♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■クリスチャン小説家 大原富枝 / 岩井基雄

2021年05月22日 | Weblog

2020/11/28放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。

 私の担当の土曜日は歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでいますが、今日は、小説家大原富枝について学んでみましょう。

 大原富枝は大正元年高知県(現)本山町に生まれました。小学校の校長であった父の教育の中、育ち、10歳で母の死を経験した富江は、その頃から心をことばで表現することの豊かさを知ります。15歳で高知女子師範で学び始めますが、18歳の時に結核を患い、長い療養生活を送ります。時代は戦争の只中でした。苦しい生活と療養で、幽閉にも近い生活を余儀なくされます。さらに家族や友人の死を次々に経験する中、なんとしても生き抜き小説家になることを決意します。戦争の終わる前に東京に出て本格的に作家活動に取り組みます。自らが通ってきたさまざまな悲しみをもことばで綴り、代表作『婉という女』が生まれます。 題材は土佐の山内忠義の家老野中兼山の娘・婉(えん)の生涯を描いたものです。兼三は手腕を発揮しますが弾劾を受け失脚し亡くなります。子供たちの中、唯一生き残った娘が婉でしたが、約40年間の幽閉を経験したのです。富枝は自らの悲しみの歩みもこの野中婉に重ねたのでしょう。

 多くの人々の悲しみをも描き続けた富枝でしたが、64歳の時に聖書が語る神様と出会い、キリストを信じ洗礼を受けます。ギリシャやイスラエルをも訪ね、『エルサレムの夜』、『アブラハムの幕屋』を出版します。人々の人生の中にある痛みを描きつつも、そこに示された恵みをも表し人々に届けて行ったのですね。

 晩年も多くの作品を世に届けていった富枝の文学館は彼女の故郷高知県本山町に建てられます。多くの悲しみを通った富枝の人生はキリストの十字架から注がれる慰めによって支えられていたのかもしれませんね。

 聖書のことば

 「キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。あなたがたは羊のようにさまよっていた。しかし今や、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰った。」

    新約聖書 ペテロ第一の手紙2章24節、25節

   (PBA制作「世の光」 2020.11.28放送でのお話より ) 


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