその夢を解き明かせと要求したのです。

 一同が召し出されますと、王様はこう言いました。 「余は恐ろしい悪夢にうなされたのだが、何か不吉な予感がしてならんのだ。 余の見た夢を説明してくれんか。」

 そこで星で占う占星学者たちが王様に言いました。 「陛下、まずどんな夢かを教えてください。」

 「どんな夢か思い出せんのだよ。どんな夢で、それがどんな意味か説明することができないならお前たちの手足をバラバラにし、お前たちの家をゴミの山にしてくれよう。」

 「しかしおことばですが陛下、まずその夢を教えてくださらないことには意味を解き明かせないのです。」 

 「お前たちの魂胆はわかったぞ。 悪夢の示す災いが余にふりかかるまで時間を稼ごうというのだろ。」 

 「王様、人の見た夢を当てる者など地上にはおりません。そんな無茶なことを尋ねる王様もおりません。」 

 これを聞いた王様はかんかんに怒ってバビロンの知者を一人残らず死刑にせよ」と命じたのです。 ダニエルと三人の仲間もこのままでは他の知者たちと一緒の運命になるのでした。

 さて、二つのことが教えられますよねえ。 一つは権力と財力を持ち、地位と名誉の中にいる人でも、悪夢にうなされ、震いあがり、思い煩うということです。

 もう一つは、どんな知者、どんな霊能力者、有識者であろうとも、人の将来を解き明かすことはできないということです。 主なる神様だけが真実をもって私たちの道を示してくれるのではないでしょうか。

 聖書のことばです。 「主は言われる。 わたしがあなたがたに対して抱いている計画はわたしが知っている。 それはわざわいを与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。」 エレミヤ書29章11節

 ( PBA制作「世の光」2009.5.6放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会に行ってみるというのもいいんじゃないかなあ。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■新しい人生の始まり

2009年05月05日 | Weblog

世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。 今日も一日、さわやかに過ごしていきたいですね。

 私たちは今迄いろいろなものを選び取って生活してきました。 何を食べ何を着るか、どの学校に行くか、どんな職業に就くか。
 ま、たくさんのことを毎日選択しながら、今というこの時を生きています。 しかし私たちがどうしても選ぶことができないことがたった一つだけあります。 それは自分の「生まれ」なんですね。

 この自分の生まれはどうしても自分では変えることができません。 多くの人は「ああもし私がアメリカで生まれていれば英語で苦労しなくて済むのに。」とか、「もしあの映画スターのように生まれていれば人生は変わったものになる」とか、まあどうにもならないことで悩んだりする訳です。 

 考えてみると「生まれ」ということほど不公平に見えることはありません。 ある人は裕福な家に生まれ、ある人は貧しい家に、ある人は健康に、またある人は病弱で、本当に人の生まれということだけを見ると何だか不公平な感じがします。 

 ヨハネの福音書の9章に、生まれつきの目の不自由な人が登場します。 「生まれつき」ということですから、決して自分で盲目になった訳ではありません。 なぜ私がこんな苦しい目に遭わなければいけないのか、という思いを彼はいつも持っていたに違いありません。 座って物乞いをするしか生きる術(すべ)を見い出すことができずにいたのです。 

 ま、当時の多くの人は、この人が背負っている不幸の原因は罪の結果だと考えていました。 実はイエス・キリストの弟子ですら「この人がこうなったのは誰のせいでしょうねえ、両親ですか? それとも先祖のせいですか?」という心無いことを平気で語っていました(ヨハネの福音書の9章2節参照)。 こうしたことばは、この目の不自由な人の心を傷つけはしますが、決して彼の心を励ますことはありませんでした。 

 しかしイエス・キリストは驚くべきことを語られたんです。 「この人が盲目に生まれついたのは、過去の罪のせいではなく、神のわざがこの人に現れるためです。」と語ったんです(ヨハネの福音書の9章3節参照)。 不幸は決して不幸に終わるのではなく神の栄光がそこから現わされるのだ、とイエス・キリストは大胆に語ったんですねえ。 

