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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■いのちがあった / 福井 誠

2016年12月15日 | Weblog
2016/12/15放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「いのちがあった」です。それではヨハネの福音書1章4節、5節を読んでみましょう。

 「 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。

 聖書は、イエスにいのちがあった、と語りますねえ。聖書でいのちという場合には、少なくとも二つの意味があります。

 第一にそれは、逆説的な言い方ですが終わりのないいのちです。イエスのいのちは長く続くいのち、永遠のいのちですね。イエスは昨日も今日もいつまでも変わることがありません。尽きることも色褪せることもなく、枯れることもなく、永遠に続くいのちを持っておられます。イエス様はそのいのちを私たちと分かち合うことができます。どうでしょうか、そのような永遠に続くいのちを自分も持ちたいと思う人は多いことかもしれませんね。

 しかし一方でただ長いだけのいのちなんてもらってもしょうがないなと思う人もいるでしょうねえ。このままの余りぱっとしない退屈な人生が長く続くのもなあ、と。それに弱さを抱えて愚かな自分の現実を覚えるときに、このままでずっと生きていくなんて、それも大変だなあと思う人もいるでしょう。

 そこで第二に、イエスにいのちがあったというときに覚え欲しいことは、そのイエスのいのちはただ長いというだけではないってことです。それは私たちの人生に新しさをもたらす力あるいのちです。私たちの弱さを補い、愚かさを賢さに変え、人生の方向性を実りあるものに変えていくいのちですねえ。

 そのようないのちを持つお方であるからこそ、イエスは人類の希望であり光なのです。そしてそのいのちは力強いので、どんな闇もこれを覆い尽くすことはできません。闇を打ち破る力ある命をイエスは私たちと分かちあってくださる、とヨハネは聖書を通して語っているのです。

 イエスの降誕を祝うクリスマスの日が近づいておりますが、ぜひこの機会に教会を訪ねて、イエスにあるいのちがどのようなものなのか、更に詳しいメッセージを聞いてみませんか? 一度限りの人生、素晴らしい人生の可能性に心を留めていただきたいと思います。

(PBA制作「世の光」2016.12.15放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


 

 

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