2020/12/3放送
世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。継続は力なり、聖書を一日一日と読み進むなら不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日はヨナ書3章9節から「もしかすると、神が思い直して」と題してメッセージをお伝えいたします。
「もしかすると、神が思い直してあわれみ、その燃える怒りを収められ、私たちは滅びないですむかもしれない。」
昨日の続き、ヨナ書3章に入ります。 魚に吐き出されたヨナは神様の勧めに従って素直に敵国アッシリアの首都ニネベ出て行きました。ヨナが吐き出されたタルシシュの海岸からニネベはおおよそ800キロです。当時の人たちの足では約1ヶ月かかる道のりでした。 ヨナの体は魚の胃酸に溶かされていたはずで、この期間に皮膚の回復が進んだとしてもその外観は変わり果てた姿になっていたことでしょう。 しかし、その姿そのものが神のことばの真実さを訴えることになったのではないでしょうか。
ヨナは首都ニネベの広い土地をくまなく歩き回り、神がこの町を滅ぼそうとしていること、神を信じて悔い改めるべきこと、を語ります。 すると町中の人々が次々と悔い改めて神を信じるのです。王様すら、もしかすると神が思い直して憐れみその燃える怒りを収められ私たちは滅びないかもしれない、と語り、王服を脱いで荒布を着て灰の上に座って悔い改めの心を表明したのです。
これによって神はニネベに下そうと考えていた災いを思い直されました。悔い改めたヨナを救い、悔い改めたニネベを救う。神はどれほど怒ったとしても悔い改めるなら思い直して憐れみ、赦してくださるというわけですね。
新約聖書の使徒ペテロは、神は一人でも滅びることを望まず、すべて人が悔い改めに住むことを望んでおられる(ペテロの手紙第二3:9参照)、と語りました。
パウロも、「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。」(テモテへの手紙第一2:4 )と語っています。 聖書は、清く正しい人生を生きることを勧めるよりも、まず悔い改めることを勧めています。そして、悔い改める者に神は憐み深い方であることを教えているのです。
では良き一日を祈ります。
( PBA制作「世の光」 2020.12.3放送でのお話しより )
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