 そしてイエス・キリストはこの男の目に泥を塗り、「シロアムの池で洗え」と言われました(ヨハネの福音書の9章7節参照)。 するとこの男は立ち上がり、その池で目を洗うと、目は癒されたんです。 

 このシロアムとは「遣わされた者」という意味のあることばです。 イエス・キリストは神から遣わされた救い主です。 まさにシロアムということばにあてはまるお方、このイエス・キリストのもとに行くなら、心の目は開かれ新しい人生は始まると教えているんですねえ。

 (PBA制作「世の光」2009.5.5放送でのお話しより)

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■「永遠」に思いを

2009年05月04日 | Weblog

世の光の時間です。 お元気でしょうか? 村上宣道です。 

 今日5月4日は「緑の日」になっているんですねえ。 どうしてこの日が緑の日なのか良く分かりませんけれども、でもいいなあと思いますねえ。 緑というのは何か私たちに和(なご)みを与えてくれる色ですよねえ。 そして活き活きとした生命力って言いましょうか、そんなものを感じますねえ。 

 紅葉はとっても綺麗なんですけれども、それが緑が紅い色に変わっていくから綺麗なので、あれがずうっとその葉っぱが赤いままだったらどうなんだろうかなあと思ったりすることがありますけれども、本当に緑というのは私たちの心を和ませてくれる、そのようなフレッシュな思いを与えてくれる。 まさに森林浴なんかをしますとね、ほんとにフレッシュな活き活きとしたいのちを貰うようなそんな感じがしますですねえ。 

 あのう、クリスマスの色っていうのは赤と緑というふうにまあ決まってますねえ。 ま、それはその赤は言うまでもなくイエス・キリストがおいでくださったのは私たちの罪のために十字架にかかって血を流して罪の救いをしてくださるためだ、というので、あの赤はキリストの十字架の血の色を意味している訳ですね。 それは救いを意味し、そして神様の愛を意味している。

 と同時に緑がそこで配されているということは、緑っていうのは、私たちにただ罪の赦しを与えてくださっただけでなくってイエス・キリストは私たちに永遠のいのちを与えてくださるためにおいでになったのだ、ということを表すのですね。 キリストの永遠性をそれは表しているというふうにも言うことができる訳なんですね。

 で、緑の日にあたってですね、私たちは美しい緑をこう見ながら、で緑に囲まれてフレッシュな活き活きとしたいのち・生命力を感じながら、同時に聖書の中に、(神は)「私たちの心に永遠への思いを与えてくださった」(伝道者の書 3章11節参照)ということがあるんですね。 永遠に想いを向けるということが大切ではないかなあというふうに思うんですねえ。 この地上だけで終わるのではない。 私たちは永遠に対する思いが与えられている。

 そしてその永遠の思いだけでなくって、永遠に生きることができることのためにイエス・キリストの十字架があり、イエス・キリストの復活があるということ。 イエス・キリストは「わたしは、よみがえりであり、いのちである。」(ヨハネの福音書11章25節参照)とおっしゃった。 そして「わたしを信じる者は、死んでも生きる」(ヨハネの福音書11章25節)と。 これは、永遠に生きるという意味なんですね。 

 そういう意味でどうでしょうねえ、私たちはこの緑の日にちなんでですねえ、そうだ永遠という世界があるのだ、そしてキリストによって永遠のいのちが与えられるのだ、ということを知っていただけたらなと思うんです。

 ( PBA制作「世の光」2009.5.4放送でのお話しより)

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-
2196 へ


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■立派な信仰

2009年05月02日 | Weblog

世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか? 山中直義です。

 神様が喜ばれる信仰とは一体どんな信仰でしょうか。 

 ある時、一人の百人隊長(※ローマ帝国の百人からなる部隊の隊長)が助けを求め、イエス様のもとに使いを遣わしました。 彼が重んじていたしもべが病気で死にかかっていたからです。 

 知らせを受けたイエス様は、早速その百人隊長の家へと向かってくださいました。 すると別の使いがやってきてイエス様にこう告げました。 百人隊長からの伝言でした。 「主よ。わざわざおいでくださいませんように。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。・・・ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは必ずいやされます。」(ルカの福音書 7章6、7節) 

