2020/11/25放送
世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。昨日に引き続き、今日も旧約聖書のモーセの生涯から学んでみましょう。
エジプトで奴隷状態の神の民を助け出すためになされた神の最後の裁きは、エジプトのすべての長子 --人も家畜もその長男-- が死ぬという裁きでした。
しかし、神の民イスラエルにはその裁きが及ばない為の救いの道が用意されました。それは傷のない子羊の血が代わりに流されることによる助けの道・贖いの道でした。
聖書はこう語っています。
「イスラエルの全会衆に次のように告げよ。この月の十日に、それぞれが一族ごとに羊を、すなわち家ごとに羊を用意しなさい。・・・
あなたがたの羊は、傷のない一歳の雄でなければならない。・・・そしてイスラエルの会衆の集会全体は夕暮れにそれを屠り、その血を取り、羊を食べる家々の二本の門柱と鴨居に塗らなければならない。・・・
その血は、あなたがたがいる家の上で、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたのところを過ぎ越す。わたしがエジプトの地を打つとき、滅ぼす者のわざわいは、あなたがたには起こらない。」
旧約聖書 出エジプト記 12章3節、5節、6節(、7節)そして13節。
傷のない子羊の血が家の門柱と鴨居に塗られた家は、神の裁きが過ぎ越してその家の長男は死なないで守られることが示されました。神の警告を聞かず、身代わりの羊すなわち罪の裁きを代わりに受ける贖いの羊の血を用意しなかった家は神の裁きを受けたのです。
この神の民への救いの道は、神の御子イエス・キリストによる血の贖い、すなわち罪の赦しの道を指し示していました。全く傷も罪のない神の御子イエス・キリストが十字架の上で流された血によって罪の赦しと救い、罪の奴隷からの解放の道が開かれたからです。
またこの時、過ぎ越しの食事としてエジプトから早く出て行くためにイースト菌を入れないパン、充分に発酵させないぶどう酒が用意されました。その過ぎ越しの食事はイエス・キリストによって聖餐式として罪からの赦しと救いを示す大切な儀式として表されています。
罪の贖いと救いの道が、子羊の身代わりの死といのちを分かち合うことによって備えられたのです。
(PBA制作「世の光」 2020.11.25放送でのお話より )
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