 これを聞いたイエス様は驚き、そばにいた人々にこう言われました。「あなたがたに言いますが、このようなりっぱな信仰は、イスラエルの中にも見たことがありません。」(ルカの福音書 7章9節) 

 立派だ、と称えられたこの信仰には二つの要素がありました。

 一つは謙遜です。 「あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。」 神様であるイエス様を自分のもとに呼びつけて要求を告げる、そんなことがあってはならないと考えたのでしょう。 イエス様を神様と信じるまことの謙遜がこの人にはありました。 

 二つめは信頼です。「ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは必ずいやされます。」 イエス様のおことばには力がある、イエス様のおことばは必ず実現する、そう信じて待ち望んだ所に、イエス様は神様と信じるまことの信頼がありました。 そしてこの百人隊長が信じた通り、彼のしもべは癒されたのです。

 イエス様を神様と信じるがゆえの謙遜、イエス様を神様と信じるがゆえの信頼、それこそが大切であり聖書の神様が喜んでくださる信仰だということを教えられます。

 自分自身の資格や能力に頼るのではなく、イエス様を神様と信じ、謙(へりくだ)ってその救いを待ち望む。 あなたもそんな姿勢で神様を求めてみませんか?

  ( PBA制作「世の光」2009.5.2放送でのお話しより )

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東海地方での世の光/さわやか世の光/ジェネレーションXの放送に協力してくださる場合の献金は、

  郵便振替 00890-3-111071 東海福音放送協力会   まで

  お問い合わせは、
  電話 052-762-2196 東海福音放送協力会へ
            (自由ケ丘キリスト教会内)




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■人生の嵐の中で

2009年05月01日 | Weblog

世の光の時間です。お元気ですか。岩井基雄です。

 百年に一度と言われる不況の波、家族の崩壊という嵐、様々な人生の嵐が吹き荒ぶ中、私たちはどのように生きることができるのでしょうか。 

 イスラエルにガリラヤ湖という湖があります。 この湖で漁師をしていた者たちがイエス・キリストの弟子となりました。 彼らは時折吹くガリラヤ湖の突風や嵐に十分対応できるような知識も技術も持っていました。

 ある時、イエスと弟子たちが乗った舟がこのガリラヤ湖で嵐に巻き込まれました。 夜も更(ふ)け闇が深まる中で、波をかぶった舟から水を掻い出したり、舟をコントロールしようとしたり、弟子たちは必死に対応しますがどうすることもできません。

 そんな激しい嵐の中でイエスはというと、何と、寝ていたのです。 彼らは不安も恐れも手伝ってか、こう叫びました。 「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」(マルコの福音書 4章38節) 

 このようなことを私たちも心の中で叫びたくなるようなことはないでしょうか。 自分がこんなに悩み苦しみ痛んでいるのに神様あなたは何をしているのですか、私たちが死にそうでも何とも思われないのですか?!

 しかしこの時、「イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に『黙れ、静まれ。』と言われ」(マルコの福音書 4章39節) ました。「すると風はやみ、大なぎになった。」(マルコの福音書 4章39節) のです。 弟子たちはそのイエスの力に驚きました。 イエス・キリストは自然の嵐だけではなく、すべてのことに権威を持っておられ、どんな嵐をも静めることがお出来になります。 その力はあなたの人生にも及びます。 そしてあなたの人生の嵐にも、こう語られるのです。 「黙れ、静まれ。」 

 すぐには人生の嵐は静まらない時もあるでしょう。 しかし、どんな嵐の中にあっても、あなたが主権者なるイエス・キリストに心から信頼する時、あなたの心には何よりも本当の平安が与えられるのです。 自分の力や経験のみに頼ることをやめ、本当に信頼できる方を信頼するとき、あなたは平安と力を与えられ、ぐっすりと休むことができるのです。 

 あなたもこのお方に信頼しませんか?

 ではまた聴いてください。

(PBA制作「世の光」2009.5.1放送でのお話しより)

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